ジャズ妄想夜話 第10回 そして一枚のレコードが残った |
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2019年 10月 20日
THE FABULOUS SLIDE HAMPTON QUARTET アルフレッド・ライオンはレコーディングにおけるアーティストに対し、打ち合わせ、軽食、リハーサル時間を設けそれに対しキッチリとミュージャンにギャラを支払った。それが、ブルーノート・レコードの成功の要因であることも間違いない。 それに、対し、リハーサルの必要はないと言ったのは、ボブ・ワインストックである。ジャズとは即興性のものだからと。何が起こるか分からない音楽。そのあらすじをはじめから設定してどうすると。多くの名盤をこの世に送りだしたジャズ名門プレスティッジ・レコード、結果、この答もまた正しいことを証明する。 つまり、ジャズとは、楽器を持った人間が集まって、せいの!と初めればジャズが成立し、立派な音楽になるという事実。そこに、国籍など、人種など、年齢など、性別など問われない世界。求人広告的にいえば一言、経験者優遇といったところか。極めて開かれた世界。 そして、この日、パリ市内のスタジオに集まったのは4人。 1969年Janvier6日(ジャンビィエ)すなわち1月。凍てつく寒さが4人を無口にさせる。 雨に濡れてはがれかかった5月革命のスローガン・ポスター。歩道の隅に転がる石ころ。投石によるものか。昨年のその出来事が今も街角に色濃く残る。史実的にはどうかは分からないが、この日初めてこの4人はこのスタジオで顔を合わせたと考えた方がこの盤を聴くにあたって面白い。 仏のジャン・ピェール・メルビルの映画のギャングのように無言で集まり、無言で仕事に取り掛かる。 初めにスタジオに現れたのがフィリー・ジョー・ジョーンズ。マイルスのクインテット時代はまさに遅刻の常連だった男。この時期はロンドンの高校でドラムを教える教師をやっていた。「先生が遅刻しゃまずいよ」そんな独り言を言いながら。しかし、かってのマイルスのクインテットのドラマーが高校でそのドラム教師である。この時期、いかに、黒人ジャズ・ミュージシャン仕事がないことをうかがわせる。 次に現れたのが、ニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセン。ベースを背負って登場。もじゃもじゃ頭、髭、若き家具職人のような趣も感じさせる。先客のフィリーに視線を送ると表情をひとつ変えずコクリとただ頷く。 そして、リーダー、スライド・ハンプトンが現れる。母国、アメリカのジャズ事情に幻滅しヨーロッパに渡った。いわゆるヨーロッパ組。ジャズに対し人一倍の情熱を持つ男。クソ真面目。大真面目。多分堅物。色気なし。 もう一人、いない。ピアニストが。いや、ヤツは初めからそこにいた。ピアノに座り手を組んで、にやにやと笑っている不気味な男、ヨアヒム・キューン。かってのライプチヒのクラシック・ピアノの神童。賛美と賞賛、栄光の日々、そして、やっかみ、妬み。国家的エリート教育。そこで何かあったのか。あったんだろうな。やがて、ジャズにドロップアウト。 図式的に言えば、黒人2人対白人2人である。または、ベテラン2人対若造2人である。さらには、理性派・ハンプトン・ニール組対、野生児・狂人・フィリー・キューン組という図式でもある。だが、このベクトルはそうした偏りを見せない。ベクトルは四方に向かって拡散する。 で、言葉少なに早速、演奏、録音が始まる。 一曲目「非常事態」まさに、非常事態である。フィリー・ジョーのドラムはまるで峠を転がっていく火車である。ただ、ひたすらドラムを打ち鳴らしている。怖いくらいに。これが、あのマイルスのクインテットのドラマーなのか。誰も言わないがロックのテイストも感じる。69年のロンドンか。きっと、フィリー・ジョー・ジョーンズ、当時のスゥインギン・ロンドン。クソガキの音楽と思いながらもその風を肌で感じていたのか。 そして、ニールス・ペデルセンのベースだ。これはもはやベース楽器とか伴奏とかそうした域を超えている。ゴッゴツした岩のようなベースをこれでもかと繰り出してくる。この人は太くしなやかなベースを弾ける人だったはず。しかし、この日はしなやかさより、武骨さを選んだ。 そしてだ。ついに狂人のお出ましだ。 このピアニストは、自身の表現が、もはや、抱えたカネたらいに入ったいっぱいの水のようにたっぷんたっぷん溢れ出しそうになっている。音楽で言いたいこと、表現したいことはいっぱいある。だから、そのプレイは揺れている。ゆらゆらと。いや、これは比喩で言っているのではない。本当に音楽が、ピアノのプレイが、揺れている。聴いてみてほしい。 そんでだ、奇声と雄たけびのようなものを発し発狂する。そして、爆発する。こんなジャズ・ピアノあったか。マジで。つまりだ、天才ピアニストを生み出す国家的事業、英才教育はこうした怪物を生んでしまった。 こうしてこのリズム・セクションの3人は暴走する。誰も止められない。 だがだ、ここで、この盤の主役、スライド・ハンプトンのトロンボーンの存在がここで発揮される。この人のプレイはあくまでも基本だ。基本ラインからはみ出さない。この時代のオールド・スクールである。しかし、この人のプレイは、ある説得力がある。言葉の重さのようなものが。音の持つ力が。時代になびかない真っすぐな表現が。それが、新しい時代のジャズを、ああだ、こうだと、こねくり回すか、考えあぐねいている者の胸に突き刺さる。 そして、音の山頂で、砲弾を浴び爆死しているピアニストを再び音の戦場に引っ張りだす。うん、もうひとつの戦場のピアニスト。何やってんだオマエと。そこで、狂人我に返る。だから、J・J・ジョンソンに捧げられた「ラメント」はひたすら美しい。このキューンのピアノも素晴らしい。だが、それもつかの間、再び、スライド・ハンプトン中隊長の元、3人は果て無く暴走する。 そして、考えるに、この盤は、ある怒りの表現をともなっている。なぜ、彼らは怒っているのか、何に。何故に・・・。 私は思う・・・。 彼らは皆、故郷を捨てた、さすらい人なのだ。スライド・ハンプトンやフィリー・ジョーンズは時代に追われ母国を捨てた。ヨアヒム・キューンは東から西への亡命という問題を抱えている。そうした問題がないにしろ、ニールス・ペデルセンも武者修行の身だろう。 母国を、捨てたくて、捨てたのではない。そんな彼ら個性のバラバラの4人に共通点があるとすれば、ジャズ、そして、さすらい、なのである。 ジャズで身を立てられなくなった、行き場を失いつつある、この頃の才能あるミュージシャンたち。 サム・ペキンパーの映画「ワイルド・バンチ」も新しい時代、近代に追われた荒野の無法者を描いた作品だった。無法者たちはメキシコにまで追い詰められ、軍隊を相手にひと暴れし、壮絶の戦いの後一人残らず息絶えていく。 何か、それに近い、怒りの感覚、表現をこの盤に感じてしまうのだ。 やがて、キューサインが出て、レコーディングは無事に終わる。 メンバーは無言で、挨拶を交わすことなく、三々五々、スタジオを後にサンジェルマンの夜へと散ってゆく。凍てつく寒さの夜へと。 その後、この4人は、再び顔を合わせることはなかった。 こういうのを邂逅というのだろう。 もみの木が残った。ように、この一枚のレコードが残った。
by senriyan
| 2019-10-20 22:05
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