これは実に紛らわしいジャケットだ |
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2022年 06月 05日
私は下ネタが嫌いだ。それを何気なく口にすることは不謹慎だと思っている。
居酒屋などで、そうした話題で盛り上がるグループのテーブルを見かける度、冷めた視線を送つてしまう。 このブログとて、女性の方が見てくれているとは思ってはいないが、何かしらあって、女性の目にふれたとしても嫌悪な気持ちにならないように努めている。 だが、だがだ、このアンドレ・プレヴィン先生のレコード・タイトル、”キング・サイズ”とはいったい何を意味してるのだろうか。 この特大、という意味はどこからくるものだろうか。 ANDRE' PREVIN'S TRIOJAZZ KING SIZE! 何か、そこから、もしや、まさかな、という気持ちが、何処からともなく漂ってくる。そう、私が忌み嫌っているその何かが。 コンテンポラリーの動物ジャケット・シリーズのなかでは、やや精彩にかけると思われるこの人の良さそうな、闘争本能ゼロ、やる気なしのライオン。バス旅の蛭子さんのような。果たして、このライオンとそのタイトルは関係があるのか。 もしや、もしやだ。日本でいうところの、馬、それがあちらでは、ライオン、獅子となるのか。いや、まさかな。 そしてだ、私は、アンドレ・プレヴィン先生に対し、ネットで、定かではない、真偽を確かめようもない、まことしやかな情報を得る。それによると、プレヴィン先生、生涯、数回にわたる結婚生活を経験し、ここに書きずらいが、夜のほうは、ことのほか絶倫だったという。 いや、いや、考え過ぎだ。 だがだ、そっちの方に強い男性とは、このライオンのような、いがいと、人の良さそうな、闘争本能をむき出しにしない、ホンワカしている人がそういう人ではないのかと、ふと思ったりする。”すんません、早上がりさせて頂きます。今日、女房の誕生日なんですわ・・・” 最近、ウチの夫が凄いんです。 絶倫28号。 いや、いや、考え過ぎだ。 そして、ここで、私は、改めて、このジャケットを手とる。 すると、私は、このライオンの尾の方に目が止まる。 なんだ、この尻尾が、ピン!とはったこの感じは・・・。 いや、いや、考え過ぎだ。 冷静に考えよう・・・。 キング・サイズというタイトルは何を意味しているか、だ。 だが、この何を、カタカタにするだけで、キング・サイズというタイトルは”ナニ”を意味しているか、って、おい、やめなさい。 かって、浮気がバレそうになった先輩、深夜の二時に奥様につめ寄られて、弁明したかっての言葉。 ”つまり、いろいろ忙しかったわけ、そんでさ、ことの事情で、ナニが、ナンデ、だよ。しょうがないから、ナニしたわけだよ” このナニが、奥様のかえってゲキリンにふれたというわけ。 ダメだ、ダメだ、何を考えても、下ネタに思えてしまう。 夜の営みって、古いな~。別に、深夜営業って話しじゃない。 浜松名産、お菓子「うなぎパイ」のキャッチコピーが、夜のお菓子だったが、それには深い意味はないらしい。家族団らんのお供にと、だがだ、うなぎと夜、社長、アータ、しらばっくれっちやいけませんぜ。 下ネタで笑わせるようになったら、コメディアンおしまい。 罪のない、若い女子の言い間違えに、下仁田ネギを下ネタネギ、越中ふんどしをエッチ中、ふんどしというのがある。職場の若いパパが言っていた、最近、年頃の若い娘がヘンな事、質問してくるんですね。クラスの男の子がふざけて言ってるのを聞いてなのかな。だから、ボク、そいう時は、ママに聞きなさいって。 それだで。 ここから、私ネットでマジ調べました。どうやら、最初は、第二次世界大戦中からある、インドの煙草の会社、Regent Cigarettesという煙草のパッケージ、(しっかりとした箱型)それに表記されている惹句が、KING━SIZEだったと、というのが見つかりました。 どうやら、そのタバコ1本の長さが、標準のものより20%長かったということ。だから、キングサイズ。で、箱に入っているからタバコがつぶれない。高級感。さらに、Regent の意味が、王の代理ということで、王室御用達のニュアンスを含んでいるらしい。 つまり、このプレヴィン先生のレコード・ジャケット、絶倫ではなく、何より、そうした王室的、高級感、ムードを表したものだと言えるわけだ。 だけど、ほんとかな~。 そう思い直しつつも、 このライオンさん、小さいお目目を、ひとさし指と中指で隠してみるとですな、なんと、ライオンさんそのものが、男性〇にしか見えないという・・・。 アンドレ・プレヴィン・ファンの方から怒られるな。 今回、アホな事ばかり書いて内容に触れませんでしたが、冒頭「パリの4月」から、嗚呼、素晴らしい。プレヴィン先生、バド・パウエルのルースト・セッションを何度も聴いたのではないだろうか。 しかし、紛らわしいジャケットですなって、オマエ、senriyanの邪念がいけない。 確かに。 #
by senriyan
| 2022-06-05 18:05
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2022年 05月 29日
ジョン・レノンとオノ・ヨーコによる1960年終わり頃からの前衛活動、パフォーマンスは当時、中学生の頃の私にとってひたすら難解であった。
だが、現在、時をへて、なんというか、ただ、それをあまり難しく考えることなく、ただ純粋に受け止めるべきなんだという認識に変化した。何しろ、やっている本人たちこそが真に音楽家、芸術家の前に超純粋人なのだから。 だから、すなわち。 あの「ベットイン」は当時のベトナム戦争なんてやめて恋人とベットでイチャイチャしようよであり、「ウエディング・アルバム」という箱ものボックスセットは二人の結婚式の引き出物であり、映画「ジョン・レノンの私の戦争」はモンティ・パイソン版、西部戦線異状なしであり、プラスチック・オノ・バンド「ジョンの魂」は日本の純文学への探求であり、例えば、「マザー」なんてのは、日本文学の作家先生は実にマザコンが多く、幼い頃に実の母親と引き離されて乳母に育てられたとか、私は母を愛していたが、母親は私を必要としていなかったとか、三島由紀夫の「午後の曳航」とか、曲がはじまるや、レノンが「マザ~♪」と絶叫するわけだが、男の子が母親を呼ぶ時は、マミー、ママー、であったりするわけで、マザーはないと思うのだ。すなわち、母、母上様に近い感覚、これを、日本文学的と言わずしてなんというかであり、さらには、「労働者階級の英雄」はプロレタリア文学であり、「愛」は高村光太郎的であり、「神」は難しいが、遠藤周作のアレか、いや、考えすぎだ、もっとシンプルに純粋に、あれは歌詞そのもとととらえる。 それで、この「未完成 作品第二番」この前衛の極北的な作品これをどう捉えるかなんだけど。今、この作品を知る由、若者はどれくらいいるのかと思う。別に知らなくてもいいんだけど。 とにかく、A面一面26分43秒に渡って繰り広げられる”ケンブリッジ1969”のパフォーマンスがなんとも凄い。これは、一体、どんなレコードなんだと、恐る恐る針をおとして、ビックリした中学二年の頃を思いだす。内容は、ただただシンプルに、オノ・ヨーコのヴォイスとジョン・レノンの伴奏ともつかないギター、それだけである。 ただ、そのヨーコのヴォイスそれが、ホラー映画も驚愕する度肝抜かれる特異な変質的ヴォイスなのである。私は、これを中学二年の頃に出会ったわけであるが、その衝撃度もさることながら。以来、このヴォイスについて、ある的確な表現を用い書かれた文章に出会った事はない。一体、これはなんなんですか。 まず、ある意味無垢な少女的である、だが、女性、決して、男性には理解し得ない、女性の生理的な、匂いたつ何かが、むせ返るような何かが、これでもかと、叫びのように、いくども反芻される。ひたすら、尽きることなく。それが、延々、26分43秒間、続く。祈りなのか、抗議なのか。女性を力づくでなんとかしょうなどという輩は、このヨーコさんのヴォイスパフォーマンスを聴いてただただおののけ。 そして、それを支えるジョン・レノンのギターであるが、これが実に、フィードバック、エフクト処理を多用した、いや、それしかない、そんなギターなのである。 で、このギターの感じは、私、聴き覚えある。そう、ここで、聴かれるそれは、あの日本フリー・ジャズ初期の名盤、富樫雅彦さんの「ウイ・ナウ・クリエイト」の一曲目、”フィードバック”で聴かれるギター、高柳昌行さんのプレイにソックリではないかと。もちろん、高柳さんが、このジョン・レノンの作品を聴いて、どうのということはさすがにないと思うのだが、「未完成 作品第二番」と「ウイ・ナウ・クリエイト」はともに、1969年の作品なのだ。これはいかに、偶然の一致か。 今は、オリジナル廃盤、レア盤が、レコード店の花形、代名詞と呼べるものだが、かっては、直輸入盤というフレーズに胸をときめかしたものだった。 最近、私はふと、そうしたレコード輸入盤店で売れ残っていたオノ・ヨーコのソロ作品のジャケット思い浮かべたりする。私はそれらを今だに聴いていない。 だが、この頃の一連のジョン・レノンとオノ・ヨーコの前衛的パフォーマンスを思い出したりする。それらには、何か、胡散臭い何かが漂っていたことも確かだ。 愛と平和、それを声高に語ることは、何か、そうしたムードを誘発する。 ジョンとヨーコのベットインあのパフォーマンスの意味はどこにあったのだろうか。冒頭、私の書いたような意味なのだろうか。 憂鬱な雨の月曜日、ウソの連絡をして仕事をサボる。心配した恋人が仮病とも知らず、男のアパートを訪れる。が、そのまま、ベットイン。雨の日のセックス。数回の行為、その間、ベットでただダラダラと過ごす。テレビのニュースが海の向こうの戦争を映し出す。その後、芸能人の不祥事と、どうでもいいニュース、夕方、まんがキッドボックス、ハンナ・バーベラのアニメ、クマゴローこと、ヨギ・ベア。彼女が背中のブラのホックをとめながら言う、「明日は会社に行きなさいよ・・・。」 だが、なんというか、時を経て、思うのは、この頃のジョンとヨーコのなんというか、傷だらけの痛々しいまでの純粋さだ。 そして、こうしたパフォーマンスには愛と平和を唱えながらもある種の毒とマリファナの匂いがある。と、思う。マリファナ、いや、私、しんせい、わかば、ゴールディンバットしか知りません。 うん、その毒とは、結局、あの頃の、ハンブルグの港町、皮ジャン、リーゼント、ロックンロールを心酔する若者の反抗心、傷だらけの栄光、ロック魂、その延長線上にあるような気がしてならない、オレ。 雨の月曜、仕事をサボっての恋人のセックス。綺麗ごとの反戦、それより何より、反戦として、とにかく、ひっかかるね。 #
by senriyan
| 2022-05-29 20:46
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2022年 05月 22日
ANDREW HILL COMPULSION!!!!! この人は、毛色の変わったバップ系ピアニストから新主流派ピアニストというところで大まかに認識されているのだが。 当時私はこの作品を聴いてとにかく驚く。これは、もう完全なる怒涛のフリー・ジャズで、その衝撃たるや、一人で聴いていると怖くなってくるくらいだ。 いや、これほどの衝撃を持つ音楽というのは、そうはない。ジャズ史上、いや全ジャンル通して、その衝撃度、という点においてまごうことなく3本の指に入るのではないか。 パゾリーニの映画ポスターのようなジャケットがまず強烈だ。Cover Photo and Design by REID MILESとあることから、ジャケ写真はブルー・ノート選任デザイナー、リード・マイルスのもの。この人は、ジャズにまったく興味がなく、作品、その音を聴くことはなかったとされてるが、どうだろうか。この感覚、これはこの作品を聴いた者でなければ表現しきれぬパッションをまとっている。 セシル・マクビーのベース、ジョー・チェンバースのドラム、これらのミュージシャンはいわゆるフリー・ジャズ畑のアーティストではなかったはずだが、重い、時に浮遊する感覚を叩き出す。それに、NEDI QAMAR、RENAUD SIMMONSという二人のアフリカ系パーカッションが屋台骨を支える。そのそれにだ。アンドリュー・ヒルがピアノの鍵盤を打楽器ごとく叩きまくる。そんなリズム・セクションに、どういった人選があったのだろうか。サン・ラー・アーケストラ、番頭格のジョン・ギルモアがテナー・サックスとベース・クラリネットで加わる。ブルー・ノートのカタログのなかで、この人の名前を聞くことはあまりない。もしかしたら、かのクリフ・ジョーダンと共演した”Blowing In From Chicago”以来ではないか。 このジョン・ギルモアの参加によって、この作品はあたり一面に砂埃がたちはじめる。太古、鄙びた、枯れ木、ひび割れた地面、このテナーから、そうしたものをイメージする。 フリー・ジャズと十把ひとからげにするのは問題だが、おおまかにいって、フリー・ジャズには地に足がついているものと、浮遊しているものがあると思う。浮遊しているものとしての代表が、オーネット・コールマンで、そして、このアンドリュー・ヒルの”COMPULSION!!!!!”も浮遊しているように感じる。 私にとってそれは、小さい惑星が、地上よりふわりと浮かんでいるような感覚を受ける。未来惑星ザルドス、もしくは、ハウルの動く城か、ローマ帝国時代、アフリカ貿易の道標、馬車の砂埃。入り乱れる言語。そして、それら描かれた油彩のキャンバスをフレディ・ハバードのトランペットが切り裂いていく。この人は、なぜか、サイド・マンとして、驚くべき真価を発揮する人でもあるが、間違いなくこの作品でもベストと称賛できるいくつものソロを聴くことができる。 アンドリュー・ヒルのピアノはハンマー奏法だけではない、時に、耽美的な表現をおりまぜる。それが、哀切な表現ともなう。そう、叩きつける表現に、怒りを、そして、耽美的表現に哀しみを表現する。 アフリカ望郷、回帰、としても、そのそれは、現在、私が知っている所謂、アフリカ音楽とは異質なものとして感じる。その落差が、故郷、ただ果てしなく遠いものとして感じられる。だから、ただ彷徨うのみである。ここではない、どこか。 アンドリュー・ヒル、思うに、この作品は、黒人社会、歴史、その叙事詩のようなものを表現したかったのではないか。 1960年代の終わり、なぜ、このようなジャズ作品らがリリースされたのだろうか。単にジャズの行き詰まりなのか、終焉、その最後のもがきなのか。 こうした、もはや、既存の音楽概念を超えた、ある意味、リラックスすることのできない音楽。それまでのアフター・アワーズに機能しない、音楽は音を楽しむと書いて音楽だが、果たして、これを楽しむことができるのか、それは、もはや、音楽としての音楽ではない、音楽。 そうしたものが、なんの違和感もなく、当時の町の小さなレコード店に商品として並べられ売れていたという事実。 この作品が作られた1967年にはデトロイト暴動があった。アフロ系アメリカ人と警官の小競り合いは、やがて、数千人の暴動へと発展した。そうした背景があることには間違いない。さらには、1955年から始まったベトナム戦争が次第に泥沼化していく。 音楽を政治に利用する、思いを重ねる、やり方は、好ましくないという意見もある。あるが、あるのだが、どうしても、音楽は、音楽の方で、どうしてか、その時代の空気を吸う。吸収してしまう。反映する。 この当時、時代背景もあってか、こうした尖った音楽が産み落とされた。これは、当時、どういった人々が聴いて、どのような形で支持されたのであろうか。所詮、一時のムーヴメントに過ぎなかったのであろうか。 だが、こうした文化の尖った感覚は、何も、ジャズ界だけではなかったはずだ。仏のジャン・リユック・ゴダールはジガ・ヴェルトフ集団を結成し政治的な映画製作に乗り出したのもこの頃であるし、伊のミケランジェロ・アントニオーニや、ピエロ・パウロ・パゾリーニなど商業主義とは無縁の作風の作品が次々と発表され内外で熱い論議が交わされた時代。それらは、どう考えても、音楽に映画に、娯楽、安らぎを求める作風ではなかったはずだ。いや、音楽、映画ばかりではない、文学、美術、芸術そのものが異彩を放っていた。世界に対しプロテストしていた。そう、あの頃、時代は尖っていた。 ここ最近、積極的に音楽を聴くになれない。一人、オーディオ・ルームで長時間、音楽を聴くという行為に、時に、息苦しさを感じることもあることは、日々の体験としてわかっているが、そのもっと顕著な感じに見舞われている。音楽を聴くということは、自分にとってもはや趣味の世界を超えている。生活の一部。生きるうえでの糧でもある。だが、結局、レコード・ラックの前で、何を聴いていいのやら、ただ、ボーツとする。何より、聴きたくない種類の音楽がある。音楽に罪はない。あえてそのタイトルはさける。とはいえ、何も、こんなご時世に、このようなレコードを聴かなくとも、近所迷惑考えなよと、人は思うだろう。 この頃、フリー・ジャズと言われるような作品を聴く。それも、白人のそれより、黒人の方が気分だ。ほどほどの音量で。難解でもある。一筋縄ではいかない。本レコードは、この記事を書くために、A面、B面続けて二回づつ聴いた。そして、いつものように、かくたる疲労に見舞われる。だが、その疲れは、悪くはない疲れである。 #
by senriyan
| 2022-05-22 19:14
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2022年 05月 14日
ORNETTE COLEMAN THE EMPTY FOXHOLE 子供がドラム、そんなのイヤだよてんで、生粋のジャズ・マニアから敬遠されているのかジャズ人気即売れのブルー・ノート作品であってしても、売れ残っている率が高いレコードでもある。 4月のあたま、私もかなり安い値段で買うことができた。よくみると、ジャケットのすみにLIBERTYの表記が、盤はNEW YORKラベル、だが、耳マークなし。店員さんに調べてもらったのだが、これでオリジナルらしい。気を良くして家に帰る。 子供がドラムとて、オーネット・コールマンのアルト(他ヴァイオリン、トランペット)チャーリー・ヘイデンのベースのトリオ編成、これは、ゴールデン・サークル等、数々の名作、パフォーマンスを産んだオーネット・コールマン・トリオと同じ編成なのだ。この時代、このバンドのベースの座にはディビット・アイゼンソンがいた。だが、この話しがあった時、アイゼンソンは「オマエのところの坊主がドラム? やってられるか」と、レコーディングを降りたと言われている。そして、その席に、オーネットの旧友、チャーリー・ヘイデンが6年ぶりに参加するという経緯をたどる。 だがだ、結論から言って、驚くべきことに、このドラム、悪くはないのである。正確なリズム、ドラムの基本、シンコペーション、いやそういうことではない。いきなり、その辺りのガキンチョにドラムを叩かせてみても、こうはならんだろうという立派な音が飛び出してくる。技術、いや、そうではない。リズムに対する圧倒的な感覚、適応力というようなものか。”Good Old Days”なるナンバーが、カッコいい。ヘタなパンクのドラムが唖然とするくらい、これほど、尖がっていて、奔放、自由、ある意味無責任なドラムもそうないだろう この作品をどうとらえるのか。答えは簡単であろう。これは、そのまま、音楽的、父と子の会話なのである。この作品は、打ち合わせ、リハーサルをえて、レコードディングに臨んだものだとという話しを聞いたことがある。そういえば、ブルー・ノートはレコーディングに関し、アーティストに事前のリハーサルの時間をもうけ、軽食を出し、その時間に対してのギャラも支払ったということは有名な話しであるが、この作品でもその慣例は行われたであろう。ディナード少年の軽食にはお菓子付きで。 ライナー・ノーツには、オーネット・コールマンによる各収録曲に関する短い詩が載せられている。例えば、こんな感じだ。 EMPTY FOXHOLE 空虚な狐穴 地面に寝ている男 死から逃れたい 子供たちのことを考える。そして、愛する人たち 魂を葬るのではなく、穴の中に、 そのライト(軽さ)はまだ存在していない これは、このレコーディング後に曲のイメージに合わせ、感じて、コールマンがしたためたものか、はたまた、レコーディングの初めから用意されていたものか。 私は、後者であると思う。これら一連の詩をコールマンが書いた。もとからあったものか、それとも、このレコーディングの為に即興的に書かれたものかは分からないが。それを、息子、ディナードに語り、読み聞かせた。曲はこの詩に基づいた形で、イメージされ、演奏されたように、思う。この難解な詩を、10才の子供がどこまで理解できたかはさだかではないが。 この曲は、オーネット・コールマンはトランペットをプレイする。そういえば、軍隊の消灯ラッパ、戦いすんで日が暮れて、というイメージ。それに答える、ディナードの静かなマーチ風のドラムといった楽曲である。 このことから、この作品は、オーネット親子による、トーン・ポエム集という見方が正しいのではないか。 ベースのチャーリー・ヘイデンは、ほとんどその個性を表すことなく、無地のキャンバスのごときプレイに始終する。あくまで、主役は、オーネット親子なのである。 こうして、この作品は、オーネット・コールマンの英才教育によって、恐ろしいほどの可能性を持った作品が仕上がった。ドロドロした混沌したフリー・ジャズをイメージしてこのアルバムをリクエストしたかってのジャズ喫茶の常連も、ここにある奔放さ、ある明快さ、遊び心を持った無限の可能性に虚を突かれたことだろう。 オーネット・コールマンの代表作に「タウン・ホール1962」というのがある。その一曲目が「Donatus」という曲なのだが。このドーナツも、オーネット・コールマンの創作活動において、ふと、ふってきたものなのだろう。 なぜ、ドーナツなのか、というのがまずある。おやつの時間だったのか。だが、この楽曲を聴いているうちに、いつしか、ドーナツを超えて、不思議な感覚を憶えていくことになる。ドーナツの穴、それは製造工程上、ある意味を持つものだとしてもだ。この空間には何か特別な意味が潜んではいないか、ドーナツの穴、それに固執しながらも、ドーナツを食べ終わってしまえば、そこにあったはずの空間は、今や、もはや、虚無に吸い込まれようにして消えている。そんな思いのなか手についたシュガーをペロペロと舐めてみたりする。そして、思うのは、ドーナツの穴とは、ただの空間とはいえ、ドーナツという存在があることによって、恐ろしくも意味深いものに飛躍するということ。もしかしたら、レコーディング、そんな詩を携えて、オーネットはスタジオにあらわれたのではないか。 で、私はふと思ったのだ。もしかしたら、オーネット・コールマンのレコーディングとは、このように、曲をイメージした、詩のようなものが作曲者オーネットによって読まれ、または、書かれたものがメンバーに渡され、そうした意思疎通のもと、レコーディングが行われたのではないのかと。 これにはなんの根拠もない。ないが、作詞が先か、作曲が先かといった場合、オーネットの場合、まず、なんらかのイメージが、情景が、自身に降りてくるところから始まるのではないかと。彼はそれを、短いセンテンス、文章にしたためることができた。そういった才能があった。そんな気がする。 ”The Shape Of Jazz To Come ”「ジャズ来るべきもの」 アルバム・カバーには、プラスチック製のアルトを抱え、地味なセーターを着て、どこか自信なさげな表情を見せる黒人青年。 当時、先輩格のジャズ・ミュージシャンに、ヤツの音楽は、ただのハッタリだよと、という思いを抱かせるにこれまた充分なイメージを持ったジャケットであるが。 私は、このタイトルとここに写るオーネットは、ある意味、戦略だと思う。もちろん、これがハッタリでないことはオーネットの後の評価がそれを証明しているが。ハッタリとしても、それは、ある意味、真っ向勝負、正当的なハッタリだと思う。 だが、その内容、どうあれ、ここに地団駄踏んで、悔しがった大物ジャズ・ミュージシャンが一人いる。 それは、誰あろう、マイルス・デイヴィスその人ほかならない。 ”The Shape Of Jazz To Come ” もし、このタイトルがモード・ジャズの幕開け、歴史的名盤「カインド・オブ・ブルー」に使われていたらどうだろう。オーネットのそれは、ハッタリと捉えられても、マイルスの元ならば、それは冠となり称号ともなりえたのではないか。 また、オーネット・コールマンの4作目タイトル ”This Is Our Music” 「これが我々の音楽だ」などというのはキャノンボール・アダレイ・グループに在籍していたチェコ出身(6/5訂正:オーストリア、ウィーン出身)のジョー・ザビヌルを招いて作られた「イン・ア・サイレント・ウエイ」にふさわしい気がする。さらには、”Dancing In Your Head”や”Body Meta”などというのは「オン・ザ・コーナー」の感覚そのものだろう。 こうしたタイトルを風の噂で耳にするたびに、マイルスは歯ぎしりして、悔しがったことだろう。オーネットの新作が出る度に「ヤツの今度のタイトルはなんだ?」側近に聞いてまわったに違いない。 アルト・サックスのほか、テナー・サックス、トランペット、ヴァイオリン、そして、絵画に手を染め、さらには、詩の創作を行う。この男は芸術的に実に多彩なのだ。 そうしたことが関係しているのか、音を視覚化するということにおいて、この男、オーネット・コールマンとマイルス・デイヴィスがジャズ界、いや、音楽界で双璧だと感じる。 世界の文化芸術の普及向上に広く寄与したいという意思のもと創設され、絵画、彫刻、建築、音楽、演劇/映像において、優れた功績を残した文化人に対して授与される高松宮殿下記念世界文化賞。この男が2001年に音楽部門において受賞されるのもダテではないのだ。 #
by senriyan
| 2022-05-14 18:23
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2022年 05月 03日
Meditations John Coltrane こういうレコードを昨今のジャズ・バーなどで大音量でかけたら、次の日から客の姿が消え閑古鳥の日々か、はたまた、評判を聞きつけた好事家が全国から集まり連日盛況か、そのどっちかだろう。私の場合、これをマンションで大音量でかけたら、即、パトカーのサイレンが聴こえてくるに違いない。だが、このレコードは、人の眼を気にしながら、ひっそり小音で聴くような音楽でもないだろう。 そういや、こういう作品が、かってジャズだった時代があった。ジャズとはこういう作品のことを言っていた時代が。 録音はもちろん、ルディ・ヴァンゲルダー。これが、はらわたにズンとくるようなまた凄い録音だ。ルディ・ヴァンゲルダーその録音芸術が頂点にあったインパルス時代、この凄まじいと表現するよりないこの演奏をどういう思いでテープに記録したのだろうか。 そのそれを、ジャズ喫茶のそびえ立つように鎮座する大型スピーカーでお約束の大音量で聴く。私語厳禁、いや、話ししたって聞こえません。それをみな、腕を組みうつむくような姿勢で一音も聞き逃すまいと長時間、シートにへばりついていたものだった。 としても、ここにある音楽、それが、何を表現しているか、一体どんな意味があるのかを理解している人間は少なかったと思う。私を含めて。だから、その意味を探ろうと、ジャズ評論などを読んだりする。だがだ、そのジャズ評論こそが、難しい、難解。さっぱり理解できない。だがそう、この頃のジャン・リュック・ゴダールの映画とジャズ評論はひどく難解ではあったが、何よりカッコ良かったと言いたい。 コルトレーンはなぜファラオ・サンダースを必要としたのか。その前に、本作品メンバーを記しておきたい。 ジョン・コルトレーン(ts) ファラオ・サンダース(ts) マッコイ・タイナー(p) ジミー・ギャリソン(b) エルヴィン・ジョーンズ(ds) ラシッド・アリ(ds) つまりは、2テナーのほか、2ドラムなのである。 この日、エルヴィン・ジョーンズはスタジオに遅刻したと言われている。そこに、ドラム・セットが2台置かれていた。いぶかしがるエルヴィン。そこにあらわれたのが、自分より9才年下のラシッド・アリが・・・。何だコイツは、とエルヴィンそう思ったに違いない。 なぜ、ここにラシッド・アリが必要なのか、当時、ジャズドラマー世界屈指のエルヴィン・ジョーンズがそこにいるというのに。複合リズムその大家、つまるところこの男一人が叩き出すリズムでその音場は隙間なく埋め尽くされるのだ。この起用に若い頃の私も疑問を持ったものだった。 そしてだ。ファラオ・サンダースの存在である。この男は何処から来たのか。湯浅学さんの「てなもんやSUN RA伝」のなかに興味深い記述がある。 ”ホームレス同然の生活をしながらテナー・サックスを吹いていたファレル・リトル・ロック・サンダースに、サン・ラーは服を買いあたえ、次第にアーケストラに引き入れていった。サン・ラーはこの男に”ファラオ”と名乗るように勧告した”とある。 ここから、ジョン・ギルモア等、サン・ラー・アーケストラ主要メンバーの才能を見出したサン・ラーの眼の確かさと面倒見の良さがよくあらわれた人柄が浮かび上がる。 これが、1964年の話しであって、その後、ESPにリーダーアルバムを一枚、そして、1965年、一年足らずで、ジョン・コルトレーン・グループに加入することとなる。我々は、後のファラオ・サンダースのジャズ・シーンでの活躍を知っている。だが、この時点では、このミュージシャンに対して、当時のジャズ・シーンはほぼ未知数だったはずなのだ。なぜ、ここに、その海の元とも山の元知れぬ、ファラオと名乗る訝し気な新人をかのジョン・コルトレーンは自身のグループに引き入れたのか、改めて考えてみると大変興味深いことに気づく。 なぜ、自身のテナーに、グループに、もう一人のテナー奏者が必要と考えたのか。そう、コルトレーンはなぜファラオ・サンダースを必要としたのか、である。 この頃、コルトレーンは体調が悪かった、疲労していたという説もある。だが、この一年後、日本での公演では、コルトレーンそうしたことを微塵にも感じさせない恐ろしいほどのエネルギッシュなプレイを始終行い日本の観客の度肝も抜いたことは今でも伝説になって語られているところだ。ではなぜ・・・。 ”The Father And The Son And The Holy Ghost”は、ゴーストというワードが入るためか、アルバート・アイラーの”ゴースト”によく似た西部開拓時代のようなひなびたテーマ曲がほんの少し流れる。だが、それもつかの間、怒涛のリズム、荒れ狂う音場のなか二人のテナー・サックスがまるで獣のごとく唸りまくる。 孤立した騎兵隊が円陣を組むなか、それを取り囲むように馬に乗ったインデアンの大群が矢を放ちながらぐるぐると旋回するといったイメージを持つ。コルトレーン、ファラオのどちらかが吹くタタッ―ッ、タタッ―ッと繰り返すフレーズが軍隊ラッパをイメージする。そして、矢をかすめて驚きイナナキをあげる馬の悲鳴こそ、執拗に繰り返される二人のフレージングそのものではないか。そして、その喧噪、砂埃、戦闘のイメージを残響がすべてを包みこむ。持続するそれは浮遊感を持たらす。まるで元祖シュゲイザーだ。 この盤には曲の切れ目がない。次の”Compssion”は、やがて、その喧噪が次第におさまり、リズムは通常の拍子を刻む。二人のテナーはしばらく休み。ここから、マッコイ・タイナーのピアノ・ソロがこの曲の主役となる。ここはいつものマッコイ・タイナーだ。混沌から秩序へ、はみ出してはいない。だが、何か、迷っている。コルトレーンは正解をくれない。これで、良いのかと。 B面の最初は、ロックのジョン(レノン)にも”LOVE”(愛)というナンバーがあるが、ジャズのジョン(コルトレーン)にも”LOVE”(愛)というナンバーがある。これは、この作品になかで、唯一、ホットできる空間であもある。コルトレーンのそのテーマの歌いだしは、かの”バラード”のようであるが、その旋律には著名な白人作曲家の手によるものとは違う、西洋文化にない、ある独特のニュアンスを感じさせる。蓮の花か。これが、モード的というものなのか。 だが、それもつかの間、ふたたび、二人のサックスは咆哮し、リズムは喧噪と混乱を叩き出し、怒涛の終焉と突き進む。ファラオ・サンダースのものと思われるそれは、途切れ途切れ、短いフレーズで、ただただ、馬のイナナキを連発する。私の盤はモノラル録音だということもあるが、私にはこの二人のサックスの違いが分からない。 そもそもだ、本作品にブラインドテストのように二人のその違いを言い当てるゲームのようなものがあったとして、それになんの意味があろうかという気になる。2テナー・バトルとはいえ、これはかってのソニー・ロリンズとの”テナー・マッドネス”とはまったく異にする表現なのだ。 素直にとらえれば、ファラオ・サンダースが始終、サックスから絞り出すようにして、発せられるうめきこそが魂の叫びであろう。 私は今回この作品を何度も聴いて感じたのは、ここにある哀しみ、哀切、憂いのようなもの、それを表現するコルトレーン、黒人音楽的に解釈するところの独特さだ。 1966年の来日インタビューで、ジャズ評論家の油井正一さんも、私と同じ疑問を持っておられたのか、コルトレーンにこんな質問をしている。 油井:「サンダースを加えたことについての質問に戻りますが、トランペットとかトロンボーンとか、ホーンにもいろいろありますが、敢えてテナー・サックスを選んだのには、特別な理由があるのですか?」 コルトレーン:「ええと、(笑)、必要だと思ったからです。演奏する楽器だけではなく、彼自身が必要だったんですよ。私にとって、これはとても重要なことです。私はフェレルという若いミュージシャンに期待しています。フェレルの哲学や人生観を素晴らしいと思っています。これは、私がバンドに求めていることであって、その人がどの楽器を演奏していようと関係ありません。精神です。大事なのは精神であって、楽器ではないのです」 コルトレーンはなぜファラオ・サンダースを必要としたのか。 答えはいたってシンプルだろう。コルトレーンはファラオ・サンダースを自身の音楽としての後継者として選んだのである。 このインタビューの一年後に、コルトレーンは亡くなっている。もしかしたら、何かしら、その予感を感じていたのかも知れない。体調が悪かったというのもあながち間違っていなかったも知れない。その来日公演でコルトレーンは不調を感じ死期を予感しながらも全身全霊でプレイしていたのだ。 そして、エルヴィン・ジョーンズがまずバンドを去り、ついで、マッコイ・タイナーがそれに続く。ラシッド・アリとアリス・コルトレーンがその席につく。 ファラオ・サンダースがコルトレーン存命時にいた時期はほんの一年たらずと短期ではあったが、何より、誰よりもその偉大なる影響を直に受けたことは間違いない。 コルトレーンの死後、アリス・コルトレーン、ファラオ・サンダース、ラシッド・アリ、彼らはその意思を継いだ活動を継続する。だがだ、日本をはじめ、欧米、世界のジャズ・シーンにおける、コルトレーンの死というショック、影響はあまりにも大きかった。 もちろん、日本でも、その顕著な例として、白石かずこのアルバム、ポエトリーリーディング”Dedicated To The Late John Coltrane”を聴いてみてほしい。コルトレーンの死のショックに対する喪失感、そこから発せられる言葉に、音その様相に、思わず鳥肌がたつはずだ。 そう、マイルス・デイヴィスの”ビッチェズ・ブリュー”とコルトレーンの死で、ジャズは死んだとなった。 それからは、ウエザー・リポートとリターン・トゥ・フォーエバーの時代となる。 その間、もちろん、その意思を引き継いだ、アリス・コルトレーン、ファラオ・サンダース、ラシッド・アリは精力的に活動し、多くの意欲的なアルバムをこの世にリリースする。それらの作品がコルトレーンのかっての作品に匹敵するかの論議はまずはおいておいて。 だがだ、少なくとも日本で、当時、これらの作品に強い興味をしめすものは少なかったはずだ。輸入盤店の売れ残りといえば、ジャズのインパルス・レーベルの仕切りのこれらアーテストと、オノ・ヨーコのソロと決まっていたから。こうした作品のスポークスマンであったはずの植草甚一もこの頃には興味の対象がフリー・ジャズからニュー・ロックへと変わっていた。いわば、これら作品はジャズが死んだ時代、そんな時代に黙殺されていたのだ。 だがだ、2000年をえて時代は変わる。なぜか、これらの作品を新しい世代のクラブDJ達がいい!と言い出したのだ。そして、それらを精神ジャズ、スピリチュアル・ジャズと名付けてはプッシュしはじめる。すると、廃盤店ではこれらのアルバムがレコード店のエサ箱で並ぶは、アッという間に売れていく現象が起きる。そればかりか、真っ先に、ファラオ・サンダースに目をかけた、サン・ラーのかって自費盤、ツアー先で手売りした限定盤、いかにも怪しげなそうした作品がブルーノートのオリジナル盤に匹敵するような高価なプライスがつけられているのにも関わらず、これも入荷するやいなや、あっという間に姿を消していくことになる。 今、ジャズ・ビンテージ・レコードを求めるファンは二種類存在する。昔ながらのジャズ名盤の当時のオリジナルを求める人々、そして、かっての売れ残り列伝、アリス・コルトレーン、ファラオ・サンダース、サン・ラーのレコードを求める人々。 あの頃、これは分からないと思いながらも、ある何かに惹きつけられて、ジャズ喫茶のシートにへばりついていた若者たちがいた。時がたち、その分らない何かに無意識に惹きつけられ、コルトレーンの遺伝子をレコード店で掘り尽くす若者たち。 結局、コルトレーンの難解さ、そこにある何か、説明できないもの、としても重要、心を奮わす何かは、間違いなく、それは、ファラオ・サンダースらの作品、手によって、次世代に間違いなく伝承されたのだ。 #
by senriyan
| 2022-05-03 22:09
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