和ジャズ総本舗 ー第8回ー 化け猫映画と情念 |
カレンダー
カテゴリ
以前の記事
2024年 01月 2023年 12月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
クール・ジャズ
植草甚一
ウエスト・コースト・ジャズ
小雀俊二のレコード・コレクター珍士録
A&Mレーベル
クリード・テイラーを追悼する
ザ・ビーチボーイズのオランダ
ジャケ買い
ネオアコ
プレイボーイ入門
メイド・イン・ジャパン
リズ・オルトラーニ
ロココ・ジャズ
黒ビール
私はまだかって嫌いな人に逢ったことがない
庄司薫
深夜のジャズ・バーにふさわしいレコード
文章読本
北欧ジャズ
12インチ・シングル
淀川長治
アーバン・メロウ
アフロ・キューバン・ジャズ
イタリア・サントラ
エブリシング・バット・ザ・ガールズ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2018年 03月 11日
ジャズは本場アメリカに認められてこそホンモノ。 そんな空気がある。 この作品のいくつかの曲で、川崎燎さんはギター・シンセサイザーを弾いている。今やそれは、かっての大型の携帯電話、今やそんなアナクロニズムを感じてしまう。 だが、川崎さんがこの楽器を操る時、そこから何かおどろおどろしいムード、気を放つことになる。 おどろおどろしい、もはや、これも使われくなった言葉だ。改めて辞書をひくと、”なんとも言えない、物すごい感じを与える様子”とある。 ぼくはこの言葉から、そう、日本のかっての化け猫映画それを真っ先に思い浮かべる。 これももう年輩の方しがご存知ないのかも知れないが、これらは、戦前から戦後、相当な数の作品が作られたと記憶する。納涼映画には欠かせないジャンル。 かって、米の”エクソシスト”なんかにビビッたもんだが、あんなもんただの化け猫映画じゃねーかと言っていた人の言葉を思い出す。 だが、ハリウッド映画”エクソシスト”にはないのが、人の恨みつらみ、本当に怖いのは化け猫そのものよりもそれを生んだ人間の性(さが)それこそが怖いんだよというきちんとしたテーマが根底にある。 で、その系譜は間違いなく今日でいう貞子などの作品に繋がる。 何をsenriyan、世界的ジャズ・ギター・リスト川崎さんをつかまえて、何が、おどろおどろしいだ。化け猫映画だ。フザンケナこのオタンコナスと言われるかもしれないが。 このレコーディング・メンバーを改めてみると面白い。ライナーの竹村淳氏によると、ヴォーカルのイラーナ・モリーロの父はアフリカとスペインの混血、母はヨーロッパとロシアの混血。ベースのリンカーン・ゴーインズと、ドラムのパディ・ウイリアムスはインディアンスー族の血をひき、川崎さんは大日本人であるという事実。 つまりは、完全に多国籍軍である。多国籍料理である。 そんで、ここにある音楽はジャズであったり、ブラジル音楽的であったり、ロックであったりするのだが、それそのもは、他のどこにもない、此処にしかないものなのである。 この音楽こそが、本当の意味でのフュージョンというものではないか、そんなふうに感じる。 この時期帝王マイルスのグループは必ずギター・リストを配していたが、そういや、レジー・ルーカスも、ピート・工事?、いや変換間違え、ピート・コージーもなんやらダークな妖気をプンプン匂わせていたな。だが、うん、川崎さん、負けてない。 川崎さんのこのギター・シンセの放つ、おどろおどろしさには、かっての化け猫映画のような恨みつらみ、怨念、その根底にあるところの情念がある。 それが恐らくは川崎さんのソウルなのだろう。 かって、日本人はそうだった。恨みはらさでおくべきか。そう、欧米諸国の人間のようにカラット爽やかな人間でばかりではなかったような気がする。 そうしたアイデンティティ、血もネット世界のようにグローバリゼーション、希薄化している。 つまりは、新しい時代においての”四谷怪談”も、”忠臣蔵”も、”八百屋お七”も現在成立しづらくなっている。 昨今の日本人、宿敵の相手を末代まで呪うその根性はあるか。 ”硫黄島からの手紙”で最後の一兵となった二宮和也がシャベルを振り回して囲まれた米兵に向かうシーンでそれを感じたが、ああこれはクリント・イーストウッドによる米映画だったと気づく始末。 川崎燎さんの音楽はジャズ発祥の国アメリカ、その権威としてアメリカ人で認められた。それは、まず凄いことだ。 だが、アジア系、南米、ロシア系、様々な人種のるつぼ、人種の血のカオスといっていいニューヨークで、そもそも権威その本場とはいったいどこにあるのか。 むしろ、このバンド、川崎燎&ゴールデン・ドラゴンにこそニューヨークを感じてしまう。 そして、ここに、日本人がとうに忘れた情念ソウルがある。
by senriyan
| 2018-03-11 22:18
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||