"SMALL CIRCLE OF FRIENDS"
ROGER NICHOLS & SMALL CIRCLE OF FRIENDS
何か特別なことがあったというわけではないけれど、時に心はブルーな時間帯を連れてやってくることがある。若い頃からそんな経験をしている。なぜか、ふと、じんわりと哀しくなってくる。これは単なるバイオリズムの云々の問題なのか。はたまた、この黄昏大魔王が支配するところの季節によるものなのか。
来月56になるオヤジがハナキンの喧噪のなか駅のホームで黄昏れてても、だから、なんなのさという話しでもあるが。
このレコードを初めて聴いた時から、ぼくは、一瞬にして、この世界にひきずれこまれた。そう、”ドント・テイク・ユアー・タイム”のあの印象的、象徴的な弦のピチカートを聴いた瞬間から。恋することへの高揚感、胸の高鳴り、異常な心拍数、もどかしさ、・・”なんか、最近あいつおかしいぞ・・”、コヒーと恋愛、をこれほど表現した曲が、古今東西かって他にあっただろうか。
これは凄いと思った。うーんと唸った。まさに、ビートルズ、ビーチ・ボーイズに匹敵するのはこのグループだと。
そして、この黄昏の季節、しんみり、せつなさを連れてやってくるのが、A3、A4、”ドント・ゴー・ブレイキング・マイ・ハート”、そして、”アイ・キャン・シー・オンリー・ユー”の連続する2曲だ。
B面なら、B3、B4、B5、”アイル・ビー・バック”、気怠い”ココナッツ・グローブ”、”ドント、ウオント・トウ・ハブ・トウ・ドウ・イット”だろう。
嗚呼、このせつなさをどう表現する。心を鷲掴みにされるような、、女にモテルやつには一生分からない、分かってほしくないこの感傷。
コーヒーと恋愛、そして、失恋。獅子文七。
思えば、失恋なんてものは、告白して、”senriyanゴメンね、あなたは私にとって、あくまでもライクな人、でも、決してラブではないの”というきっぱりとした終わり方での結末ではないだろう。なんか、胸の高鳴り、ときめきのようなものがあって、でも、やがて、互いの心の交差みたいなものがあったりして、少しづつ、その誤解が解けていく、みたない終わり方なんじゃないかな。まるで、少しづつ、秋がやってくるように・・・。
って、56になろうとしているオヤジが何言ってんだよ。(爆笑)
ぼくは、このレコードを聴いた人は、すべての人がこのレコードの、この世界のとりこになるはずだと思っていた。信じていた。
だがね、思ったより、このレコードを支持する人はそれほど多くないんだということに気が付く。ああ、渋谷系ね、その一言。または、ソフト・ロック、女、子供の聴く音楽には、かなり傷ついた。
なぜか、この日本盤は当時発売されなかったことによるものなのか知名度は低い。不勉強のせいなのかも知れないが、ぼくは一度も彼のインタビューのようなものを読んだことがない。もしかしたら、ロジャー・ニコルズとは、ニック・デカロや、プロデューサーのトミー・リピユーマの覆面バンドなのではなかろうか。
以前勤めていた会社の同僚はこのレコードがやはり好きで、知り合う女の子、知り合う女の子、すべてにこのCDを渡していた。だが、その恋は決して成就することはなかった。
一度、彼に聞いたことがある。
”どうだい、女の子の反応は?”と。
”いや、みんなポカンとしている。聞いてもくれない子もいたんじゃないかな。”
今、彼はどうしているだろうか? ケータイのない時代。彼は今、ドント・テイク・ユアー・タイムを着うたにしてるはず。
そして、この音楽もまたバート・バカラックのその切なさを継承しているようにも感じる。ノスタルジーではない。時代に流されれない、スタンダードな切なさがここにある。
ロジャー・ニコルズの音楽を分からない人は、きっと、そのスタンダードな切なさを忘れている。
そう、世の中は、その根底に哀感を抱えている。それは、この世が続く限り、絶対に治らない病魔、不治の病と同じだ。貧困が起こるから戦争が起こるのか、戦争が起こるから貧困が起こるのか、貧乏人には、もちろん、その哀しさがあり、どういうわけか、大富豪にもその哀しさがあるらしい。月曜の朝が憂鬱なのではない、この世界そのものが憂鬱なのだ。ただし、金曜の夜が来て、その事実をつかの間に忘れる。死んでしまうことは、もちろん、悲しいことだが、生きていることもまた同時に悲しい。どっちにしろ、悲しいわけだ。
だが、どうしてか、思うことがある。憂いは憂いを救うというような。上手く言えない。が、きっと、世界は憂いを求めている。
何か特別なことがあったというわけではないけれど、時に心はブルーな時間帯を連れてやってくることがある。
きっと、ロジャー・ニコルズもそうした人間なのだろう。いや、すべての人間がそうなのかも知れない。それを、ただ、陽気なもンので、カンフル剤で、紛らわそうとしているだけかも知れない。
だが、憂いは憂いをもってして、救われる。そのことに気づかない、忘れている。
このレコードを愛する人間は、たぶん、そのことに気づいている。ここにある切なさを愛おしいと感じることが出来る人。が、その数は少ない。まさに、スモール・サークル・オブ・フレンズだ。
このレコードを愛するあなたへ。
さらに、これ、ゴールデン・ホーンの表情がすべてを表している。