世にはびこる文章読本について |
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2022年 09月 21日
私は、世にいう文章読本とやらが大嫌いだ。
分からんが、あれは一体、どんな人が読むのだろうか。 小説家になりたい人なのか、エッセイストになりたい人か、または、バリバリの理系で化学記号のほか文字を書いたことがない人か。 だけど、小説家、エッセイストになる文章修行というのは、所謂、世にいう文章読本とは違うと思うんだけどね。私が、知ってる方法は、文豪、と呼ばれる人の作品ね、それをただ、ひたすらノートに書き写していくやり方、森鴎外やって、芥川龍之介やって、川端康成やってとかね。結構、キツイよ、これ。 そんで、さんざんぱらやって、さて、自分の作品書くぞとなってね、それら文豪の表現がすらすら自身に降りてくるかと思えば大間違い。とくに、明治、大正とか古い文豪の作品でそれをやっても、書こうとしているのは現代の話しだから、時代表現、時代独特の言い回しを、現代にあてはめて文章を再構築するというまどろこしい作業がともなうのよ。ねえ、そこの書生さん。 そうなると、近代の作家となるわけ、ところが、近代の人って、わりかし特徴ないわけよ実際これが。”なんだ、これならオレにも書けるぜ、”なんだけど、書けない・・。なんかあるんでしょうね。(笑) で、その文章読本にその何かが書いてあるかと思いきや、全然、そんなこと書いてない。 で、私の経験なんですけど、近代の人で、わりと、特徴ある人がひとりいるんです。それが、かの有名な宇能鴻一郎先生なんですね。そんで、その先生がどんな作品のジャンルであったかはおいておいて。いや、マジでなかなか文章の勉強になると思うんですよ。先生の文章、気負ってなくて自然なんですね。そんで、その先生の諸作品を片っ端からひたすらノートに書き写していく、でも、そのノート、家族に見られたら一発レッドカード退場です。 冗談はおいておいて、いや、始めから冗談ぽいけど。 それで、世にはびこる文章読本ね、 かって、丸谷才一先生は、文章は気どって書け、とおしゃった。で、名前は忘れたけど、違う先生は、文章は気どらずに書け、とおっしゃったのね、どう書けば、いいんじゃい・・・。 私ね、文章というのは、普段、自分がしゃべる、話すようにしか書けないと思うんですよ。 極端な例ですよ、大正時代の車引きのオジサンがですよ、 「へい、アッシが見たのは、確かに、あのご令嬢でやんした。”車屋さん、新橋の方へやっておくれ、”そのお声もアッシはしっけりとおぼえておりまさあ、まちげえ、ございやせんや、時に、親分さん、これは、なんかの、でいじな事件でありやんすか・・」 これは、何も、職業差別でもなんでもないのだが、この車引きのオジサンがですよ、いきなり、芥川賞の候補になったらひっくり返えりますよね。 だけど、ここから本番、言いたいことなんだけどね。 最初、この世に携帯電話なんてものが出始めて、会話し放題となった時に、私なんか、こりや、そのうち文字なんてなくなるなと思ったんですよ。 ところが、どっこい、なんというか、声、会話よりも、文字で、ということになった。それが、かなり浸透してきている。今後はもっとその傾向にあるだろうと言われている。連絡ツールとして、友達とのコミュニケーション・ツールとして、若者の恋の告白なんてのも、実際この手のもんが使われてるんじゃないかな。よう、知らんけど。(笑) というわけで、文章読本、今後、より重要になってくる思うんですよ。 連絡ツールはね、大正時代の車引きのオジサンの感じじゃダメですけどね。伝わらなきゃいけないこと伝わらないから、でも、ほかの分野に関していえば、私は、もうその人なりのその話し方、喋り方でいいんじゃないかと思っています!! だって、その人、本人が見た世界を、その人の歴史のなかで話しているわけですから、その人が見たもの、感じたものを、金物店のおばちゃんの変わりに、オックスフォードの教授が語るっておかしいですよね。 だから、私の考える文章読本っていうのは、”あなた自身がふだんお話しするように書けばいい”です。 ”あたし、ビックリしゃちったんです、それを、あたしの目の前で、これでもかと、振り回してくるんです・・・。” やっぱり、宇能鴻一郎先生は時代に先見の明があったな~。 だけど、当たり前なんですけど、正直に書くこと、一生懸命書くことが前提です。そして、何より大事なのは愛情があることです。それで、人の心に届かなかったら、それはそれで、しょうがないんじゃないかな。 私も、こんなブログですけどそれを頭に入れて一生懸命書いてます。 だけど、最後にマジな話し、これからも、こんな私のブログとか、SNSとか、私の知らないナントカで、そうした文章溢れ出てくると思うんだけど、誤字、脱字、見当違い含めたところで、それにはね、出版社、出版を経験した人の力というのが必要になってくると思うんですよ。これはね、どんなに頑張ってもIT化できるものではないですよね。そうした意味で、むしろ大手出版社の方で、一般の方の創作を応援する場、WEBサイトを立ち上げるべきだと思うんですよね。小説、エッセイ、評論、記録、新聞における投稿のようなもの、困ってること、政治に対し望むこと、やってほしいこと・・・、 それらに対し、これはというものに、サイト側がアドバイスをほどこして返すんですね、で、それが、あるクオリティを持ったものなって初めてサイトに掲載されるという。 出版社が投稿されたものに対し篩にかけるのではなく、出版社側から篩にかけにいく、感じですね。今の誤字、脱字、見当違い、野放しのサイト運営とは違う考え方です。目のつけどころの新鮮さ、それに、出版のプロの方の経験と視点が加わることで、他にないものができるかも知れません。そうすると、日本人全体の国語力の底上げにもなってくると思うんですね。本が売れる、売れないというのはそれからじゃないかと。で、私、それこそが、これからの本当の意味での文章読本だと思うわけなんですよ。
by senriyan
| 2022-09-21 18:43
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