古くて私的なジャズ・レコードEPたち チャーリー・パーカー編 |
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2022年 02月 20日
SPレコード鑑賞会でチャーリー・パーカーの音に度肝を抜かれて以来、なんとかあの興奮に近づけないものかと大枚はたいてSavoyの10インチを買ってみたのだが、何処かでキャンプファイヤーでもやっているのかと思ったらなんのことはない。スピーカーからのパチパチバチバチ焚火ノイズだった。というところから始めよう。私が買ったものはそれでも安かったのだろう。あまりコンデションが良くないものであった。安かろう悪かろう。うん、この言葉を言い表すにこれほど適した言葉はない。 だが、その焚火ノイズを除けば、圧倒的な迫りくる音がここにある。時代特有の古色蒼然たる針音のなかに、突如、実に生々しいパーカーの音の気が眼前に現れる。まるで、手で触れられるかのように。私のオーディオシステムがどうのという話ではなく、当時の盤にはそうした、古色蒼然、リアルさを併せもった特性を秘めている。 じゃ、パーカーの当時の音をそれなりの音質で楽しむには、高価な状態の良い10インチを購入するしかないのか、もしくは、自宅にSP機器を導入するしかないのか、いや、いや、パーカーのSP盤もそれなりに高価だ、ということになってしまう。 そこで、古くて私的なジャズ・レコードEPたち、今回、チャーリー・パーカー編というわけである。一応書いておくがこのタイトル悪気はまったくない。 なぜ、チャーリー・パーカーが7インチ45回転なのか、ということに対し、私は私なりの私見を持っている。というのは、チャーリー・パーカーが実存した時代、それはまぎれもなくSP録音の時代。つまりは、3分間録音の時代ということになる。ということは、それは7インチ・シングル45回転の特性にピタリとあてはまるものといえるのだ。 私たちはかって、正当なジャズの学びとして、チャーリー・パーカーといえばゴッタ煮の編集モノをこれでもかと聴きき、これが分らなければ立派なジャズ者とはいえない、家でオイゲン・キケロでも聴いとけとジャズ先輩とばかり、NOW'S THE TIME 連続4テイク、BILLIE'S BOUNCE 連続5テイク、とあの焦燥の日々を思い出してしまうがこれはキツイ。やがて、乗り物酔いならぬ、いつしかパーカー酔いに。 思えば、パーカーのやってるビバップなんてものは乱暴な運転のドライバーの助手席に乗せられカンザス・スピードウェイを十周突っ走るその感覚にあるものだからそうなるのは当たり前。というこで、チャーリー・パーカーは7インチ45回転で一曲、一曲丁寧に聴くというこになる。 で、パーカー音源は、サヴォイ、ダイヤル、ヴァーヴ(マーキュリー、クレフ、ヴァーヴ)と大まかに分類されるのだが、ダイヤルの7インチシングルというものは見たことがない。しがって、この話しはサヴォイ、ヴァーヴに限定される。 だが、話しはそう上手くは運ばない。サヴォイのこの7インチ・シリーズはそれほど、音は良くない。悪くはないが10インチの迫力に比べれば今ひとつの印象。 ジャケットがついていないものが多い。このように、ジャケットがついているものが見つかれば超ラッキー。私が持っているのは、ジャケットと中身が違う。入れ違い。とはいえ、チャーリー・パーカー絶頂期、これぞ、ビバップの”KO-KO”が聴けるのだからたまらない。だが、この米盤シリーズ、これでもかと聴かれたのか盤質が悪いものが多い。 だが、捨てる神あれば拾う神あるで、仏からも、このサヴォイのシリーズは発売されている。ジャケットはちとイマイチなのだが、ジャケットがついているだけで良しとする。 私は3枚所有していて、それぞれ異なる店で購入したのだが盤の状態がすこぶる良い。ピカ盤である。なんだパーカーのフランス盤かと、誰も相手にしなかったのか値段もすこぶる安い。 そして、これは音は悪くない。レーベルを良くみるが、どこにもメイド・イン・フランス、もしくはそれにあたる表記がない。レーベルは米サヴォイ盤とほぼ同じ。ただ、米盤はレコード番号が、XPからはじまるに対し、仏盤は460 SVからはじまる。もしかしたら、中身は米盤と同じもの、輸入したものに独自のジャケットをつけて仏で発売されたものかも知れない。すべて4曲入り仕様。 MOHAWK /AN OSCAR FOR TREADWELL このマーキュリーのカップリングは10インチの方が音はいい。マーキュリーの7インチは盤の素材が悪いという説もあり、音の悪い盤も存在するのだが、これはそれほど悪くない。いや、良い。”AN OSCAR FOR TREADWELL”のディジー・ガレスピーとパーカーのユニゾン、掛け合い、その小気味の良さはどうだ! SHE ROTE /K.C BLUES このクレフの7インチは二枚持っている。一枚はレーベルのところにはがれがあって、安い値段のものがみっかったので買いかえたのだが。 レーベルをよく見ると、若干の違いがある。レーベルにはがれがあるものは、CHARLIE PARKER AND HIS ORCHESTRAの文字が4行にわたって表記されているのに対し、はがれのないものは3行となっている。レコード番号は二枚とも同じ、ただ、文字の大きさが二枚で異なる。さらには(Norman Granz Supervision)に対し(Supervision by Norman Gran)となっている。微妙な違いとはいえここに確かな違いが見て取れる。これは、東海岸、西海岸プレス、そういった違いなのであろうか。よほどのジャズ・レコードのマニアでないかぎり、本当にどうでもいい話しではあるのだが。(笑) しかし、何より、この盤はすこぶる音がいい。パーカーの野太い音が迫りくる。K.C BLUESのその余裕。カンザスシティへの凱旋か、オレ様の音、ジャイアン、ビフ・タネン同様のオレ様感、結局、パーカーを良し悪しとするかは、この男がどんな素行の持ち主であれ、聴く者が音楽的にそのオレ様感を認めざる得ないというところにあるのではないかと思う。 TEMPTATION /AUTUMN IN NEW YORK このオリジナルLPはクレフ・レーベルのトランペッター溝ありだったと思う。オリジナルは音圧があって強烈な音がする。パーカーの高音が柔らかいストリングスの雲海の間から時に春の落雷のような響きをもってしてスピーカーを震わす。この7インチはマーキュリーのラベル、LPほど音圧はないが十分に迫りくる音。何より、パーカー自身がドラッグより、このストリングスとの共演に酔っている。と思う。ただ、評価されるのはこのストリングスのアレンジがいささか、凡庸なこと。もし、これより数年後、パーカーが存命していたならば、チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァとともに、ギル・エヴァンス指揮によるオーケストラ作品が準備されていたことだろう。 再人気のアナログ・レコード・ブームとはいえ、それは、はなはだ一部のファンの世界、領域にしかすぎず、CDは売れず、配信が世の音楽の聴き方、その定番、スタンダードになりつつある昨今。やがてそれは国営放送がジャズの配信を行うようになるであろう。もち、高音質というふれこみで、国民であるジャズ・ファンはそのリストから自身選択してジャズ・ナンバーで今宵楽しむ。そんな時代がくるのだろう。選曲はどこそこの音大の教授だとかのお墨付きで。 チャーリー・パーカーの音源を7インチ・シングル45回転で聴く。一曲、一曲、丁寧に。愛おしむように。もしかしたら、世界中のレコード・ショップの段ボール箱に眠るパーカーの7インチは、今、この時代を待っていたのかも知れない。 #
by senriyan
| 2022-02-20 18:52
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Comments(4)
2022年 02月 11日
今年は定年を迎える年になる。まだまだ若いつもりであって、そう老けてもいないと感じるが、場末のトイレの鏡に写った自身を見るなりその気配にぎょっとする事がある。フランソワ・トリフォーの「恋のエチュード」物語の15年後のエピローグ、主人公クロードがタクシーのウインドウに写る自分の姿に「これが僕か、まるで、老人のようだと・・・」と呟くシーンのように。
企業のサラリーマンとして大した出世もしなかった私。今年の秋は例年より、少しばかりしんみりとした秋になるのだろう。 まあ、だが、これまでの人生、大きな成功、幸運は舞い込むことはなかったが小さな幸運は多々あったと思う。そういう星の下に生まれたのであろうか。オー、小ラッキーマン。そう、いわゆる小確幸の日々が・・・。 レコード・コレクションで、小確幸といえばEP盤であろう。レコードを買っていて思うのは一枚のレコードには、どうしてか、それを買った当時の思い出が、そのレコードのジャケット、音、に沁みこむという現象が起きる。例え、それが小さいEP盤一枚だったとしてもだ。 なぜか、そのレコードに触れるにつれ、ジャケットを眺めるにつれ、そして、音を聴くにつれ、それを買った日のことを思い出すことになる。どの店で買ったのか、店主さんとどんな話しをしたのかとか、その後、どこの場所でどんな食事をしたとか・・・。長い年月を得てその場所が、その街の空気感を、風を、時代を思い起こさせたりもする。それは、まるで、かっての日記を読み返すかのように。 古くて私的なジャズ・レコードEPたち、今回はその欧州編である。欧州のEPのよいところは、米盤に比べ扱われ方が良かったのか程度の良いものが見つかることが多い。そして、音質的にもすべてではないがこれまた水準が高いということになる。 SOUND OF JAZZ PHIL WOODS これは、西新宿のHAL'Sレコードで出会った。”暖炉とワンちゃんのウオームウッズは高くて手が届きません。”と言った私に対して、それでは、こんなのはいかがですがと教えてもらった一枚だった。このお店はマニア垂涎の超レア盤レコードも扱っている、しかし、当時の私のこうした懐事情にも答える引き出しの広さをも持っているお店でもあるのだ。 そのウオームウッズから、”SQUIRE'S PARLOR”と”LIKE SOMEONE IN LOVE”を収録。ジャケットは一部のみ流用、暖炉なし。 メジャーレーベルだけあって音は良し。だがだ、このアルバム、マイナーからメジャーへとその過程で作りが洗練され、ウッズの棘のようなもの、ジャズの気が希薄に感じられる作品でもあったかも知れない。しかし、このEP2曲の選曲はいい。下積み時代、暖房をとめられた安アパートメントでかじかんだ指に息を吹きかけながら必死にソロを吹くウッズの姿を思い浮かべてしまう。きっと、オランダのレコード会社の制作担当者もそうした思いを込めてこの2曲を選曲したのだ。ウォームだ、冗談だろと。このEPのジャケットに暖炉がうつらないのはデザイン的にではない。意図的に外されたのだ。 PHIL WOODS JAZZ LABORATORY SERIES HALL OVERTON ホール・オーバートンの所謂、ミュージシャン教則用レコード、これもフィル・ウッズファンとしては絶対にもっていたい一枚だろう。 そのA面はウッズのアルト入り、B面はその音を抜いたもの。このEPはそのウッズ入りのA面を裏表一枚で聴けてしまうという超お買い得盤。(2/20追記 勘違いしておりました。本オリジナルLPはA面に4曲収録されています。すなわち、このEP盤一枚ではすべてをモーラできません。もしかしたら、そちらのカップリンのEPもあるのかも知れません。)スゥエーデン盤。ギンガムチェックのボタンダウン、Vネックセーターの独自ジャケ。音にもそのセンスが反映される。音良し。これもHAL'Sレコードで教えて頂いた。 WINTON KELLY BLUE MITCHELL GIANTS MEETING ジャケットが安ぽい。これが7インチのエサ箱にあっても反応できないだろう。これもHAL'Sレコードで買った。今回の記事、半分受け入れ。(笑) だが、これが実に、Riverside RLP 336 つまりは、BLUE MITCHELL Blue's moodsのオランダ盤EPなのである。もちろん、A面に”I’ll close my eyes”収録。音が抜群にいい。サム・ジョーンズのベースがグイグイくる。ロイ・ブルックスのシンバルの鋭い切れ。いい音とは針をおとして数秒で分かるハッとする何かがある。百聞は一見に如かず、百聞は一聴に如かずか。 PLAY BOYS ,Vol.3 THE CHET BAKER & ART PEPPER SEXTET チェット・ベイカーとスタン・ゲッツは音の相性はまずまずだったがペッパーとは良かった。そのプレイ・ボーイズのGermany盤。音まあまあ。 このレコードを見つけレジに差し出した時、後ろの私より年配のオジサンが言った、それどこにあった。私はレジとなりの7インチの小箱を指さして、えつ、ここに、と答えたのだが。それ、いいレコードだよと、それ幾らと、終始、先輩風。でも、なんかそれがかえって私の優越感を煽り立てる。そんで、私もすっかり初心のジャズ小僧みたいになって、へへっと頭をかきながら、こんなんですけど買っちゃいましたみたいな。(笑) ベイカー、ペッパー、フィル・アーソのユニゾンの気品はウエスト・コースト・ジャズのマナー。それを、カール・パーキンス、カーティス・カウンス、ローレンス・マクブライドの西海岸ハード・バッパー黒いリズム・セクションが支える。そのオジサンももちろん、若い頃よりこの盤に熱を入れ上げた一人なのであろう。 MINGUS DYNASTY CHARLES MINGUS AND HIS JAZZ GROUP ご存じMINGUS DYNASTYの英盤、ミンガスが正面を向いているジャケットが新鮮。そのミンガスが若い。但し、音が硬い。まあまあ。 中国の王に扮したかのようなこのジャケット。以前から思っていたがこれは一体どこの場所での撮影なのであろうか。チャイナタウンにある高級広東料理店、飛竜の間での撮影であろうか。(笑)”Diane”におけるローランド・ハナのピアノが素晴らしい。溜息がもれる。 STAN GETZ CHARLIE BYRD JAZZ SAMBA この仏盤の派手さのないグレーを生かしたシックな佇まいがいい。こういうことをやらせるとフランス人には敵わない。アメリカ人はどうしてもマペットでオッパイ隠す方向に。ワーテルローの戦いで、ナポレオン率いる仏軍隊の陣、装束、配列を見て英国の軍司令官ウエリントン公が言う、敵ながらあっぱれ見事に美しいと。 写真は知る人ぞ知る、J.P.Leloir。世界一洒落を好むフランス人がボサノヴァに反応しないわけがない。初夏、パリ中のカフェのジュークボックスからこのサウンドが流れ出たであろう。そのレコードが今、手元にある。と、思うことに意義がある。 興味深いのが、ジャケット中央にBOSSA NOVAと書かれたテープが貼られていること。おそらく、このEP盤が発売された直後、今だまだ、世界的にもボサノヴァはブームとなっていなかった。だが、やがて、それに火がつく。レコード会社、おい、このジャケットのどこにその表記があるんだ、これじゃ客が分らんじゃないかということで、至急、社員総出で徹夜してこのテープが貼られたと。 JUNE CHRISTY BOSSA NOVA/SAMBA DE UMA NOTE SO こちらもボサノヴァ、伊盤のジュークボックス用EP音良し。但し、ジャケットはザラ紙。A面の”BOSSA NOVA”は夫であるボブ・クーパーによるナンバー。アレンジも担当。流麗なストリングス。サックスソロもボブ・クーパーのものと思われる。ボサノヴァ・ムーブメントの一枚とだけでとらえるとしたら、もったいない一枚。ジューン・クリスティのヴォーカルを聴いていると、美空ひばりを思い起こしたりする。きっと、ひばりもこのあたりのレコードを聴いて勉強したのだなとしみじみ思う。 こうして、よく考えれば、その日、運勢は最悪、最下位。ハプニング連続のサイテーの一日だったにせよ、我々、レコードコレクターにとってみれば、その日終わりに一枚のいいレコードが買えれば、それは、もうそれで、運勢星座トップのゴキゲンな一日にとってかわってしまうことになるのだ。そしてそれは、何があったにせよ、心地の良い記憶として変化する。記憶に残る。私にとって、レコードを買う行為とは、もしかしたら自身、知らず知らず、良き思い出を、小確幸の日々を、積み重ねるそういった行為なのかも知れない。だからこそ、レコードを買うことはやめられないのだ。レコードだけの人生、としてもだ、いいじゃないか。 #
by senriyan
| 2022-02-11 12:11
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Comments(4)
2022年 01月 30日
ジャズレコードでEP盤を蒐集対象にしている人というのはどれくらいいるのか。レコード店でもこのコーナーはレジ前の小箱ほど最小範囲にとどまっている。
なにせ、音もそれほど良くはない。EP盤の音が安定してくるのは60年代に入ってからか、ジャズファン分が悪い。 年齢のせいか早く目覚めてしまうことがある。休日の朝とならば、えいやっと起きてしまう。そして、ウイスキーをちびちびやりながらEPレコードを眺めて時間を過ごす。防音設備などはない部屋、音を聴くことはない。このEP盤はジャケットがない紙スリーブのもの圧倒的に多いのだが、きちんとジャケットがついているものもある。LP盤の縮小サイズ、もしくはEP盤独自のデザイン。これがなんとも洒落ている。まさに当時の米国の粋の神髄。それらをただ眺めているだけで幸せな休日の始まりとなる。 これらの盤が作られた1950年代当時、レコード会社はこれらが半世紀の時を得て存在するとはつゆほどに思わなかっただろう。これらは、一時を過ごす為の消耗品でしかなかったわけである。一般家庭のアフターアワーズで、LPを買うには小遣いが足りない独身の音楽アイテムとして、もち、恋人とのピクニック、バカンス、そのお供に。 だがだ、そんな消耗品であったはずのEPレコードがカルフォルニアかどっかのレコード店の棚から、持ち主が変わり、紆余曲折、様々な人間関係をえて、どういう因果か、極東の島国、この手元に存在する。そう思うとこれら半世紀を生き延びた小さいドーナツ盤がやたら愛おしくなってしまう。 そして、私はそれを胸のなかに、そっと抱きしめたい感覚におそわれる。頬ずりしたい感覚におそわれる。いや、きっとそうしている。 これら、ジャズレコードEP盤に関する文章はガイド的な目的を持って書かれたものではない。ハッキリ言って、レコードコレクターが参考になるようなものは何ひとつないと言っていいだろう。これらは、一枚のEP盤と私との極めて、私的な関わり合いを書いたものである。そう、古くて私的なジャズ・レコードEPたち。だが、まあ、EP盤に興味を持つ人が一人でも増え、お店のそのコーナーが少しでも広がればなと思っている。 WEST COAST JAZZ ・STAN GETZ スタン・ゲッツのこの作品にEP盤が存在することにまず驚く。しかも、値段は千円台だった。高額盤が飾られた壁に羨望の眼差しを向けるマニアを横目にポーカーフェイスでレジに向かった。 ゲッツの気品あるサウンドと当時ウエスト・コーストのジャズメンのスマート、端正、アクのない表現と合わないわけがない。が、攻めてくる黒人プレイヤーの不在によるものかやや予定調和に感じられる作品でもある。私は、何度、聴いても、印象に残ることなく、さらりと流れていく。甘美な憂いを持った音の余韻はゆらゆらとゆらめく夏の陽炎のようなものを思わせる。そして、夏の午後、気持ち良くなってつい寝落ちしてしまう。 本EPは、A面は、SUDDENLY It's SPRINGを収録、なぜ、よりによってこの地味な曲なのか。今回この記事の為に続けて4回聴く。すると、どうだ。この冬の季節、ビシッと気合の入った聴き方をすれば、ゲッツのソロ、その完成度にただただ唸ってしまう。ジャズのアドリブというのは、時に、同じフレーズ、リフの繰り返しで、そこから、何か、インスピレーションを得て、待って、次の展開、さらなるフレーズにつなげていくということがあるのだけれど。このゲッツのソロはとにかく、旋律が、旋律を呼ぶ、という感じで果てなく飛躍していくのだ。とはいえ、大袈裟な聴かせ方ではなく、それをさらっと聴かせてしまう。しかしながら、いつも思うのは、こうしたゲッツの音、その品格というか、気品というのか、芸術があるレベル領域から持つことになる圧倒的なサムシンが存在していること。さしたる教育も受けなかったブロンクス育ちの青年ゲッツはどこでそれを身に着けたのか。 ゲッツにぞっこんだった女優エヴァ・ガードナーもハリウッドで撮影のない日「渚にて」ビーチ・パラソル下、ポータブル・プレイヤーでこのEPを聴いたことだろう。 ウエスト・コースト・ジャズのイメージを作り上げたと言ってもいい写真家ウイリアム・クラクストンの手によるEP盤2枚。 JACK MONTROSE SEXTET FEATURIBG BOB GORDON このジャック・モントローズのEP盤はジャケットがスレているものが多いが、これはめずらしく綺麗な状態。それだけで、私的レア盤。 サキソフォンを肩にかけ、なにやら神妙な表情のモントローズ氏。思うに、これはスタジオで録音したばかりのプレイバックに真剣に耳を傾けているそうした場面を撮影したものではないか。 私は、ジャック・モントローズ、ボブ・ゴードン、ボブ・クーパー、ハービー・ハーパー、レニー・二―ハウスなどのウエスト・コースト・ジャズが好きでこのあたりのレコードを集めている。ジャック・モントローズのサックスだけ見てとれば特別に強い個性を持つわけでもなく、神ががったフレーズが特に聴けるわけでもないのだが、この人と相棒といえるボブ・ゴードンのバリトン・サックスと音が合わさる時、ユニゾンに、えも知れぬサムシンが降りてくる。それが、カルフォルニアの乾いた音の感触とともに、その美学が同じセンスを持つ共有できるジャズ・アディクトたちの嗅覚を刺激することになる。 ジャック・モントローズは自身のサックスの腕前にある限界を感じていたかも知れない。が、彼は、ボブ・ゴードンのバリトンを得ることによって、さらにはまた、自身磨いた卓越したアレンジ力でこの時代のジャズに対し勝負に打ってでたのである。よって、ジャック・モントローズ、ボブ・ゴードンは二人で一人ということになるかも知れない。 MEET MR.GORDON ・BOB GORDON この写真がウイリアム・クラクストンによって撮られた日付は、1955年8月28日、写真集「ウエスト・コースト・ジャズ」のコメントによるとボブ・ゴードンはこのあくる日、自動車事故で帰らぬ人となったとある。このあくる日が、次の日という意味なのか、それから後(のち)という意味なのか分からないけれど、死の直前であることは間違いないようだ。 BOOTS MUSSULLI QUARTET このレコードはスタン・ケントン楽団で活躍したブーツ・ムスリのケントン・プレゼンツ・シリーズの一枚。オリジナルは10インチだがEPも発売されている。 私的には、ジャケットに写るどこぞのバーかクラブの用心棒のようなブーツ・ムスリのムッスリした表情が私の母方のおじさんにあまりにも似ていて、このレコードを取り出す度、その大酒飲みだったおじさんの事を思い出してしまう。 特記すべきは、このレコードびっくりするくらい音が良いことだ。10インチもかなり良いらしい。ケントン・プレゼンツ・シリーズ他のEP盤も持っているが、これほどの音質の盤はないような気がする。なぜか。 ZOOT SIMS DOWN HOME ズート・シムズのベスレヘム盤にもEP盤があることを私はあまり人に教えたくない。(笑)33回転、ステレオ盤、これも良音。 これはジューク・ボックス用EP盤。裏のステッカーにcomplete playing time 12 min.03 secとあるが、これはA面とB面の収録時間を足したもの。(12分3秒) とすればだ、コインを入れてこの盤を選択すれば、A面とB面を続けて聴くことができるということか。12分3秒、決して短い時間ではない、その時間を1コインで独占できる。これは、ある意味、贅沢な時間といえるのではないだろうか。 さらに、このステッカーにはSEEBURGという表記が確認できる。ネットで検索すると、どうやら、1940年代からあるジューク・ボックスのメーカーらしい。凄い。 PETE TERRACE QUINTET INVITION TO THE MAMBO 西海岸のレーベルFANTASYのジャズというよりラテン。これは、完全なるジャケ買い。おそらくは、ブリジット・バルドーを模写したものだと思われる。 眼から下をバッサリ切ったこのレアウトが当時にあって斬新だったはず。仏の大人のマンガ、バンドデシネとかからの引用か、抜粋か。 赤盤だが、音圧が低いことによるものか音は貧弱。BONGO BOYなるDJが喜んでくれそうな曲名もあるが、おしいが、それほどグッとこない。同じジャケットのLPもある。音質はいずれ、そちらに期待するとして。とはいえ、このジャケットをエサ箱から引き抜けば、もう持って帰らずにはいられない。もちろん、お金払って。 SWEET CLIFFORD・CLIFFORD BROWN 音が悪いといっても、こんなジャケットならば家宝だろう。 HERBIE HARPER NOCTURNE これも西海外のレーベル、ノクターン。ジャケットがすれている。ブルーの色のレコードで音もそれほど良くない。1500円だった。まあ、やめておくか、とレコード店を出て、階段を下り始めたところ、ふと、思った。こんなレコード、誰も買わないだろうなと・・・。 気が変わって、買いに戻る。 家で聴くと、やはり、チリノイズに音楽が負けている。ハービー・ハーパーのソフトで流麗なトロンボーンの味わいはまったく悪くない。何か、くねくねとした細い路地を、ゆっくりと大きくハンドルを切りながら抜けていく卓越した腕を持つトロリー・バスの運転手さんなんてものを連想してしまう。バド・シャンクは、アルトではなく、テナーとバリトンを吹く。トロンボーン、テナーその低音の安定したユニゾンの妙に心奪われる。 クリーニングしてみると、明らかに音が鮮明になる。聴いてはクリーニング、聴いてはクリーニングを繰り返す、その度に音は向上するような気が。 これは、経験だが、何年も針を落としていないレコードは、自分がかってレコードであったことを忘れている。死んでいる。いわば、棺桶のなかのミイラのように。 レコードをクリーニングする。だが、おいそれとは、音は蘇らない。 しかし、針をおとし、何度も何度も聴くうちに、レコードは自分がかってレコードであったことを思い出すのか少しづつかっての音を出し始める。覚醒するかのように。不思議だ・・・。 まさに、レコードの恩返し。 そして、私は嬉しくなって、このレコードをそっと胸に抱きしめることとなる。 追記 私がフォローさせて頂いているジャズ・レコード先輩のブログbassclefさんの「夢見るレコード」ではこれより先に、”7インチEP盤には逆らえない”と題されて、EP盤に関する記事を書かれています。経験と深い知識による素晴らしい内容です。興味のある方は是非ご覧ください。 #
by senriyan
| 2022-01-30 18:16
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Comments(4)
2022年 01月 10日
昨今の若者は実に優しい、皆に優しい、素晴らしい。
自身の母親にも優しい。これは我々世代、なかなか恥ずかしくできなかったことだ、素晴らしい。 彼女には、これはもう手放しにチョー優しい、素晴らしい。 それから、職場の私のような年長者にも優しい。senriyanさん、疲れてますね、早く帰った方がいいですよ。ありがとう、素晴らしい。 そして、何より、自分自身に優しい、素晴らしい。 だが、私はそんな心優しい若者に対し、なんとも理不足な、嗚呼、なんとうことだろう、その大事な青春の1ページを破り捨てるような、暴挙にいたるような発言をしなければならない。そうした、立場に長いこと、身を置かねばならなかったのだ。 そう、その言葉とは、今日、残業できるかな、である。 で、ここで、私の依頼に対し、それを断る社の若者の驚愕のセリフをここに列挙する。 いや、今日はその気分じゃないので。 ムリ、それを聞いただけで胃が痛くなります。 彼女がフランスの洋裁学校に明日から。 彼女が鬱で、マジ、やばい状況です。 彼女が、可愛くって。 彼女がsenriyanさんに会ってみたいと、どうですか、三人で、今度。 大豆田とわ子と三人の元夫、今夜、最終回なんですよ、senriyanさん知ってましたか。 そうしたものは録画しておけよ。えっ、生で観ないとファンと共有できないんすよ。 近鉄バッファローズが負けたので。 近鉄バッファローズが勝ったので。 ヤバいすよ、それ、オレにすか、本当ヤバいすよ。 くぁっ、うむ、ぐれごだけ、こんちく、バーメロ、でくしょう!!!、ギャギー、バーメロ、でくしょう!、ウギャー!!!! いや、気持ちはわかる。そうなると、思う。 今の若者に対して、あーだ、こーだというつもりはない。他者に対してどうあれ穏やかで優しい雰囲気で接しられる。これは、我々、世代の感覚ではなかったことだ。 ただ、これはあるジャズ関係者、といっていいだろう、の方から聞いた話しなのだが、かって、我々世代は大人の世界に強烈な憧れを持ってして、年齢を重ねていったわけだが、昨今の若者は、大人へのとくに強い憧れ、思い入れはないらしい、という。 つまりは、若い世代にとって、大人的趣味人の感覚であるところの、高級腕時計、ネクタイの正式な巻き方、シガー、モルト・ウイスキー、マニュアルで操縦するスポーツ・カー、古い映画、落語、そして、嗚呼、大人を代表する代名詞とも言える音楽としてのジャズに、それほどの価値観、意味を見出していないと。 さらには、美食。senriyanさん、そんなところで、そんな大枚はたいて勿体なくないですか? だがな、一流の味を知らんモンに、二流も三流もないぞ。いやいや、コンビニ大手のあそこのできあいの食材、ぼくらにとってあれこそが美食です。 これは、ちと寂しい。我々世代は大人世界に憧れてきた。その持続だけで、今日までを生きてきたといっても過言ではない。 大人世界に憧れがない、これは我々、大人世代の責任といっていい問題だろう。要は、若い世代を魅了する発言、発信する魅力ある大人が、これまた少なくなってきているということだろう。あなたのブログ、決してムダではないかも知れない。 私は、双葉十三郎、植草甚一、小林信彦、小野耕生、等、晶文社の本たちによって、大人の世界、映画、小説、ジャズ、それに魅了され導かれたわけだが。 その初期的発動は、多分、小学生低学年の頃、最初に魅了された世界、それは、きっと昭和歌謡にあったと思う。 私にとって、堺正章「さらば恋人よ」、井上順「お世話になりました」この二曲が、その最初の大人世界へ、憧れの始まりだったのだ。 まあ、井上順さんの芸風といえば、スマートに発せられる、今から思えば単なるオヤジギャグでしかなかったわけであるが、我々世代の人間がついこの手のオヤジギャグを連発してしまうのは、きっと、井上順さんのあの頃の正月番組などで観られた幸福な時間の記憶、それが、それを言わせているんだと思う。 「このマイクどこいく~、」マイクを前に差し出しながら、「前いく~」 今や、この手のオヤジギャグに突っ込みを入れてくれるような芳村真理さんのような存在もいない。 これは、和モノに強い、大宮グリグリで教えてもらったレコード。 微ほほえみ笑をあなたに 井上順 フジテレビ系「ファーストクラス」テーマソング 作曲・プロデュース アルトサックス 渡辺貞夫 こんなレコードあるんだね~とマスターが言うように私も初めてみた。そしてこのドラマにほとんど記憶がない。 あの頃のフュージョン、アーバン・メロウなバラード。渡辺貞夫さんの流麗なサックス・ソロも聴ける。12インチシングル、ビックリするほど音圧あり。 何より、ジェントルな井上順さんの淡々とした自然体、力まない素直な大人のヴォーカルがいい。順ちゃん、普通でいいよ、普通に行こうと貞夫さんは言ったのか。ヘンに上手くないところがいい。井上順さんの純粋さが滲み出て何度も何度も聴いてしまう。そして、井上順さんに憧れていた小学生のあの頃の気分をふと思い出す。ぼくはこんな大人になりたかったのだったと。 魅力ある大人、それはきっと近道にあるところではないだろう。何か、ずいぶんと道草をくった果ての場所にある。 新成人諸君、おめでとうございます。マジで。ゆっくりと年をとろう。 #
by senriyan
| 2022-01-10 22:03
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Comments(2)
2022年 01月 03日
確かにエレベーター・ミュージックなるものを考えていくと面白い。
村上ラジオ、これまでにも、それを特集したラジオ番組というのも聞いたことがなかったはずだ。 エレベーター・ミュージックには確かにある統一性がある。どこでも似たような傾向の音楽がその場所の存在している。はみ出していない。アイアン・メイデンがかかることもないし、スキタイ人の組曲がかかるわけでもないし、また、ボビー・コールドウェルのようなアーバンなある意味チャラいともとれるナンバーがかかることもない。超高層ビルで「天国への階段」なら即、却下だろう。 エレベーター・ミュージックには統一された基準があるように思える。これは、エレベーター・ミュージック基準協会というものが存在するのだろうか。東京でも、ニューヨークでも、上海でも、ドバイの超高層ビルで今この瞬間、同じ基準を持ってして、その場所に流れているだろう大差のない国籍を無視した音楽。そのそれは想像に難しくない。 ブライアン・イーノの環境音楽というのは、つまりはこの究極のエレベーター・ミュージックのことをいうのではないか。 イーノ自身がそうした各国のそうした公共の場所を訪れる度に、なんとかならんのかこの手の音楽は・・・。と思ったところから始まったのか。 その音とは、言うまでもなく歌なしインストルメンタル、ヴォーカリストの情念が入り込んではならない。ソウル無縁、ブルース無縁、演歌的こぶし無縁。そして、気品だ、艶っぽい音楽ではなかろう。お忍びで部屋をとったフェロモンムンムンの熟女とその連れが部屋に入る前に発情してもらっては困る。ガラス張りのエレベーターが頂上に向かい上昇しつづけるなか着衣の乱れた男女がからみあう姿を映画カメラはホテルの中庭から引きでとらえる。男優はフェルナンド・レイか、津川雅彦といったところか。 気品のつぎはある程度の大衆性がのぞまれる。小難しい音楽はどうにも適さない。それがどんなに優れた音楽であってしてもだ。その場に居合わせた人その思考を邪魔してはいけない。所謂、軽音楽。だとしてもだ、その軽さとは決して大衆に媚びたものではあってはならない。スーパーのワゴンセールの”魅惑のトランペット”、”二人の思い出あの頃のスクリーン・ミュージック”、週末の貴方に贈る、ヒーリング・ミュージック・2分で行けるまどろみの世界へ”などどとは一線を画さなければならない。 一流のその場所には、一流のエレベーター・ミュージックを。 エレベーター・ミュージック協会、埼玉支部のsenriyanと申します。サイタマ・シテイ・タワー全64個所のエレベーターを担当させていただきます。 カタログをお持ち致しました。 というわけで・・・。 エレベーター・ミュージック最初に私の頭に浮んだがジョージ・シアリング、当時大衆性ともっとも結びついた時代、キャピトル・レーベルの一連のタイトル群だった。それらは、インストルメンタル、気品、媚びない大衆性、その条件を完璧に満たしている。媚びない大衆性、それがキャピトル・サイドになかったかと言われればそんなこともないと思うが、個人的にはこのシックな音感覚には大衆性よりもそのスタイルその厳格性を感じる。 GEORGE SHEARING QUINTET "OUT OF THE WOODS" このレコードはやや難しいと思う。ジョージ・シアリングのキャピトル盤を順に聴いてきたアメリカのお父さんが、近ごろのシアリングは、ちと、肌に合わんなあ。というようなレコード。ビィブラホンで若きゲイリー・バートン参加、いや、まだ、その新しい才能の風が吹く以前、だから、ここにある難しさはこの時点のゲイリー・バートンの才能に大きく左右されるものではない、と思う。すなわち、これは初めからのジョージ・シアリングの音楽性の幅、領域が、新たに示した音楽世界といえる。”DOBLADO SAMBA”というボサノヴァ・ナンバーが見事今回のエレベーター・ミュージック的にドハマり。 この作品、全体的には雨上がりの森を探索しているような趣もある。かのビル・エヴァンスをフューチャーした”ゲイリー・マクファーランド・オーケストラ”(63年)の空気感に似ている。シアリングは新しい感覚を持つ若きアレンジャーのこの作品に大いに刺激されたのではないか。 PIANO,STRINGS AND MOONLIGHT THE MANY MOODS OF DAVE GRUSIN タイトル通り、ピアノ・トリオ・ウイズ・ストリングス。ジャズ廃盤マニアがエサ箱から真っ先にはじくレコード。しかし、ジャズ・ミュージシャン、陳腐なイージーリスリングにはなっていない。映画「アメリカン・グラフティ」でいうなら、大学に進む為に東部に出るアイビー学生が彼女と一緒に聞くようなレコード。 若きディブ・グルーシンの横で微笑む彼女の感じがいい。すごい美人ではないけれど、高校時代からのクラスメイトで恋人、彼のちょっとしたデリカシーのない発言に怒って離れたり、またくっついたりと、とはいえ仲睦まじいロン・ハワード扮するところのスティーブとローリーの関係。 さすれど、音楽的に、ここにある清潔感。それが、実に今回のエレベーター・ミュージック的にドハマり。 RHAPSODY IN BLUE CRAIG HUNDLEY これは昨年、2021年最後に買ったレコード。クレイグ・ヘンドリーは14才デビューした天才子供ピアニスト、子供がジャズなんかできるかい!、オレは認めないという世評のなか、これがビックリ、大人顔まけのセンス、技術。この時期に3枚あって、これが3枚目のレコード。 1曲目に”RHAPSODY IN BLUE”、7分35秒が本格派で聴かせる。天空に伸びる夜空の超高層ビルのエレベーター、あのピアノ・ソロが次第に盛り上がってきて、エントランスを突き抜け都市のまばゆいばかり光のカーペットが眼下に押し寄せる時、そこに、いっきにあのオーケストラがバーン!と入ってくる瞬間、となりの彼女を抱きしめますよって。 あくまでも、原曲のイメージで書いてしまったが、それほどかけ離れたイメージではない。クオリティは高い。途中、ジャージーになる部分があり、それがこの人の持ち味として聴くべきか。他に、バカラック・ナンバー”SOUTH AMRRICAN GETAWAY”、ライザ・ミネリ主演「くちづけ」の主題歌”COME SATURDAY MORNING”など選曲がいい。しかし、何度も言うことになるが、この時代のレコードはその時代の匂いがフィーリングが音溝に真空パックされている。それを針でなぞるだけで、嗚呼、その時代へとタイム・スリップすることとなる。 SERGIO MENDES THE GREAT ARRIVAL このレコードからは、ニール・ヘフティ、ボビー・トゥループでお馴染みのナンバー、”GIRL TALK”を是非、エレベーター・ミュージックとして推薦する。ここにある至高、究極のエレガンス。 琴 セバスチャン・バッハ 沢井忠夫 ![]() そのエレベーターから、”春の海”が望めればさらに言うことなし。 一流の場所、エレベーター、そのわずかな移動時間も我々はおろそかにしたいとは思っていません。小さなその空間に、落ち着きと、品格、洗練さを。それら音楽は、是非、信用と実績の私たちにお任せください。 日本エレベーター・ミュージック協会 てか。(初笑)さらに、てか。 #
by senriyan
| 2022-01-03 18:49
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Comments(2)
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