蕎麦屋BGMジャズ問題 |
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2018年 06月 15日
これまで人生、ハンバーガー・ショップより蕎麦屋を利用した回数が圧倒的に多い私である。 出先となればほぼ蕎麦屋である。蕎麦をかっこみ、汁をズズッとすすって、水をグイと飲んで、はい、ごちそうさんで現場に向かう。 そして、ステーキを食べた翌日なんてのも、蕎麦に惹かれる傾向がある。今日はゆっくり蕎麦でもたぐろうかなと。すると、出てくるのが、この蕎麦屋BGMジャズ問題である。それで、この問題、実は多くの諸問題をそこに連ねている。 まず、蕎麦とジャズは合わない。天井につられたスピーカーから流れるジャズ。オーディオんちであるからその辺のこと分らんが、スピーカーは床にへばりついていないとどうも落ち着かない。 そんで、流れるビリー・ホリディを聴きながら、いや、耳にしながら蕎麦をすする、こりゃ悪趣味だろ。 そのそれは、ジョガーパンツに雪駄履きのような違和感がある。何より腹が立つのは、何言っているんですか、お客さん、それがハイセンスなんですよと、店員の視線が語っていることだ。 蕎麦とジャズ、その関係性の出所。そのルーツは明確となっている。 時は、1962年、ファンキー・ジャズの寵児、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャース来日。日本が猫も杓子もファンキー・ジャズ・ブームに沸く。文化人もそれをしきりに持ち上げる。で、自転車に乗った蕎麦屋の出前持ちがジャズ・メッセンジャースの代表曲、オハコ、”モーニン"を口笛を吹き通り過ぎる。 でだ、その出前持ちが修行ののち、暖簾わけ後自分の店を持つ、店のBGMは、もち、ジャズしょ。ということだと調べはついている。 蕎麦と”モーニン”の関係性はそれだけじゃないないよ、蕎麦とジャズを愛好する百縁さん72歳は言う。 ”モーニン”のテナー知ってるよね” もち、ベニー・ゴルソンですよね "あの蕎麦をすする時の、スルスル、ズルズルって音あるでしょ、あれって、ベニー・ゴルソンのテナーの音そのものよ" たはは・・・、なるほど。確かに。 百縁さん、ベニー・ゴルソン嫌いなんですか? ”うん、嫌いでも好きでもない、みんな、そうなんじゃない” あ~あ・・、言っちゃった。 だが、そこまで見通していたとは、油井先生、今さらながら、リスペクト・イン・ジャズ! 昔は応募券を集めて送らなければもらえなかったこのレコード。今は、ユニオンさんでたまに見かける。このシリーズ集めようかな。帯付き美品高価買取。なんちて。 まあ、それで、そんなオシャレ蕎麦屋には近づかないようにしてるのだが、店構えはふつう、だが、入ってみるとこのパターンてのがある。 それで、このオシャレ蕎麦屋。さらなる問題が控えている。 作家椎名誠氏が自身の著書”殺したい蕎麦屋”でいみじくも語られているように。以下、ネタバレ注意です こういった蕎麦屋、蕎麦の盛り、量が圧倒的に少ないのである。それを椎名誠氏は”殺したい蕎麦屋”とおっしゃているわけなのである。これには私も同感の意をとなえるわけである。 その少ない蕎麦を店員がさも当然のごとく、しらっとした顔でもってくるのだ。 えっ、こんだけ・・・。 奥さんに伝えようとするが、店の中なので、あまり大きな声では言えない。 小声で伝える。おい、これだけだぞ、これっぽっち・・・。 えっ、何よ、 だから、”オマエ、す、く、な、い。の蕎麦が・・・” ”えっ、わかんないよ。何、言ってんの” ジェスチャーをまじえる。それでも伝わらない。 んで、店を出たところで、 オマエ、あの蕎麦の量、やたら少なくなかったか。 それが、言いたかったの、なんだ、お替りすればいいじゃない。 いや、そういう問題ではないのだ。いや、本当、殺したくなる。そうですよね椎名先生。 で、オシャレ蕎麦屋問題はこれだけではないのだ。どれだけ、この問題は根が深いんだ。 次に控える問題とは、実に蕎麦屋呑み問題である。 うん、蕎麦屋のアテでお酒を呑む。板わさとか、焼きのり、玉子焼きなど。 でも、これ24時間戦えますかのサラリーマンには、ちと、不似合いの気がする。どうも、アブラギッシュなサラリーマンに、そんなツマミ合わないのだ。 やはり、それは、枯れたご隠居さん、そうした世界にピタリ合うような気がする。我々が、ちと、日常のなかで、近所の書店で立ち読みする感じ。 うん、ご隠居さん、お店にとって居てもらわなければならない存在。だが、たいていのことは店のもんでまかり通る。だから、ご隠居さん、たまに、ふらっと何処かへ。えっ、湯布院、ハワイ、いや、いや、ご近所の蕎麦屋でして、そこで、ちと、一杯・・・。 問題なのは、そうしたことではない。 ウタダさん、知ってますよね。あの国民的歌手のウタダさんでして。いや、いや、ぼくは好きですよ。やっぱり、すごい才能ですよ。 で、そのウタダさんが、ですね、ラジオか、雑誌かなんかで言っておられたのですね。 ”ワタシ、日本に帰って来ると、お蕎麦屋さんで一杯飲むのことを楽しみにしています・・・。”みたいことを・・・。 うん、ウタダさんの言うことは、日本の若い女性にとって120パーセント正しいことである。 ということで、そうしたお蕎麦屋さんには、これまた、若い女性客が、ちらほら・・・。 で、そんなお蕎麦屋さんにいる、そうした女性。これが、ちと、違うのが。 一人客が多いのである。 つまりは、キャピキャピしてウルサイ感じではないのである。 派手ではなく、なんか、センスの良い服装に身を包みですね、たぶん、雑誌”アンド・プレミアム”とか読んでそうな方たち。教養もありそうで、職場でもそれなりの立場にあり、センスが良い感じの。 それで、ですね。 私が、カレー蕎麦とライスなんか、こんなとこ、来るんじゃなかったと、後悔の念、そんなオシャレ蕎麦屋でオーダーしつつ待っていると。 カウンターのとなりにそんな女性が座るわけです。 ちらっと、見る。視界に入る。いや、そっと、見てしまう。わけです。 女優さんでいえば、木村多江さんみたいな感じの方。 なんか、微笑みを浮かべながらメニューをご覧になっていらっしゃる。 店員がオーダーに来る。 ”いつもの冷酒をお願いします・・・” 日本酒といえば、キクマサしか知らない私。いつもの冷酒とはどんな銘柄なんだろ。つい、聞き耳を立ててしまう。 うん、こういったオシヤレ蕎麦屋、なんかアルコール関係は充実している。私が知っている店はテキーラまであった。蕎麦とテキーラ。なんすかこれ、芥川賞候補作品? それで、おつまみは、そら豆、鳥レバー、なんかをオーダーしています。いや、通だね。 店員がいなくなって、しばしの沈黙・・・。 場がもたなくて、意味もないのビジネス手帳を取り出す。ちと、渋い表情で・・・。 予定なんか何も書かれちゃしない・・・・。パラパラと真剣な眼差しで。 いや、あった。5月3日、新宿、欧州盤セール。 なんのこっちゃ、パタンと閉じる。 今度は、携帯を取り出す。ネットにつなぎ、お気に入り。 あなたまたレコード買ったのね、何々・・・、”その男レス・スパン。”アホだね、この男・・・。 はい、カレー蕎麦とライス大盛、お待ちどおさまでした・・・。 ちらっと、木村多江さんが、こちらをうかがったような・・・。 もちっと、カッコいいメニューにすれば良かったわい。 で、senriyanさん、美人が蕎麦屋の隣に席に座って、何か、問題でも・・・。 うん、なんか緊張して食べた気がしないんだよね・・・。 #
by senriyan
| 2018-06-15 22:36
|
Comments(2)
2018年 06月 03日
人間には表と裏がある。今回はそんな話しからはじめてみたい。 そんなのわかってるよ、白人ジャズ最高峰のゲッツの表の顔と麻薬依存症のジャズメンとしての裏の顔って言いたいんだろ。まあ、それもある。 上司に連れられて行ったキャバクラのホステスさんの昼のお仕事が幼稚園の保母さんだったりする。つまりは、昼は子供の相手をして夜は大人の相手をしているのである。 このブログを書いていることを私の職場の仲間は知らない。別に隠しているつもりはないが、あえて言っていない。誰も知らない。そう、これをお読みのあなたしか知らない。 ぼくに企業人としての表の顔があるとすれば、たぶん、このブログは裏の顔ということになるかもしれない。とはいえ、日本はタテマエ社会だと言われているとおり、昼の企業人としての私、ある意味その基準、マニュアルに基づいて行動している。時には気がのらない場面もたたでてくる。口から出る言葉は時に真意ではない。出るのはあくまでも企業人としてふさわしい言葉それを選んでいる。その選択は間違ってはいないと思う。ある意味正しい。が、その言葉にはどこか力がない。そう、それには魂がのっていない。 で、ブログのぼくに、気がのらない記事など書かない。書く必要がない。誰にも気をつかう必要がない。自由である。書きたいときに書きたいことを書く。アーゴのルー・ドナルドソンが好きだ。100パー本音である。 なんとなく私はこれを海賊放送のように感じている。そうメキシコの方向から流れる怪電波。もしくは、昼の暮らしは地べたを這うようにロクでもない、が、”夜の間なら、ベルゾニ山のふもとからバトン・ルージュまで飛んでいける。お日様が上がるまではオレの時間。” 今夜は、スタン・ゲッツ特集だ。たっぷり楽しんでくれ・・・。 んな、カッコいいもんでもないが。 スタン・ゲッツについておさらいしてみる。1927年にフィラデルフィアで産湯をつかり、下町ブルックリンに幼少時代を送り、性はスタンリー、名はガエッキー、人呼んで、サウンド、ゲッツと申します。 てなわけで、両親たちはすなわちそのルーツはウクライナ。ユダヤ人の迫害を逃れてアメリカに渡ってきた人たちである。労働者の家庭であるからして、それほど豊ではない環境に育ったゲッツであるが、13才の誕生日に父親からサックスをプレゼントされる。練習場は自宅の風呂場。そこで、ゲッツ少年、日がな一日、サックスの音を響かせたという。 面白いのは、風呂場に楽器を持ち込んでそのスタイルを確立したといわれているボサノヴァの開祖ジョアン・ジルベルト。風呂場つながりでもある彼らはこの何十年後に同じスタジオで邂逅する。この頃のゲッツ少年、そんなことなど知るよしもない。 ジャック・ティーガーディンのバンドに加わったのが、若干15才。つまりは、楽器を手にしてから2年ほどでプロになったということである。その早熟な天才ぶりもすごいことだ。 だが、ぼくの興味を強く惹くのが、ゲッツ少年、15にして大人の世界に入ったということである。両親に別れを告げ、一張羅を羽織り、楽器のトランクを抱え、早朝の柴又駅、いやセントラル駅に向かったのである。 ”スタンおめかしして何処に行くんだい” ああ、階下のマギーおばさん、ぼくは、ジャック・ティーガーディンのバンドに入ることになったんだよ。それで、明日からアメリカ中を回るんだ。お世話になりました。父や母をよろしく・・・。” ぼくは高卒であるからして、高校を卒業すると、すぐに近くの企業の工場で働いた。 だから、この年齢で大人の世界に入るということがよくわかる。憧れや期待、それを上回る不安、困惑というようなものが。 大人のシステムは完璧だ。そして、単純だ。そこに行ってある時間労働して賃金をもらう。それほど、難しい仕事ではない。高校の数学の授業のほうがよっぽどしんどい。作業のそれはキャッチボールのごとく簡単だ。 だが、すぐにだ、大人の世界、労働のつらさ、怖さというのが徐々にわかってくる。キャッチボールは延々と続く、いつまでたっても終わらない。キヤッチボールの相手はいつも気が合うやつとは限らない。ボールを落とすと怒られる。軽くひっぱたかれたりする。うん、セクハラ、パワハラなんて言葉がなかった時代の話しだ。 休憩時間はその緊張を紛らわそうとタバコを吸う。うん、学生時代から吸っていたさ。だが、そう大ぴらに。体重は48キロあるかないかで立ち上がるとフラフラする。吸わなければよかった。だがこの時点でタバコはもうやめやれない。 企業というのは人が集まってくる。集まると、なかにはヘンな奴も出てくる。人のミスを異常に喜ぶ奴がいた。ミスをすると、人の背後にニヤニヤ笑いながら近づいてきて、何も、言わずにケツを叩いて立ち去る。もちろん、これぞとばかりオーデエンスが集まった時を見計らって。3度目の時、カットとなって相手につかみかかった。回りはやれやれとはやしたてる。ようやく作業指導員に止められる。事務所につれていかれて喧嘩両成敗でこっぴどく叱られる。最初に手を出したのは、うん、オマエだな。いや、ケツを叩いたのはこいつで・・・。 そして、やがて、夜勤が始まる。夜の工場の門がダンテの地獄門に見える。 この時の感覚でいえば、ある日を境に、突然、大人の世界に放り込まれたという感覚が強い。少なからずもスタン・ゲッツもそうしたような、似たようなことを経験したのではないかと思う。 ジャック・ティーガーディンからは音楽のことはそうたいして教わらなかったが、酒をたくさんの飲むことは教えられたと語っているように、スタン・ゲッツはこの年にして、過度のアルコール中毒になっている。もちろん、ぼくもすぐに酒をあびるように飲むようになっていった。サッポロ・ジャイアンツを一瓶、毎晩空けるようになった。 そして、ゲッツはドラッグに手を出していく。 ぼくもその時代、そこにそんなものがあったらと考えると、とても恐ろしい。 だが、ゲッツの環境、世界にはそれが身近に存在した。 この頃のぼくたちの同世代の男子はみな、虚勢を張っていた。”リオ・ブラボー”のリッキーネルソンのように。タバコ、パチンコ、酒、ローンで買ったスカイラインGT、そして、夜の街の女性たち。オクテのぼくは週末の夜はレコード店まわりだったが。そうしてまわりは、すぐに、本当の大人になっていった。年上のジイのひょこひよこと歩く真似をして笑いをとっていた同期は、やがて、本当に、そんな歩き方をするようになった。 ゲッツはその時代、ステージでソロをとる時は、15才という年齢を忘れされるような確信と自信に満ち溢れていたという。だが、それにはドラッグの力が必要不可欠なものになりつつあった。 ”スタン・ゲッツ・プレイズ”、アップテンポの立ち昇る歓喜、バラードの静けさ、情感。この音楽を初めて聴くものがいたとしたら、そこにあるゲッツのソロにはすべて譜面があると信じるだろう。そのくらいに自然だ。だが、これが、すべて即興アドリブで作られているということを知ったとき、人は驚愕するだろう。ジャズというのはそういうものだということに。 そして、やがて、ここにある暗さ、影に気づくこととなる。ぼくは、ここにあるそうしたものが、ゲッツの裏の部分、ドラッグの影響下にある闇の部分から出るものとばかり思っていた。 だが、年齢をへて、少しづつ、それが、それとは別なところにあるんじゃないかと思いはじめるようになった。 そして、ゲッツ自身が晩年、あるインタビューの中で、まるで家庭の不快な秘密を打ち明けるように語ったという、この言葉を知る。 「ジャズというのはね、夜の音楽なんだ」 日本の社会がタテマエ社会であるならば、きっと、その本音が聞けるのは夜なのだろう。保母さんがホステスさんに代わる時間。夜の闇は悪いことを含めすべてを覆いつくし隠そうとするが、実は、本音こそを浮かび上がらせる。名刺にすられた世界がオモテなのか、本音を浮かび上がらせる闇こそがウラなのか。ぼくにはわからない。 ”スタン・ゲッツ・プレイズ”を聴くたびに、マッチ売りの少女を思い浮かべるようになった。 冬の寒い晩、誰もが、自分の場所へと急ぐとき、手を温めるようにしてマッチをすることで見る幻影・・・。その姿とはまるで、スタン・ゲッツの姿ほかならない。 マッチをするようにして、ゲッツはテナーを奏でる。このSPのフォーマットに対応したほんのわずかな時間がまさにそれだ。 そこに浮かび上がる風景とは、実はゲッツの憧憬そのものなのである。 もし、自分が旅回りのミュージシャンなんぞにならず、家庭はもう少しだけ余裕があって、高校をきちんと卒業して、大学に行って、恋人が出来て結婚して子供を育てて。 ”ニューヨーク・パパ”や”パパは何で知っている”のような父親像、イタズラをした息子にはお説教後は頭をなでることは忘れない、大型冷蔵庫、毎朝飲む牛乳のゲッツ、ペットとしての大型犬、ラッシーみたいなワンコがいいな、教会に通い、テキサス生まれの荒っぽいジャック・ティーガーディンとは違う人生を示唆してくれる恩師がいて、で、何より、自分がかって知らない、知識や教養、今住むこの世界とは違う、物の考え方、道徳感、そうしたものがあったならば、ドラッグなしに気分は高揚し、形のない不安は消え失せ、ソロを待つ間の緊張感はなく、嘔吐物がはりついたシーツはすべてランドリーに入り、虚勢をはることもなく、世の中のものがすべて美しく映ることだろうという憧憬・・・。そんな特別な人間ではない、普通の人間のとしてへの憧憬。 その憧憬は尽きることなく、これでもかと、湧いてくる。泉のように。そうさ、それは自分が一番欲しかったものそれにほかならないから。 それはまさしくスタン・ゲッツの本音、オモテの顔だろう。 で、”スタン・ゲッツ・プレイズ”から、ぼくが感じる暗さ、実にゲッツが憧れるその憧憬。結局のところ、それは、実のところこの世界に何処にもないという現実である。いくらゲッツが冬の晩に彷徨うとて、徒労に終わるその哀感である。 アンデルセンから200年か、相も変わらず大人の不合理な政治のせいで幼い命が犠牲になっている。マッチ売りの少女は今もあちこちにいる。 このレコードを聴きおえる感覚、それは、家族でディズニーランドに行って夕方、そろそろ帰ろかという雰囲気に似ている。夢の国からまた込み合った朝の通勤の車両に戻らなければなならいことを悟る時間帯。 生涯ゲッツは美しい言葉、美しい感覚でしか音楽を語ろうとしなかった。それが、ハナについた時期、年頃があった。 だが、今、この”スタン・ゲッツ・プレイズ”を聴くと、グッとくるものがある。 多くの同僚がまた工場を去っていった。その晩、お別れ会の飲み屋のカウンター、同期の友人は自分が思う会社の理想をこれでもかと語る。最後に残った二人。 その話しは、理想に満ち溢れている。間違ってはいない。ほんとにそうなったらステキだ。だが、あまりにも現状とかけ離れている。だから、上司がダメなんだよ、話しはいつまもでも終わらない。オマエもそう思うだろ、ああと、相槌を打つ。百回目か。 それで、ようやく、友人は席を立つ。 ”遅くまで、悪かったな。付き合わせて、オマエだけだよ、じゃ、元気でやれよ。明日も仕事だろ、オマエは帰れ、ここはオレが払っておく・・・。” それから四十年あまり、いつしかぼくはここにあるゲッツの音楽の美しさを信じるようになった。そして、世の中美しい音楽も山ほどあるが、ここにあるものはホンモノだとも思えるようになった。 なぜって、それは、その音楽には、仕事を辞めた日の晩に、そっと友人に語る本音のようなものが隠されているからである。 参考文献 ”意味がなければスイングはない” 村上春樹著 #
by senriyan
| 2018-06-03 17:19
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Comments(4)
2018年 05月 20日
相変わらずのジャズ古いレコードである。 スタン・ゲッツ・プレイズに心惹かれるのはなぜか。今回のテーマはそれである。 懐具合に余裕のある方、いや、お心に余裕のある方、ちと長くなりなますが、お付き合い願えればと。そんなふうに思います。 大晦日、マッチ売りの少女が飢えと寒さの果てにマッチをすることで見る幻影。それはお金持ちの家族が食卓を囲む団らん風景。テーブルのうえのごちそうだった。 だが、飢えているものにとってはどんな食材でもごちそうに見えるだろう。それよりも本当に欲しいものとは幸せそうな家族のその団らん風景そのものではないか。少女の運命がなぜか通り過ぎっていってしまうそのほんのささやかな温もり。 マッチをすることで見る幻影。それは金の延べ棒でもなければ、満漢全席でもなかった。アラジンの魔法のランプとは異にするその感覚。奥に秘めたそれは少女の憧れ、憧憬なのである。 その百年後の季節は同じ年末、場所はニューヨーク。 ゲッツ、ヴァーヴ期に入りそのサウンドはクール期からどこか丸みを帯びてウォームな質感を帯びてくる。 ドラッグからくるところの多重人格、サックスをとれば人間失格ただのイヤミなやつ、そんなゲッツでも子煩悩なところがあったのだろうか、それともスタイルの変化か、どこからくるのかわからないがその質感は確かに存在する。 思い込みが強い性格なのでこのジャケットをじっと見ていると、単なる親子のツーショットというより、なにやら中世の宗教画のように見えてくる。そう、宮廷音楽士が天使から神の信託を受けるその瞬間だ。天使は耳元にそっと囁く、オマエにその音楽の神の力を授ける・・・。 ぼくはこれを冬の寒い夜にそっと取りして聴く。人恋しさ、それはどこか赤ちょうちんを求めて彷徨う感じに似ている。 スタン・ゲッツを初めて聞いたのはこのレコードだった。ポリグラムの日本盤。 それまで、この人のジャズにあまり魅力を感じられずにいたのだ。ロリンズやコルトレーンのような黒人テナー・マンのアクを感じられずにいた。ぼくにとってのゲッツのそれはただただノーマルな音楽。 洗濯されて戻ってきたピシとのりのきいた白いワイシャツ。アップテンポのただ立ち昇る高揚感、いつも上天気。そんなイメージだった。アラバマに星落ちて、人種問題で揺れたアラバマ、ゲッツの曲ではそうした気配も匂いもない、ただ、美しいアラバマの詩情がそこにあるだけだ。 人種、宗教、思想、そうしたこの世のアクをこれでもかとしみ込ませた音楽こそがジャズでありながら、その感覚から最も遠いジャズ。気品があるといえばそれまでだが。若気の至りにあるぼくにはそうしたものはどうでも良かった。 スタン・ゲッツの音楽はどうかと尋ねられて、ジョン・コルトレーンはこう答えている。 ”我々が彼のように吹けるならみなそうするよ・・・” これはぼくの個人的見解でしかないが、その答えの奥には、世界がそのように美しく見えるなら、そう表現するよ、というニュアンスに感じられる。そして、我々というのは黒人たちという意味だと思っている。 録音データ A1.星影のステラ A2.タイム・オン・マイ・ハンズ A3.ディス・オータム A4.今宵の君は A5.恋人よ我に帰れ A6.身も心も B1.アラバマに星落ちて B2.私に頼むわ B3.サンクス・フォー・ザ・メモリー B4.東洋の賛歌 B5.シーズ・フーリッシュ・シングス スタン・ゲッツ(ts) デューク・ジョーダン(p) ジミー・レイニー(g) ビル・クロウ(b) フランク・イソラ(ds) 1952年12月12日、B3,B4,B5 12月29日、ニューヨークにて録音 僕らのグランツのためのファースト・レコーディングはスタンダード・バラードのワン・セットだった。それらは、当時のレコード業界に登場していたいくつかの新しいフォーマットのせいで、三種類の形態で発売された。マーキュリーからは78回転で、クレフ・レコードからは45回転で、ノーグランからは10インチ盤で。 (ビル・クロウ著 ”さよならバードランド”より) と、ビル・クロウさんが言うように、この盤のオリジナルをほしいと思うならば、このなかの三枚ということになるであろう。つまりは、SP盤、7インチ、10インチアルバムである。 しばらくして、ぼくはこの10インチを手にいれた。子供のキスのジャケット。オリジナル盤を最初に買いだした頃の一枚。当時の音、呼吸、息吹。ワクワクしたものだった。 この10インチ、A面は12月29日録音のB3,B4,B5 調べてみると、この10インチには、これとは別に、別のジャケットで存在していることが分かった。つまりは、デビット・ストーン・マーティンのイラストでサックスの絵柄の黄色いジャケットのもの。これにはなんと、A面、B面、1952年12月12日の8曲がすべて収録されているのだ。 この10インチのオリジナルは子供のキスのジャケットとばかり思っていたぼくはずいぶんとガッカリしたものだった。 どういうわけか、ぼくはこのレコードと縁がない。物凄く高価だったり、安けりや盤がガチャだったりする。というわけでいまだ持ってない。 だが、7インチがあるじゃないかと、不思議なものでそれは向こうの方からやって来た。 どうもジャケットがいただけないが。ゲッツの感じが古くさい。これには、A3、A4、A5、B1の4曲が収められている。これは嬉しかった。 A3の”ディス・オータム”だが、これはもう好きだ。ゲッツのテナー、ぼくには、深い秋、静まり返った湖に舞い降りてくる水鳥、そして、また羽ばたいていくその姿。静観と躍動、そうしたものをイメージする。 だが、この7インチにはもう一枚存在する。そのサックスの絵柄の裏面のジャケット写真が使われている7インチだ。ぼくは今だにこれを探しているが一向に姿を現してくれない。 で、肝心の音質だが、ぼくの持っている古くさいジャケットの7インチの方はそれほど、思うほど、ぐっとこなかった。それほど音圧があるわけでもなく、ゲッツのテナーがふくよかでも芯があるような感じでもなかった。 これは、分からん、もう少しいい装置で聴けば違いはでるのだろうか。 しかし、このスタン・ゲッツ・プレイズ音源探しの旅は終らなかった。 その後、この流れでいくところの、こんなものがあったのかと、驚くべき盤を見つけたのだ。 ”THE ARTISTRY OF STAN GETS”と題された7インチ。ヤッタ!、ヤッタ!と叫び廻りたかった。インディアンのように奇声をあげながら店内をぐるぐると。 これには、B3、B4、B5と未発表曲、”ハウ・ディープ・イズ・オーシャン”が収められている。このナンバー決してオクラ入りなるような出来ではない。恐らくだ、ノーマン・グランツはあえてちょこっとお楽しみをあとに残しておいたのである。だから、この曲に限っていえば、この盤が初出。オリジナルではないかと。 未発表曲が入ってるから、10インチアルバム買った人も、このシングルも買ってねと。よっ、この商売人!。 いや、ジャケ写真もカッコいいじゃないか。これはブルーである。つまりは、イエロー、グリーン、ブルーとなるわけである。もう、他にないだろうな。 それで、音質なのだが、これは、良いと感じた。ゲッツのテナーの質感が生々しく感じる。ただ、ただ、惜しむらむは12月12日のセッションに比べて、内容に何かが欠けている。そこにあったもの。その何かがわからないところであるのだが。 それから、ぼくは最後にこの12インチLPを買った。それで、すぐに、日本のポリドール盤との聴き比べを行ったわけである。 だがね、思ったより、ポリドール盤、音がいいのだ。盤は薄ぺらくペラペラである。さぞかし、ショボい引っ込んだ音が出るかと思ったのだが。なんか、よくわからない。この盤の材質が、日本のプレスが、このスタン・ゲッツ・プレイズという世界に合っているのか。それとも、長年聴いてきたせいで単に耳がその音感になれてしまっているのか。とは言え、これは灯台下暗しである。 (この盤を初めてお聴きになれる方にはこの日本盤をお勧めいたします) だが、いつか、デビット・ストーン・マーティンのサックスジャケ10インチアルバムを買った時にそれらは分かるだろう。お楽しみはこれからだ。 この作品、内容的には、ジャズ名盤100選などに入るような名盤の器ではないと思う。ビル・クロウさんの言うとおり、スタンダード・バラードのワン・セットである。練り込まれていない一発どりである。ゲッツという人はサウンドという愛称を持ちながら、所謂、サウンド・コーディネーターではない。つまりは、自身がサウンドとしての核となってしまうために全体が見えないところがある。 だが、ここではメンバーが違う。デューク・ジョーダン、ジミー・レイニーなどの達者ぶりが違う。スタジオに集まって、少しの時間、ああだの、こうだの、でこんな作品ができてしまう。そんなドキュメント的な匂いも感じられる。 スタン・ゲッツとビル・クロウさんの競演としてこの作品は初めてだったのではないだろうか。 緊張はあったのかも知れないが、実に、たおやかな、ビル・クロウさんらしい、人柄が滲みでるベースを弾いている。そして、また、この人、以外と頑固だったのではなかろうかという気がする。自分の気がすすまないことはしない。やりたくないことはしない。大きな欲はないが、しっかりと自分の居場所を確保する。その権利を静かに主張する。自分が自分らしく居られるその時、その時の最良の居場所を。そんなベースだ。”さよならバードランド”を読んで、サラリーマンの自分がいちばん羨ましく思ったのが、やりたくないことはやりたくない、その人柄と自由な空気感だ。 ビル・クロウさんをスタン・ゲッツのグループに紹介したのがジミー・レイニーである。さらには、このグループのピアノにはジェリー・カミンスキーという人がいたのだが、このレコーディング直前に自からグループを離れている。それで、次にスタン・ゲッツが声をかけたピアニストがデューク・ジョーダンというわけである。ジェリー・カミンスキーさんには悪くないのだが、この作品、嗚呼・・、デューク・ジョーダンのピアノなしには考えらえない。 そして、ドラマーのフランク・イソラはこのレコーディングの後、グループを解雇されるという事実がある。 レコード一枚とて、この辺りの人の巡りあわせも、いや、実に興味深いじゃないか。 で、ビル・クロウさん、実は本書にこの辺りに記述は少ないのだが。 確か、このレコーディングがスタン・ゲッツとビル・クロウさんの初めての競演録音ではないか。緊張感もあったと思う。だが、それ以上のものがあったことは間違いない。 寒い冬の午後だった。僕以外の人間には恐らくはなんでもない一日、記憶に残らないどうでもいい一日だったに違いない。僕はベースを担いで地下鉄に乗ってスタジオに向かった。地下から煙がもくもくと舞い上がっていた。皆、コートの襟を立てて、無口、足早にそれぞれの居場所に向かっていた。 スタジオでは、ノーマン・グランツとエンジニア、とりまきの人々がレコーディングの準備をしていた。僕は挨拶をおざなりにかわすと、簡易ストーブの前に陣取り、かじかんだ手をゆっくりと温めていた。 スタンと初めてあった夜のボストン、僕のベースのD弦がぷつんと切れてしまった。それは、どれだけスタンをガッカリさせたことだろう。今回だけは、そんな二の舞を踏むことだけは避けたかった。 昨晩のうち、弦は張り直してある、それで、チューニングに時間をかけるため今日は早めにスタジオに入ったのだ。 やがて、スタジオにメンバーが現れる。 ハイ、ジミー、イソラ、調子どうだい。ハイ、デューク。ツバをグッと飲み込む。それ以上の言葉は出てこなかった。 僕はこのグループに確かなベース居場所を見つけられるだろうか・・・。このベース楽器で。 ようやく、スタンがスタジオにふらりと現れる。そして、さらなる緊張感がスタジオを包む。 最初の曲、星影のステラがはじまる。 デューク・ジョーダンのイントロ、それに、スタンがテーマを吹きはじめる・・・。 それは、何もかも行き届いた清潔なそのホテルのエントランスに、スタンがぼくにそっと手招きしているようだった。ぼくは緊張感を忘れ、ただ、その音に酔った。感覚はしなやかに、穏やかに、敏感に、その感覚に同調していった。そして、ただその音に酔った。 曲の終わりで、全員がその音の余韻を、スタジオに残す時、僕は感じた。 スタンが清潔な白いカバーをまとった枕と毛布を僕に向かって放り投げることを。 そう、僕の居場所は此処だということを・・・。 (さよならバードランド、senriyan妄想編) 今回はここまでにしょう。 #
by senriyan
| 2018-05-20 21:56
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2018年 05月 06日
ハイ! ジョン・センリーだ。そっちは、国民総出のビックバケイションなんだろ。どうだい調子は。 どこの誰だ? ああ、もう一回やんのか・・・。 オレかい、ロスアンゼルスのジャズ・バーでジジババ相手にピアノの弾き語りをやってるよ。そう、吊りズボン、派手な太目のネクタイ、真空管アンプ、ぼっちいレコード集め、古い時代に後ろ髪を引かれ隊のジョン・センリーだ。 senriyanに言わせりゃ、ホーギー・カーマイケル命のレトロ、アナクロ、どセンチメンタル野郎ってことらしい。まあ、ロマンチストには間違えねえやさ。 昨日の昼のことなんだが、イタリアンレストランでメシ食ってた。店の奥にスクリーンがぶら下がってて、そこで、”ローマの休日”が無音でかかってんのさ。こじゃれた演出だってのは知ってる。そんな店に限ってメシはいまいち。だが、ああ、つい見ちまう・・・。 そんで、あの場面になる。そう、最後の記者会見のシーンだ。記者の一人が質問する。王女様、今回の歴訪でいちばん心に残った場所は・・・。王女様であるからして、どの国も場所も大変すばらしく記憶に残りました、なんて、普通であれば答えなくてはならない。だけど、一言、ローマ、とだけ答えるんだな。 ここらの脚本を実にいいね。余計なことは一切言わない、その必要もない。なんせ、頭のいい観客は、ラストでグレコリー・ペックの新聞記者とオードリー。ヘップバーンの王女様が一緒にならない、なれないことを分かってる。それで、この一言が実に効くんだ。 昔の映画は脚本家がウマいんだ。今みたいにダラダラ余計なセリフはない。 ようやく本題だ。 senriyanの依頼でオマエが今まで出会ったお宝レコード3枚選んでくれと。なんでも、知られてないレコード、人気のないレコードをとさ。 人気のないレコードったら、男性ジャズ・ヴォーカルもんじゃねえかって、すぐ、速答しちまったい。ああ、安楽椅子でパイプ吹かしてるトッチャンの趣味だ。まず、若いもんが好んで聴く音楽じゃない。 "THE SONG IS PARIS " JACKIE PARIS" 一枚目はジャッキー・パリスのインパルス盤だ。この一曲目がサイコーにヒップなんだ。ホーンのリズムが変わってるそれに、フルートがからみついてきて、で、歌いだしが、ヘイ・ベイビー~とくる。知り合いのジャズDJに聴かせたらブッ飛んでたよ。アレンジとコンダクターにボビー・スコットの表示があるのがミソなんだろう。蜜の味の人、だから、どこか違う。 この人のヴォーカルは、それほど、声を張り上げたりしない、バラードのとってつけたようなクサささもない、黒さもそほどない、派手さがないから玄人受けするとか言われる。ある意味シックである。だが、その塩梅が絶妙にいい。senriyanは、ヨコハマの組合とかいうレコード屋でこいつのプロモ、白ラベルをわずか800エンで手に入れたらしい。男性ヴォーカルの世の評価を思い知らされるエピソードだな。 "WAY DONT YOU DO(get me some money too!)” MARK MURPHY 二枚目は、マーク・マーフィーのなかなかのレア盤7インチシングルだ。こいつはちっと話しの分かるレコード屋から譲ってもらった。ああ、オリジナルは米リヴァーサイド、アルバム未発表曲。こいつはオランダ盤だ。 マークはどの時代レーベル問わず評価している。この人の歌のうまさは殺人級だ。毎晩、リビングでこの人の歌に殺されちまう。んで、これは実に、わっさ、わっさ盛り上がってくる実にゴキゲンなグルービーなナンバーだ。ただ、スタンダードなジャズ・ヴォーカルの基準から少し外れたところにある。だから、未発表なのかも知れない。それがゆえに、マニアはいっそう愛おしくなる。そうだろ。 "DEVIL MAY CARE" BOB DOROUGH 最後は、ボブ・ドロウ。この人は好き嫌いがハッキリしている。オレがこのレコードを探してると聞いてseriyanが送ってくれた日本盤オビ付き。オレはここになんて書いてあるか理解できないけどなんかこの盤への日本人の愛情がひしひしと伝わってくるよ。なんで、この盤を日本人が理解できるか不思議だよ。シブヤケイか。 イメージ的には、ボブ・ドロウ、ホリー・ゴライトリーの住むアパートメント、うん、日本人のユニオシさん、その上くらいに住んでる。そんで、毎晩、チャリー・パーカーのSPを轟音でかけつつ、なにやら、それに対しまくしたてている。 この感じは、ビート・ジェネレーションって感じかな。たぶん、ジャック・ケルアックとかに心酔したんじゃないかな。この人の部屋には賭けてもいい、”オン・ザ・ロード”の初版があるね。 で、ボブ・ドロウは間違いなく、ホーギー・カーマイケル・フオロワーだな。トム・ウエイツの前にね。この盤にもホーギーのナンバー、”ボルティモア・オリオール”が入ってる。これって、ムクドリという意味だと思った。 んで、オレは”デビル・メイ・ケア”を聴きながら毎晩、指パッチンならしながらキッチンに向かうは食事の後片付け。 うん、来年のバケイションには日本を訪れてみたいな。youは何しにニッポンに。ああ、ブルー・ノートのキング盤オビ付き、それにシンバシの回転寿司、あと、ソバ・ヌードルにも挑戦してみたい。フジヤマソバで。(多分、富士ソバのことだろ) ほら、ソバのうえに、ゲイシャがのってるやつ、違うな、ソバのうえにフジヤマか、違うな、ソバのうえにジンリキシャか、・・・。ソバのうえにスキヤキ、近い、なんだっけかな・・・。 #
by senriyan
| 2018-05-06 21:53
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2018年 05月 05日
今日はなんの日、子供の日 で、この間、子供の絵コンテストの審査みたいなこと企業がらみでやったんだけど、私、絵心ないのに大丈夫かって感じで。 それで、思ったんだけど、いや~、最近の子供って絵がウマいね。まあ、審査の対象になってるくらいだから、それなりのレベルのものばかりだと思うけど、それにしてもウマい。なかには、どう見てもお母さんとの共作だろってのもあるにはあるのだが。まあ、結論から言って、なんか、子供らしくない。それで、畑の一本道でお姉さんと弟が手をつないで夕日を見ている絵があって、それは、あまりうまくないんだけど、なんか思うところあって、それに投票した。 だが、私がガキンコが嫌いなのは、その純粋さをタテにしてるってとこだろう。大人はそんなものはなんの役にもたたないことを知っているから。その純粋さに二度と戻れないことも知っている。そうだね、18の時、家出した実家に戻るより難しい。だけど、ガキンコでありながらやたら上手い大人びた絵を描けてしまうガキンコはもっと嫌だ。つまりは、どう転んでも私、ガキンコが嫌いか。 とはいえ、子供の日。子供ギターリストのブルーくんの4曲入りEPを紹介しょう。 これは、何年か前、新潟のイケメンのお兄さんの店で買ったんだけど、すごい前衛的な音楽のレコードばっかでアワくって店出ようとしたところこのレコード見つけたというわけ。 この子、確かジャンゴ・ラインハルトの甥っ子というふれこみだったけど、ホントなのかなぁ。顔は似ているような気がするが。 だが、やはり天才の匂い、ぷんぷんと発している。というのも、ただギターを弾くだけじゃないのだ。ギターでフレーズをつらつらと弾きながら、その音階に合わせて、スキャット、それもハモッテしまうのである。 つまりは、あのジョージ・ベンソンが”マスカレード”でやってたアレを、それより何十年も前に、しかもキッズがやっているのである。 で、リアルなのは、それが手癖のようになっているのだ。たぶん、物心つくか、つかないかぐらいに親がギターを与えたんだね。そして、ただほっておいたら、何やらフレーズをつらつらと弾くようになるは、それに合わせてお歌も唄うわで・・・。でも、正式なレッスン受けてない。日本みたいにガキンコの天才を生み出すその先行投資の匂いがない。 面白いのが、”アイル・ネバー・スマイル・アゲイン”という曲なんだけど。なんかメランコリックなナンバーで、子供が眠りにつくまえに、ムニャ、ムニャ・・・、ってやる感じ。まさに、その感じなのだ。 プロデューサーのALAIN GORAGUERって、確か、フランスの大物プロデューサーだったんじゃないかな。それが、もし、狙いだったとしたら、う~む、恐るべし。 そんなわけで、このブルーくんのレコード、天才坊やによくある鼻につくところがない。うん、天才でありながら、なぜか、純粋な部分をそこなわずにいる。天才と純粋その間を、幼い坊やでありながら彷徨っているのかも知れない。そこが愛おしいと感じる。 で、つまりは、あるレベルの高技術で、農家の自分と同じ年ごろの幼い姉弟が一日の終わりにただ夕日を見上げる美徳のようなものを表現できる。もち、音楽の話として。 そのイケメンのお兄さんの情報によれば、このブルーくん、青年になってというか、大人になって、フリー・ジャズのギター・リストになったらしい。 そのレコードありますかって聞いたんだけど、今はないって、・・・。 いや、なんとも興味あるね。詳細確認中。
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by senriyan
| 2018-05-05 23:41
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