サイタマケン退屈日記 そのさん |
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2019年 05月 05日
実家にはビートルズのレコードがある という人は意外といるのではないか。 その思い出とともにレコードも実家に置いてきたという。 ロックはビートルズで始まりビートルズで終わるという人たち。 成績優秀でいい学校に進むために中学を出ると地元の街を離れていったクラスメイト。オマエがいいというから他のバンドも聴いてみたが、ほとんどがビートルズのモノマネにしか思えない。ピーター&ゴードン、なんだありや。オレにはロックはビートルズで充分。他はいらない。 それから彼らには会っていない。今では大企業の社長や官僚になっているのだろうか。 アタマのいい連中だから、恐ろしくビートルズに詳しいやつもいた。二人組で英語で歌っているのを聴いた時にはビックリした。あと、ノートに手書きのビートルズ年表。いつどこそこで、初めてポールがジョンに出会った、などというもの。 ビートルズ好きが三人も集まればそのトークに花が咲き時間を忘れる。彼らは女子の視線をちらちら気にするが、その時ばかりは女子の存在を忘れる。そして、ジョン派、ポール派。 ビートルズにあるジョンが持ち込むところの前衛性を認めたくないという者がいる。ジョンはヨーコと付き合うようになっておかしくなっていった。そこから、ビートルズとしての作品の質がガクンと落ちる。ホワイト・アルバムなど半分くらいは聴けたものじゃないと。 当時、ぼくらは中学生だったので、そんなジョンの前衛性など理解できるほうがおかしいのだが。 ジョンが出演した映画“私の戦争“を観たぼくやクラスメイトはその出来に本当にガッカリしたものだった。 でも、ぼく自身はその前衛性が作品に深みを与えていると思っていた。だが、当時そんな言葉もなく、ただもやもやと思っていただけだったが。 連休の後半は、実家に行き、高齢の父母を見舞った。 車椅子に乗った母は、じっとぼくの顔を見つめている。微動だにしない。表情は哀しいわけでも、笑うわけでもなく、ただただじっと見つめている。声をかけるが、表情は変わらない。 そういえば、かって、ビートルズの映像が流れる度に母親は四人の顔が見分けがつかないといっもこぼしていたことを思い出す。 若いあなた。時たま、自身のお母様にビートルズの写真をみせ、名前を尋ねることがよろしいかと。例のホワイト・アルバムのおまけはその為にあったのかも知れない。 妹がドイツビールをたくさん買ってきてくれていて、父、妹、奥さん、ぼくでドイツビール祭り。そこに、なぜか電気ブランがあって、深酔い。かっての自分の部屋に倒れこむ。 そこにあった一冊。 絵本ジョンレノンセンス 片岡義男・加藤直 発売された当時はこれはヒップだっただろうが、今はどうか。 私はこの面白さがよくわからない。そのセンスがない。ジョンの悪いところがでた作品。ぱらぱらやってみたが今もその感想は変わらない。 だが、その晩、序文をポール・マッカトニーが書いていることに気づいた。 それは、やはり、ポールらしいものだった。ここに引用する。 ウールトンの村祭りで私は彼に逢ったのです。私は、でぶな生徒でしたが、彼は私の肩に片腕をのせかけ、彼は酔っぱらっているのだなと私は気づきました。中略 彼は、あるひとりの世捨人について学校新聞に詩を書いたのです。その世捨人は、次のように言ったそうです。 「息をすることが私の人生ですから、あえて息をとめるようなことはいたしません」 この詩のことを聞いてすぐに、私は考えました、「彼は深みのある人間なのかな」 彼は眼鏡をかけていましたので、深みのある人間だという可能性はありました。たとえ眼鏡をかけていなくても彼をよくわかることはできませんでした。中略 この本におさめてある話のなかに意味のとれない話がなぜあるか、馬鹿な人たちはけげんに思うはずです。なにかかくされた意味があるのではないかと詮索する人たちもいるはずです。中略 この本におさめられている話はどれも意味をなさなくてもいいのですから、なんとなくおかしければそれで充分なわけです。 ビートルズの凄いところは、ジョンとポールが自転車で行きかうところの距離、そんな地域に偶然、生活していたというものがある。これこそ、歴史的邂逅だと。 でも、もうひとつ、凄いところがある。 それは、ジョンにはポールがいたということである。 ぼくはそう思っている。 実家から帰る電車のなかで、ふと、冒頭の“部分的だけディブ“という話を思い出して、そういや、ぼくのまわりにも部分的だけディブな人っているなと思ったら急に可笑しくなった。
by senriyan
| 2019-05-05 11:40
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