大音量でジャズを聴くということについて |
大音量、ロンドンはマーキーのザ・フーのステージで、キングストンのレゲエのサウンド・システムで、南部アメリカはコテコテのオルガン・ジャズのチリトン・サーキットで。それは、昨今の蕎麦屋の雰囲気づくりのジャズBGMとは次元の異なるものだろう。
カレンダー
カテゴリ
以前の記事
2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
クール・ジャズ
植草甚一
ウエスト・コースト・ジャズ
小雀俊二のレコード・コレクター珍士録
A&Mレーベル
クリード・テイラーを追悼する
ザ・ビーチボーイズのオランダ
ジャケ買い
ネオアコ
プレイボーイ入門
メイド・イン・ジャパン
リズ・オルトラーニ
ロココ・ジャズ
黒ビール
私はまだかって嫌いな人に逢ったことがない
庄司薫
深夜のジャズ・バーにふさわしいレコード
文章読本
北欧ジャズ
12インチ・シングル
淀川長治
アーバン・メロウ
アフロ・キューバン・ジャズ
イタリア・サントラ
エブリシング・バット・ザ・ガールズ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2020年 10月 11日
かって、朝、出社しようとマンションを出ようとしたら、共有スペースの掲示板にこのような張り紙があった。
”音楽がものすごくうるさいです。受験を控えている娘がいますのでもう少しお静かに願います。改善がみられない場合、警察に通報します。” それから、音量に関しては気を使うようになった。遅い時間はもうレコードを聴くことをやめた。だが、いきなり警察に追放しますとはいかがなものか。それは、まるで犯罪者扱いではないか。 それで、アンプのつまみは大体、9時くらいの位置で聴いている。チェット・ベイカー、ウエスト・コースト・ジャズ、定番で聴くレコードは、それ位の音量で、さして違和感もなかった。それが当たり前だった。大きな音量で聴くということについて、住宅事情云々というよりも必要性を感じてはいなかった。 CLIFFORD BROWN and MAX ROACH at BASIN STREET ブラウン・ローチ・クインテットは私にとって、騒々しい音楽である。やかましい音楽である。アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャース、ハード・バップ、フリー・ジャズも、そりや、騒々しい音楽、やかましい音楽である。だが、なぜか、どうしてか、ブラウン・ローチ・クインテットにいの一番それを感じてしまう。 それは、何より、クリフォード・ブラウンのつんざくようなハイトーンによるもだろう。これは、二日酔いの朝にはそうとうキツイ。又は、名店とはいえ辛みの利いた麻婆豆腐を思い起こさずに入られない。また、マックス・ローチのフロントをつねに追い立てるような性急な空気を揺るがす殺気だったドラミングにあることも間違いない。そして、忘れがちだが、ローチ、32歳、クリフォード・ブラウンにあっては26歳、血気盛んな若者たちであったという事実。さらには、パッション、怒り・・・。 レッド・ツェッペリンでも、セックス・ピストルズもそれを知らない者からすれば、ただただ、騒々しい、やかましい音楽だろ、だが、ファンは決してそれを思わない。私も、ブラウン・ローチ・クインテットをリスペクトしているのは間違いない。だが、正直にだ。その思いを語るなれば、この音楽は、騒々しく、やかましい。 だが、以前、ある場所でアルテックの大きなスピーカーで、ブラウン・ローチ・クインテット一連のタイトルを聴かせて頂く経験があった。ただ大きいスピーカーというだけではなく、調整された音。その時にだ、思ったこと、私は、すっかり、騒々しい、やかましいという表現を忘れていたのだ。ブラウニーのハイトーンはただ、ただ、切れ味を感じ、ローチのドラミングには、音楽のエンジン、その推進力を感じたのである。 そして、この時、意識こそしなかったが、その音量はタップリ、大きな音で流れていたはずなのだ。 先日の映画、ジャズ喫茶・ベイシーのなかで、「大音量とは避けているからそう感じるのだ。一羽の燕が激しく水音を立てる滝つぼに飛び込む時、一時の静寂が訪れる」といった話しがあったように思う、その時、私はかってのこの件を思い出した。 大音量でジャズを聴く、私はその必要性を感じていなかったのだ。音質は気を使う。で、音量。いや、絞るばかりで、そもそも音量どうのということをすっかり忘れていた。 かって、ジャズ喫茶はかなりの音量でレコードをかけていた。そして、その音を浴びるように聴いていた。 大音量、その音の中核に入り込む時、いや、知らずに、その間に立ち入ってしまった時、確かに、そこには、静寂があったことを思い出す。 サーフィンであの波の中、波の回廊、中心に自身が入り込む時の、あの自然と一体化する、抱かれる、一瞬の静寂、落ち着き。 音楽を聴くこと、もちろん、それは耳を通じて音楽を聴いているわけなのだが、大音量にただ耳をまかせる時、いや、音楽そのものに身体ごとまかせる時、それは、音を聴くというよりも、きっと、音楽を感じる、体感するということになるのだろうと思う。聴くのではなく、感じる。大音量を浴びる。そのことをずっと忘れていた。 ジャズに憧れるも、充分なオーディオ機器も、レコードすら入手することが難しかったその時代。ジャズ喫茶は大音量でジャズを聴くその場所であったわけだ。 そして、その滝つぼに飛び込んでいった燕こそが、若かりし頃の自分ではなかったか。ジャズの滝に打たれる。まさに、それは修行僧のようでもあったわけだ。分かるとか、分からないとかの前に、ジャズを浴びに行く。植草甚一は言った。モダン・ジャズは皮膚芸術だと。 だが、そんなことはクラブDJならとうに承知のことだろう。フロアに広がる大音響のなか、恍惚の表情を浮かべ踊るダンサーもまた、音楽そのものを肌で感じとっているのだ。 大音量、ロンドンはマーキーのザ・フーのステージで、キングストンのレゲエのサウンド・システムで、南部アメリカはコテコテのオルガン・ジャズのチリトン・サーキットで。それは、昨今の蕎麦屋の雰囲気づくりのジャズBGMとは次元の異なるものだろう。 とはいえ、大音量でジャズを聴いたところで、ジャズが分かったとはならないだろう。56年当時のアメリカ黒人青年、ミュージシャンの気持ちが分かったとはいかないだろう。このわずか数か月後にクリフォード・ブラウンとリッチー・パウエルは帰らぬ人となる。 「ブラウンさん、パウエルさん、そして、奥さんのナンシーさん、1956年6月26日は、此処フィラデルフィアにいて下さい、この日は必ず雨が降ります。絶対、シカゴには行かないでください。ペンシルバニアのターンパイクには絶対、近づかない下さい」マーティン・マクフライ・ポテト。嗚呼、ここにもまたタイムマシンがあったらと。 そして、あの頃、私語厳禁のジャズ喫茶でノーマン・メイラーなんかのページをめくりながら、全身でジャズを浴びていた膨大な時間は果たして無駄だったのか。 だが、私は知っている。あの大音量のなかのその静寂、サーファーが波と自然と一体化するように、疑似的にあるにせよ、音楽そのものと自身が同化した瞬間だったのだ。この瞬間そのそれは、音楽鑑賞という言葉を超えた体験ではないだろうか。 全編、騒々しい音楽とばかり思っていたが、B面の3曲、TIME、THE SCENE IS CLEAN、GERTRUDE'S BOUNCEが落ち着いた曲調で素晴らしいことに再発見。特に、ラストにおかれたクラシックのトランペット協奏曲のようなGERTRUDE'S BOUNCがチャーミングなナンバーで日曜の休日にピッタリ。今日はこればかり聴いていた。
by senriyan
| 2020-10-11 20:25
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||