ややへそ曲がり的にキース・ジャレットを聴く 後半 |
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2020年 06月 07日
ジャズのトリビア的に言えば、ジャズ名門、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャースをえて、マイルス・デイヴィスのグループ入りしたジャズ・マンてのは二人いる。 一人はウエイン・ショーター、もう一人が、このキース・ジャレットだということはジャズ・ファンには馬の耳に念仏。だが、このジャズ界のサラブレットであるキースがいた頃のジャズ・メッセンジャースというのがどうもイケてない。 アート親分、トランペットに後にフュージョンをリードすることになるチャックマン・ジョーネ、フランク・ミッチェルなるテナー、レジー・ジョンソンのベース、そして、キース・ジャレットという布陣。これが、あの「モーニン」とか「ブルース・マーチ」とかやってたジャズ・メッセンジャースとはまるで別次元。本当に同じバンドとは思えない。 これ、キースの公式初録音と言われている「バタコーン・レディ」なんだけど、一曲目のカリプソ調のメロディからどっとこける。到底、ジャズ・メッセンジャースと思えない作風。若い白人ミュージシャン二人の起用で、老舗の蕎麦屋がリニューアル、新メニュー、ナポリタンあります的な外観に時の流れとともに変化している。 キース先生、この頃は何やらピアノの弦を直接手で触れて音を出す奏法に凝っていて、やたら、このジャラーン、ジャラーンを繰り返す。アート・ブレイキーもキレて、オマエ、もっとそれやれや、ずっとそれやってろ、と言ってたらしい。 そして思うのは、この人、バド・パウエルもセロニアス・モンクの影響も皆無だと言うこと、さらには、ビル・エヴァンスの影響もほとんど感じられない。キースも耽美な部分もあるのだが、エヴァンスの耽美とはまるで違う。ドン・フリードマンは明らかにその影響を感じるし、デニー・ザイトリンにもそれはある。だが、キースは誰にも影響されていない。キースはなんでジャズ・ピアノをやろうと思ったのだろう。ハードバップの殿堂、ジャズ・メッセンジャースで、ピアノがジャラーン、ジャラーンである。 だがだ、このピアノに天才を感じるのだ。新メニュー、ナポリタンがイケるのだ。それは後付け論ではなくて、このバンドで、このピアニストが一人抜きんでていることはジャズ・ファンならすぐに分かると思う。誰にも影響されていないスタイル、まだ、それが、自身のスタイルともなっていないが、高度な音楽性とほとばしる才気、才能を否応もなく予感させるのだ。キース・ジャレットは、私のレベルに他のバンドのメンバーがついてこれていないとつねにこぼしていたという。 一方、トランペットのチャックマン・ジョーネはキースより先輩格、リヴァーサイド・レーベルから兄ギャップとマンジョーネ・ブラザースで三枚、ソロで一枚の吹き込みがあるが、アートと一緒にメッセンジャースの一員として、ステージに立った時は、つねに緊張してガチガチだったという。どう、このコメントの違いは。 と、ここまでが、キース・ジャレットのデビュー時代の復習、おさらいなのだが。 その後、キースはチャールズ・ロイドのグループにて、その斬新な風を吹き込み名をあげる。そして、ジャズのピアノ・トリオにて単独ソロのデビューを果たす。 まさに、ジャズの神童としての歩み、その階段を一歩づつ確実に上りつつある。 そして、ソロ二作目。多くのジャズ・ファンはその動向を一挙一動注視していたに違いない。こいつは何かをやる男だと。 だがだ、この二作目で、キース何を思ったか、ギターを持って歌う。 ジャズ・メッセンジャース、チャールズ・ロイド・グループと渡り歩いてきた男がだ。ギターを持った渡り鳥。この衝撃を分かってほしい。この時代の二刀流。余技か、息抜きか、いや、ギターを持って真剣に歌う。 ひっくり返ったのは、当時のジャズ・ファンであろう。いや、同姓同名のフォーク・シンガーがデビューしたと思った人もいたに違いない。これを風のウワサで聴いたアート・ブレイキーは何を思っただろうか。 キース、ビル・エヴァンスには影響されなかったが、ボブ・ディランには影響大。 ディラン、キース・ジャレットより4歳年上。この時期、1966年にオートバイ事故で重傷。一命をとりとめる。67年からウッドストックに籠りデモ・テープ制作に没頭。アルバムでいえば「ジョン・ウエズリー・ハーティング」そんな時期に、このキース・ジャレットのアルバムは作られている。 どことなく、唱法もディランに似ている。意識しているところがある。曲名「ALL RIGHT」はディランのタイトル曲を思い起こさせるし、「FOR YOU AND ME」はディランと自分のことを言っているように思えるし、最後のナンバー「WHERE ARE YOU GOING?」はディランに向けられた言葉のようにも思われる。 そして。今回も、嗚呼、この作品、何かが、圧倒的なサムシングが降りてこなかったのである。ディランのように作品を覆いつくす飲み込みカリスマ性が。 降りてくるのは、この半年後のSomewhere Beforeディランのカバー曲「マイ・バック・ペイジ」で、チャーリー・ヘイデンのベースのイントロの後、テーマ部分を弾きだすその直前である。その瞬間、天空からそれが舞い降りる。 やはり、これは駄作なのだろうか。キースの一時的な心の迷いなのだろうか。64年にビートルズがアメリカの音楽業界を席捲して、ジャズが過去のものになるつつある時代。この年のベトナムのテト攻勢によりそれが次第にアメリカにも影響を与えてくる時代。キースもEXIT出口を探していた。 だが、これを聴いていて、ふと、思うのは、結局、音楽にとってジャンルというものの不毛性。 これを、ただ、ジャズとかフォーク・ロックであるとか、キース・ジャレットの功績とか、ジャズの重鎮の若気の至りとか、そんなことをすべて忘れてこの作品に浸る時、なんだか、無垢なシンガーの歌とギターの音色が、休みの朝の空間にしみじみと広がる。このアルバムには、野心がない。企みがない。純粋に、こんな曲できました。それを並べました。そうしたところがある。ディランというより、コリンブランストーン、いや、ニック・ドレイク、いや、いや、これはネオアコじゃないかと。ジョン・カニンガムか。 で、この人、基本的には、その時、その時で、特にキッチリと定めた方向性もあるわけではなく、ただ、純粋に音楽と向き合っていた人だったんだということを実感する。とにかく、あーだ、こーだの前に、一言やってみた人だったわけである。 ジャズ・メッセンジャースでピアノの弦をジャラーンとやるのも、バンドのメンバーが自分のレベルに対して達していないとグチるのも、マイルスのグループでオルガンのをギュワーンと弾くのも、ケルンの一時間にも及ぶパフォーマンスも、フォーク・ロックも、そして、このギターで歌ってみたも。 思いついては、あれやこれや手を出し、失敗する男。という人がどこの世界にもいるが、やってみなくては、何もはじまらない。 だが、そうした性格のミュージシャンのおかげで、こうした傑作ではないが、佳作もまた存在する。へそ曲がりなコレクターの僕は、こうしたジャンルから見放されたレコードを安価で拾うことにまた無常の喜びを感じる。 もし、このアルバムの中の一曲でもヒットしていたら、今頃、キース・ジャレットはアメリカで最も有名なフォーク・シンガーとなって、グラミー賞の常連になっていたのかも知れない。
by senriyan
| 2020-06-07 18:33
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