いかすぜ、北欧アフロ・キューバン・ジャズ |
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2022年 07月 24日
しかし、こう暑いと、ドロドロしたジャズなんかはキツイ。それで、北欧ジャズなんてはどうかしらと思う。
おそらく、北欧のジャズマンにあっても、米のウエスト・コースト・ジャズの影響力たるや計り知れないものがあったことだろう。模倣していくうちに、そのクール感は遺伝するのが当たり前。クールで冷ややか。熱帯夜をのりきるための白夜のジャズ。 これは、知る人ぞ知る。GOSTA THESELIUS Cobraという7インチEP盤。 ゴスタ・スセリウスという人は私ほとんど知らない。スウェーデンのストック・ホルムに生まれスウェーデン・ジャズ界では有名な人で、ビック・バンドのリーダーで作編曲家で、かなりの数のスウェーデン映画の音楽も手掛けているらしい。それくらい。 それで、7インチEPの一曲の片面の二曲目に”Cobra”というナンバーが収められているんだけど、これが、ちょっとびっくりする秀逸なアフロ・キューバン・ジャズ。17人編成のビック・バンド。アルト・サックス、アルネ・ドムネルス、トランペット、ベンクト・アレン・ウォーレン、トロンボーン、オキ・ペルソン、メンバーはスウェーデン・ジャズ当時の俊英。この水準の高さを思い知る。何度も針を降ろしてしまう中毒性のあるナンバー。 これを最初に発見したクラブDJはホントに凄い。このEP4曲入りなんだけど、あとの3曲はこう言ってはなんだけどまあまあそこそこのナンバー、だが、このナンバーときたらイントロからグッとくる。高揚感、おそらく、これを掘ったDJがブルブルと鳥肌立ったことは容易に想像できる。 そして、Cobraコブラという強烈なタイトルを持ちながらも、なぜか、今まで時代に埋もれていた。スウェーデン・ジャズ界はこの事実をどう受け止めるのか。(笑) しかし、クラブDJたちは、このようにハード・バップに何気なく入っているアフロ・キューバン・ナンバーそれを貪欲に追及している。それは何よりフロアで踊る、盛り上がることを前提としてではあるが、これはそれまでの私を含めたジャズ・マニアの感覚はなかったことである。我々世代はジャズ名盤の良し悪しをレコード盤でとらえた、だが、クラブDJは、ノレルか、ノレナイか、曲でとらえる。 かって、パーカッションの入ったジャズ・レコードはジャズの重鎮たちによって敬遠された時代があったことは確かだ。パーカッションというならまだいい。コンガ、ボンゴ入りはアカンネと。ボンゴ? 話しを変えて、このレコード、私のは一曲目にキズがあって、あるのか、プレスミス?、パチ!、パチ!となる。それが、多少気になっていた。それで、以前、状態の良いものに買い替えたんだけど。それほど、高価でもなかったし。そう、このレコード、それほど、高くないんだよね。 ところが・・・、その買い直した盤、昨日、久しぶりに取り出したら、なんと、盤の表面がテカテカになっていて。そう、北欧盤あるあるのビニ焼けの軽い状態になっていて。そうだな、このところの気温、そして、雨が続いて湿度もあった。もっと、保存に気をつけるべきだった。チクショーという気持ちに。うん、過去に北欧盤EP何度か数枚ダメにしている。それで、除湿器も買った。それで、ヨーロッパのEP盤を全点検する・・・。 夜も更けてそのほか被害はなかったようだ。安心して寝る。 ヨーロッパEP盤にはこうしたアクシデントがつきまとう。考えてみれば、北欧の亜寒帯気候、ツンドラ気候とここ日本の高温多湿このような場所から連れてこられた北欧EP盤こそ、いい迷惑だろう。だから、北欧EPのコレクションなんかやめるべきか・・・。 だがだ、私の経験からいって、この塩ビ焼け、なるものと、ならないものがある。つまり、なるものはいずれなるし、ならないものはならない。これが不思議だ。 ドイツ盤はならない。英国盤ならない。ポーランド盤もならない。フランス盤もならない。イタリア盤は一部(music)なる。オランダ盤一部(delta)なる。デンマーク盤、スウェーデン盤なりやすい。とくに、(metronome)がやばい。この(metronome)もなるものとならないものあり。あくまでも私見だがご参考までに。 このレコードも、同じレコード番号、を同じ、保存状態(二枚そろえて同じ場所に収納)していたのにも関わらず、一枚はなり、一枚はならなかった。 今回の被害状況を受け、至急対策本部を設立、なるべく、部屋の換気をよくして、湿度計を設置、湿度58パーセントを超えたところから除湿。収納ボックスの蓋はしない。二段重ねはしない。ぎっしり詰め込まない。床に置くより、なるべく部屋の高い位置に。ビニ焼けのひどい状態になると、盤に凸面ができて、酸っぱい匂いを発散する。この匂いを愛犬ポチに憶えさせ、この匂いがするようになったら、わんわん吠えさせるようにする。 うん、それよりもなによりも、この時期、デンマーク盤とスウェーデン盤のEP盤をサランラップでくるんで冷蔵庫で保管しようかと真面目に考えている。(なんの根拠もありません。マネしないでください) この盤もう一枚買い替えるか。どいうわけか、難があるレコードを買い直して、結果オーライということになることは稀だ。買い直したらセカンド・プレスだったり、音がイマイチだったり、キズがないのに音の底にノイズ感があったりする。これは一体なんなんだ。レコード買い直しのタタリだろうか。 だから、私は、この盤はキズあり盤とビニ焼け盤の二枚を所有。この程度のビニ焼けならば、ボリュームを上げて聴くことによって、サーフェイス・ノイズもそれほど感じない。だから、今の程度のビニ焼けの状態を保てる限り、これはこれで当分いくつもり。しかし、レコード・コレクションとはなんとも果てしないことよ。 このレコード、あるディスクガイドでこの盤を紹介しているDJの方から、音圧が低いものがあるので注意、という記事を読んだことがある。 私の所有の二枚、確かに、一曲目やたら、音圧が低い。だが、目当てのCobraでだいぶ持ち返すが。もしかしたら、この二枚は、音圧が低いものだったかも知れない。 うん、三枚目、狙うか。 しかし、レコードの保管と、夫婦のカンケイというのは似ている。買ったはいいが、(結婚したはいいが)奥の方にしまったまま放置しておくと、レコードの方(奥方の方で)でむくれる。たまに取り出して、アーダ、コーダと、ゴキゲンを伺わなくてはならない。 #
by senriyan
| 2022-07-24 18:09
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2022年 07月 18日
私は昼寝が好きだ。というか、レコード聴いて、お酒飲んで、気がつくと、いつもそういう状態になっている。そして、夕方、奥さんのご飯だよ、なんて声に起こされて、ひと風呂浴びて、キュウリに味噌をつけたのをポリポリやりながらまたビールを飲む。あと、私的、男の手料理として、ピリ辛冷ややっこというのがあって、豆腐を買ってきて、それに、ねばねばのオクラをかけたら、ラー油をたらすという一品。食欲のない夏場、お勧めです。 そんで、明日もまた休みかなんて思うと実に幸福な気持ちになってくる。せっかくの休日をそんなものに使いたくないなんて方もいるのだが。私は、昼寝の自堕落で退廃的な感じが好きだ。 だがだ、夏の昼寝、この殺人的な猛暑、異常気象の夏、シエスタは自身の身を守る意味合いとして、これからの時代、必要不可欠なものとなっていくだろう。日本政府は今すぐシェスタ制度を導入すべきだ。12時~14時の間、全国の生産現場で稼働停止、仮眠室のエアコン電源を除き、全個所で電力節電。何、生産性が落ちる、日本経済の危機、いや、むしろ上がるんじゃないか。 そして、この昼寝とウエスト・コースト・ジャズ、実に相性がいいのだ。これらを聴いていると、つい、ウトウトと・・・。 それはなぜか、私は知っている。昼寝、ウエスト・コースト・ジャズ、どちらにも、倦怠と退廃、そして、あきらめ、諦観のようなものが潜んでいることを。 なぜ、あの頃のウエスト・コースト・ジャズには、皆、申し合わせたように(夏の昼寝にふさわしい)こうもクールで冷ややかなサウンドを奏でていたのだろうか。アート・ブレイキーのドラミングとチコ・ハミルトンのドラミングのスタイル、それを説明するだけで、イースト、ウエスト、あの頃の米ジャズその違いの明確たる説明となる。そしてだ、なぜ、若年寄りのような静観、諦観があったのだろうか。 このレコードなどは、まさに、どうぞ、お昼寝してくださいとばかりの室内楽的ジャズ、”ナイト・イン・チュニジア”は、東のハード・バップとはの真逆の解釈。若きソニー・クラークが参加、かの後ろ髪を引かれるようなフレーズはまだここにはない。淡泊な粒たちのフレーズ、まさに、ウエスト・コースト・ジャズ。 諦観、静観、それは黒人主体の憧れ本場モン、イースト・コースト・ジャズに対してのオレたちマガイモノ感、そういったジレンマがあったのか。はたまた、この後、数年後にはビートルズのアメリカ上陸によって音楽産業が様変わりする、それを予感していたからか。 あの頃から、カルフォルニアは暑かったのだろう。やはり、連日、射すような陽射し、アスファルトからゆらゆらと蜃気楼が、海岸線を行き交うウミネコは乾いた羽音を響かせ、ジャズ・ミュージシャンらは、冷やしたシャルドネのスパークリング・ワインなんての水代わりに飲んで、気がつけば、私のように毎回、お昼寝ということになっていた。そして、夕方、食べちらかしたチキンやら、ピザの包みや、グラスやら、ナプキンやら、倦怠感、よろよろとソファーから立ち上がると、歯に挟まったチキンのかけらを洗面所に吐き出して、ライヴ・ハウスに向かう。ライブ・ハウスの空調機器は、むわっとした湿度を下げきれない。とすれば、東のハード・バップのようなヤケドするような熱い演奏などさらさらする気になどならず、そうして、いつものクールな清閑ただようプレイに始終する・・・。 実に、ウエストコースト・ジャズのクール感とは、こんなところにあるのではないかと推測する。 抑制されたアレンジのきいたアンサンブル、さらには、パーカッションが入ったラテン・ナンバー数曲あり。だが、クラブ解釈的にはイマイチか。2グループがA面、B面に分かれて収録、片方のグループのトランペットで、スウェーデンのロリフ・エリクソンが参加。この人が入るだけで、なんか、北欧ジャズな雰囲気となる。思えば、北欧ジャズ、その初めは、オレたち北欧ジャズを作るんだと、そうした意気込みではなく、なんか、米ウエスト・コースト・ジャズを模倣していたら、いつの間にやら、それが北欧ジャズと呼ばれるようになった、北欧ジャズその由来、そんなことを思う。もちろん、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、北欧ジャズもクール感は存在する。 お昼寝には、レコードをとっかえひっかえするよりも、一枚で用たりるベストものV.Aものがいい。パシフィック・レーベルはお手の物。 レタリングされたStereoの文字がこれでもかと、販促品のサンプラーで音が悪いわけないと、これは、ステレオ的に音質が期待できると見て購入してみたがやはり良かった。あの頃のステレオ感、お金持ちの邸宅にあったステレオ装置、そうした音をイメージする。このレコード、日本盤はジャズ・レコード店のV.Aコーナーでよく見かけるが、米オリジナルこのサンプラーはあまり見かけないような気がするがどうか。 この日系人か?アイスクリームを舐める女の子をとらえたphotoもカメラマン、ウイリアム・クラクストンによるもの。女の子が舐めるアイスクリームはなんと、二段重ね、1956年、昭和31年、日本ではこんなアイスは見たこともなかった。まさに、アメリカン・ドリーム。私が知ったのは、両親の故郷、秋田、そこのババヘラアイス。 このレコード、パシフィックの名盤から20曲が編集されて詰め込まれている。特筆すべきは、A面、ラジオ的なDJ(ディスク・ジョッキー)入り。本場、米国人の、ジェイリー・メリガン、チャット・ベーカー、JAZZが、ジャーズ、等、発音が一々カッコいい。 これは、バド・シャンクの流麗なソロの合間に、テケテケなお気楽サーフイン・インストのギターがかぶさるようなものだと思い込み、これまで、レコード店でスルーしてきたが、なんと聴いてビックリ。ジャケットに惑わされてはならない。サーフイン・ミュージックのあのお気楽な感じゼロ。テケテケなギターを弾くはずだったBILL BEANビリー・ビーンというギターリストがいい。なんというか、単音、派手さのない深夜のジャズ・クラブにふさわしい音を紡ぎだす。さらには、曲のテーマをバド・シャンクのアルト、ないし、フルートとのユニゾンで奏でるわけだが、その呼吸になんともいえない小気味よさがある。そして、やたら、いいベースだな~と思って聴いていると、それが、若い頃のゲイリー・ピーコックだったというのを知る。このレコード、いがいに、バド・シャンクの傑作の一枚だったりして。 実にこれは映画のオリジナル・サウンド・トラックであって”Slippery When Wet”というサーフイン映画?とのことだが、このDVDがあってそれは日本でも入手可能であったという。これは大変興味深い。 こうして、三連休を、これらレコード聴き、飲酒、昼寝でとおしてきた私。 昨日、携帯の着信がなって、メール本文には「遊んで暮らせる島に行きませんか。あなたには、その資格があります」との文字が・・・。 そんなバカな、と思いながらも、深夜二時、指定された近所の公園に向かうと、約十分後に、ロバの三頭立て馬車のお迎えが・・・、 ワシ鼻、山高帽、マント姿の御者が言う「さあ、一生遊んで暮らせる島行の馬車だよ、社内の煩わしい人間関係もない、正社員の責任もサヨナラ、朝はいつまでも寝ていいし、夜は寝たい時に眠ればいい。さあ、断る理由はないよ。だけど、送られたメールのURLを見せておくれ。誰でも彼でもっていうわけにはいかない」 私はなんのためらいもなくワゴンに乗り込む。 そして、私はその大人の遊園地で、高級カジノ、高級バー、高級クラブ、付き添いの女の子をあらゆる国籍美女30人から選び放題、さて、どの子にしょうかな・・・。 といっているうちに昼寝から目がさめる。 テーブルの上は、カルフォルニア・ワインの空き瓶やら、ビールの空き缶やら、ピザの食い散らかした跡や、タバスコやら、ラー油やらの退廃の痕跡・・・。 そこに、ボブ・ゴードンのバリトン、ハービー・ハーパーのトロンボーンのユニゾン、潮風、その渇いた音色の余韻が・・・。 ロバにならなくて良かったか、いや、いっそロバになってだな。退廃の極みを送りたかった。ロバくん、おはようこどもショー、いや、こんばんわ大人ショー。 ロックの台頭、そして、ボサノヴァの流行により、米ウエスト・コースト・ジャズ、クール・ジャズとは衰退していったような気がする。 もちろん、清涼感漂うボサノヴァを聴いて、お昼寝、それはもちろんあり得ることだが、但し、そこには、昼寝に後の、退廃、倦怠感は、ウエスト・コースト・ジャズほど漂ってこない。なぜか、わからんが、後ろめたさ、その病魔のようなもの、それは確かにここにあるのだ。 そして、その後、これら、カルフォルニアの病魔のようなものは、どいうわけか、数年後、ザ・ビーチ・ボーイズに受け継がれる。 #
by senriyan
| 2022-07-18 17:34
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2022年 07月 03日
植草甚一は写真集、画集、アート・ブックに興味がなかった。
今回はそんなことから書いてみたい。 植草さん亡き後、所蔵品としての、膨大な蔵書、レコードが残されたわけであるが、レコードはタモリさんが、そして、蔵書は片岡義男さんが引き取ったと言われている。それは、故人が熱意を込めて集めたものをただただ散乱させてはならないという思いからであるが、蔵書のほうは、古書マニアが贔屓するような初版本のような価値のつくものはほどんどなかったといわれている。所謂、ゾッキ本、大半がそうしたものだったと。 そういえば、植草さんが古書店に佇む写真には、よく、書店の店先にしゃがみ込む植草さんを写したものをよく見かける。ここには、店のバーゲンセール、300円均一、ゾッキ本、特価本のコーナーがある。これは神保町でもそうだし、ニューヨークの古書店でも同じだ。やはり、ニューヨークの有名な古書店でも、植草さんは店先にリスのように小さくまるくなって、しゃがみこんでいた。 植草さんの本蒐集には一般的な古書マニアとは異するある独特なクセのようなものがあると思う。 植草さんは、本マニアを超えた、本の道、そのプロのような人である。が、古書マニア垂涎、お宝としての初版本のようなものにはそれほど興味がなかった。 ヘンリー・ミラー「北回帰線」やウラジミール・ナボコフ「ロリータ」の初版についてふれてはいるけれども、それがたまたま初版であったかも知れないが、わざわざ初版を求め買い直すということはやられていない。 さらには、古書に対しての新刊本だ。何か、贔屓の作家がいるとして、その作家の新作を待ちわびて、新刊書店に赴くという記事も少ない。 私は、植草さんが足しげく通ったイエナ書店が銀座にあった頃、私はあの一階と二階を結ぶ階段の踊場で、サインをもらおうと、植草さんを張っていたことがある。が、ついぞ一度もその姿をお目にかけることはなかった。それもそのはず、その頃、植草さんは闘病をしていて都内の病院に入院していた時期であったことは後に知った。 イエナ書店は古書店ではないが、新刊書店とはまた趣が違う。うん、今ある、本のセレクトショップそんな感じではなかったか。 植草甚一は、徹底して、古書、古本、植草的には、ふるほん、ではなく、ふるぼん、に徹底してこだわったのだ。 ここ日本でも、ニューヨークでも。 それはなぜかには、すぐ答えられる私がいる。 そう、植草甚一の雑書狩り、そのとっかかり、ファーストコンタクトは日本の終戦時、敗戦下、進駐軍払下げのペーパーバックのミステリーであったからほかない。 魅惑的な表紙、デザイン、ポケットに入るサイズ、出掛け、合間にそれを読めるというアメリカ的合理性。植草さんは、それを目で楽しみ、表紙を撫でまわし、印刷の匂いを嗅ぎ、恍惚の一時を過ごしたのではないか、焼け跡のバラックを背に、と、そう思う。 これは、植草が英語で書かれた、ときにスラングなどを含む、そういった書物を理解できたインテリであったことも重要だが、それが、闇市のような場所、格安で、それが、何より、新品な書籍ではなく、古本だったというのが、植草の半生と古本の最初の出会い、その邂逅の重要性を端的に表してはいないだろうか。戦争が終わった、自由な風、進駐軍払下げのペーパーバック、古本についた汚れ、コーヒーか、ケチャップか、アメリカの汚れ、指でこすってみる、それすらも興味対象なのである。 植草甚一の青春、NHKの朝ドラで取り上げてくれないか、でも、本屋、映画館、ジャズ喫茶、と自宅を往復するだけの物語、興味がある国民は少ないか。 新刊ではなく、古本、そして、植草さんは、写真集、画集、アート・ブックに興味がなかった、と思う。 たとえば、アンディ・ウォーホル、ジャクソン・ポロック、ロイ・リキテンスタインの画集、コラージュとしての川端実、写真集で言えば、ユージン・スミス、リチャード・アヴェドン、ウィリアム・クライン、木村伊兵衛のパリ、当時の最新気鋭のアーティストたち。なぜ、オマエにそんなことが分かる・・。いや、「知らない本屋を捜したり読んだり」(晶文社1974年刊)には、植草さんがニューヨークで買った本として、その背表紙がズラッと並んだ写真がのっていた。確か、それには、この手の写真集、画集、アート・ブックはなかったと記憶する。 さらには、お洒落ヌード、サム・ハンスキンスの一連の作品を、植草さんは興味がなかったのか、スルーしたかで、日本でこの写真家が再評価されるのは渋谷系の影響を受けた1990年代に入ってからである。 そして、これらは、植草さん亡き後、現在、植草さんのいない神保町の古書店で高価なプライスで売られている作品ばかりなのだ。 なぜ、植草さんは、写真集、画集、アート・ブックに興味がなかったか。 うん、私は思う・・・。 実に、こうした写真集、画集、アート・ブック、一冊、一冊が重いからだ。 こうしたものを休日、散歩のなか、手に入れる、ズッシリと重い、それを抱えながら、散歩を続けることは、まあ、不可能であろう。とくに、今日のような猛暑日には。 もちろん、宅配サービスを使えば造作もないことである。だが、植草さんの時代、それは、今のように一般的であったか。さらには、その値段である。それらは、もちろん、現在、神保町、ニューヨークで手にいれるよりは安価で買えたことだろう。だが、当時とて、こうした書物は、一般の書籍に比べれば、グッと値段ははったはずである。冒頭に戻れば、植草さん、バーゲンセール、ゾッキ本が好きだった。 植草甚一と言えば、雑学、買い物、お洒落、だがだ、それは何より、散歩であろう。 散歩、その妨げになってしまう、写真集、画集、アート・ブックに手を出さなかったということは理にかなっている。 植草さんの有名なエピソードに、洋雑誌をまとめて買う、そして、重さを減らす為に、その場で、広告のページをビリビリと破いて棄てたというのがある。米雑誌「プレイ・ボーイ」、あの雑誌のメインともいえるヌード・グラビアもその例外ではなかったと。なるほど、サム・ハンスキンスに興味がなかったのもなるほどか。 ヌード・グラビアはともかく、広告のページ、それに目につけたのが、カウ・ブックスの創始者、松浦弥太郎氏だったというところも面白い。まさに、捨てる神あれば拾う神ありである。 そして、ここで言いたいのが、植草甚一、あまり書かれてはいないが。実に、植草さん、驚くべき体力をもっていたということを。 羽振りがよかった頃の植草氏は神保町、買われた何十冊という紐に括られた書籍とともにタクシーに乗り込むその写真が残っている。だが、大抵は、バス、そして、徒歩で、恒例、日課としての書籍狩にいそしんだ。そしてだ、植草さんは、神保町の隅から隅までをフィールドとして、実に、細かく、歩き回っている。神保町を知る者なら、あの場所が、ただ、古書店が軒を並べたストリート、そうしたレベル、範囲ではないことはご存じだろう。まさに、日本、いや、世界的規模でもってして、屈指の古書店街なのである。 そのエリアを歩きまわるだけでも、まずまずの体力が必要になってくる。そこに買った本の重さだ。数十冊の本の束を抱え、植草さんはあの頃の猛暑の神保町で書籍狩を、毎回のように慣行していたのである。本を8冊くらい買ったくらいでは、まだまだ(本を求めて)歩きたいと、植草さんはあるインタビューで答えている。 あなたなら、本8冊を抱えて、炎天下の都内の街をぐるぐると歩きまわれるだろうか。さらには、ニューヨークだ。滞在したホテルから、行きつけの書店まで、植草甚一は毎日、どれだけの距離を、買った本を抱えて歩いたのだろうか。 レコード買いの植草甚一を目指すべく、これは、小西康陽氏の言葉だが、私も、それを目指すべき今日に至っている。 そして、年をとるほど、植草さんの年齢に近づくほど、植草甚一の流儀、それが、身に沁みて、理解できるようになる。いや、まだ、その領域の足元にもおよばない。その前人未踏の地であるが、そのスタイルを、意識せぬまま、ただ模倣していることに気づく。 私も、ここのところ、レコードの駄盤ばかりを買っている。人が目につけぬ、それでいて安いものを、昨日も、WE ALL TOGETHER /CARRY ON TILL TOMORROWという南米ペルーのサイケデリック、ソフト・ロックの7インチシングルを880円で買って一人税に入っているところである。そして、いちばん楽しいのは、2千円くらいのレコードを4、5枚買うことだ。だが、一万円くらい駄盤買いで気づいた後、ふと、高額盤の壁を見れば、なんだ、こんなレコードが買えたではないかという、植草道に徹しきれぬまだまだの私がいる。 植草甚一を炎天下の神保町をひたすら歩かす理由、突き動かす理由、それは、次のあの店には、あんな、こんな古本があるかも知れない、とにかく、行ってみなければならない、その一言だろう。 現在、このネットの時代、それは、失われつつあるものだ。 植草さんは雑書狩の一時、神保町の喫茶店で涼をとった。そして、買ったばかりの本を取り出し、目を細めて、表紙を撫でまわした。 私も、昨日、御茶ノ水の焼肉屋で、ミノなんかを炙りながら、冷えたマッコリを頂く、そして、買ったレコードを袋からのぞく、最高に幸せだ。だが、まだ買い足りない。もう一軒レコード屋を覗くか、いや、もう帰って昼寝だなと。 そして、思うのは、植草甚一という人の、何か現代人が忘れかけているような、その奇妙な情熱であり、そして何よりその体力である。 #
by senriyan
| 2022-07-03 17:33
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2022年 06月 19日
Motions & Emotions Oscer Peterson レコードに針をおろす、こすれるスクラッチ音、すると、音楽とともに、どこからともなくその時代感が部屋に忍び寄ってくる。 それは、当たり前だが、高額盤、安レコ、値段の問題ではない。 だから、現在、2022年にアナログ・レコードで録音された音源作品は、今から百年後、2122年に聴かれたとしても、その音楽からは、この2022年の気配をまとい、漂わせて、聴こえることだろう。結局、私がレコードを聴く理由はそれである。レコードの音が、所謂、高音質だからではない。そもそも、アナログ・レコードに高音質という言葉は似合わない。例え、それが、音の良い盤だったとしてもだ。 ついでに書いておく、レコード・コレクターがレア盤、高額盤を買う行為として、人に自慢したいというのがあるのではないか、という見識をお持ち方がいる。 大枚をはたく理由は、何より自分がその一枚がほしい、必要だからであり。作品の内容も知らずに、興味もなく、人の羨望をあびんが為に、だけに、その一枚を入手するということはない思う。大枚をはたいた、明日からどうしょう、奥様に如かれられる、その代償があって、ようやく、自慢、人様の羨望をあびることが叶うのである。望むか望まないかに関わらずに。ただ、私が言いたいのはレコード・コレクターはまず純粋であると思っている。 ジャズのすべてが好き、ジャズ全般なんでもこいです、というわけにはさすがにいかない。ジョゼッピ・ローガンとケニー・Gが好きですという人がいてもおかしくはないが、なんか、ほんとかよ、という気持ちが先にたってしまう。その人には、ジョゼッピ・ローガンとケニー・Gの人格が交互に訪れるのだろうか。 私の場合、嫌いというわけではないが、ジャズ・ピアノの大御所でいうところのオスカー・ピーターソンがなんか苦手だった。サイドマンとして参加しているレコードは数枚あるが、この人のリーダー・アルバムというのは一枚も持っていない。応接間に置かれたステイタスとしての高級オーディオ、音楽ファンではない、かってのサイドボードに置かれた高級酒のボトルそれと同じ空気感を持つ、そこに流れるのはミュージックとは、品格、知的な雰囲気を演出、安全保障のMPSレーベル、オスカー・ピーターソンの作品群。そんなド偏見なイメージを持っていたからか。 だから、この間、レコード店で、オスカー・ピーターソンのMPSを見かけても、なんとも思わない私であったが、今回、ふと、めずらしく手がとまったのだった。なぜか・・・。なんと、このレコードは白ラベルのプロモ・コピーだったのだ。 おおっ、MPSにもこうしたプロモ盤があるんだなと感心することしばし。オスカー・ピーターソンに限らずMPSのプロモ盤など今まで見たことは一度もないように思える。プライスカードには、例のごとく高音質の文字が躍る。高音質かどうかかは、こっちが決めることじゃいと思いながら、たださえ、良音盤のMPS、うーむ、なら、このプロモ盤は、より、生々しい音が刻まれているのではないかと。ヤッタ!とガッツ・ポーズを決めレジに向う私だったのだ。 家に帰るや、その音質を確かめようと・・・。 すると、だ、そこから流れ出した音楽、良音は間違いない、当時のジャーマン・テクノロジーの最高峰を駆使して録音された音楽。まさに、芸術的な工芸品、ファニチャーのような、ふと舞い降りた落ち着いた空気感があたりを一変する。そして、この音楽から、私は、やはり、やはりだ。この音から、その時代の匂いを感じずにはいられないのだ。 うん、この音を聴いていると、自分の学生時代、もしくは、就職した頃の、1970年後半の雨の喫茶店のイメージがどこからともなく押し寄せてくる。 モーニングセットなどを頼みながら、雨のウインドウを眺め、ただ、ボーツとしていたあの頃のイメージが・・・。 あの頃、喫茶店にはBGMがあった。CDもなくサブスクリプションもない時代、あの頃のそうした音源は何が使われていたのだろうか。 有線だろうか。ラジオだったのか。はたして、店主がレコードを一枚、一枚、かけていたのか。どちらにせよ、この音には、そうした記憶がまとわりついて聴こえる。 オスカー・ピーターソンに敢えて弾きすぎない、計算された、あえて音数をおさえたピアノ。そのそれを包み込むような流麗かつ冷気を感じさせる、クラウス・オガーマンのストリングス・ホーン・アレンジメント。そのそれは、シャンパンタワーを眺めているような、最上段のグラスは自分のグラス、自分を満たせば、まわり人間も満たされるというシャンパン・タワーの法則、資本家のパーティ、そんなことを連想してしまう。いちばん上のグラスが自分だというところがいかにも資本家らしいイヤらしい考え方だ。 だが、何より、この音には、雨のその湿り気がある。1969年の西ドイツ、その日、MPSのスタジオは雨だったのではないか。あまりにも、優秀すぎる録音、機材が、その雨の質感、匂いまでも意図せずにひろった。 今思えば、このレコード、オスカー・ピーターソンのピアノ、バッキー・ピザレリのギター、サム・ジョーンズのベース、ボビー・ダーハムのドラムという米ミュージシャンの起用、クラウス・オガーマンのアレンジ、”Sunny”などの当時の米のヒット曲、なんと、ヘンリー・マンシーニ「ティファニーで朝食を」の”Sally's Tomato”をアルバム一曲目でやっている。さらには、ビートルズ・ナンバー2曲、そして、ボサノヴァ・ナンバー、”Wave”だ。そう、この感覚は、あのクリード・テイラーが興したレーベルCTIの感覚にもの凄く近い。おまけに、ジャケットも見開きダブル・ジャケット、コーティング仕様だ。 ちなみに、アントニオ・カルロス・ジョヴィンのCTI"Wave”は、これより二年前。ともに、アレンジャーはクラウス・オガーマン。 だが、これが、決して、米一色に染まっていないのが、やはり、それまでのジャズの米盤にはなかった厳格ともいえるその音の質感にあるからだ。 この後、同じ時期の、ジョージ・シアリングのキャピトル盤を聴いたが、その音の違いは歴然と感じられる。としても、MPS盤が勝っているというわけではない。 あの頃の、喫茶店でこのようなライトなジャズ・アルバムがかかっていたような気がする。そして、まさに、私はこのレコードを聴いたような気がする。 聴覚の奥底の記憶が揺さぶられるような感覚、雨の喫茶店、線路わきの紫陽花、欧米では紫陽花というのはネガティブな感覚でとらえられているようで、その花言葉は、高慢、冷酷などの意味を持つようだ。MPSの音質、徹底して厳格、威厳、ジャズが持つ本来の猥雑さ、ニューオリンズの売春宿、そうした匂いを一切合切排除したような、ここまでくると高慢までも言わないが、近寄りがたい人々のパーティを思い出したりするのも確かだ。きっと、私が若い頃、MPSのオスカー・ピーターソンを嫌っていた理由も、そんなところにあるのではないか。 だがだ、年齢を経て、自分も変わった。いつまでも、ライ麦畑少年ではない。シャンパンタワーのグラスの順序など、頭のなかで変えればよい。 これは何より、憂いを知っている大人、憂いに打ちひしがれている人間が、週末の夜に、つかの間、杞憂を忘れて、逃れて、その一時、隠れ場所のごとくして聴く音楽なのである。そして、そのリスリングは、そう日曜の夜がふさわしい。休みはまだ終わっていない。夜が更けてこのレコードをゆっくりと聴く。そして、ただただ、この音の連なりに、響に、ただただ、酔い、うっとりする。 そして、思い出す言葉は、シャンパン・タワーの法則。自分を満たせば、さすれば、まわりの人間も満たされるだ。 #
by senriyan
| 2022-06-19 21:04
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2022年 06月 12日
もはや、この段階で、必要なのはドローンを使ったメッセージ付き花束でないか。 おい、senriyan、オマエ平和ボケして何言ってる。それどこの話しだ。 えっ、なんの話しですか。いや、親友の恋愛相談にのったまでですよ。そいつの告白したい女性が高層マンションの最上階に住んでいて、聞いた話しによると、その子、風呂上がりに、キャミソール姿、バルコニーでウメ酒を飲む習慣が、そこに、ドローンで花束を、そういう話しです。 昨日、DVDを借りて映画「M★A★S★H マッシュ」(1970年)を観る。言わずもがな、朝鮮戦争時の野戦病院の医師たちの話し。悪ノリ、悪ふざけの連発、ブラックユーモアで、軍隊というのを徹底して小馬鹿にした、ふてぶてしくもタフな作品。しかし、時はベトナム戦争の真っただ中、プロデューサー、監督を含め、どれほどの批判を覚悟したことだろう。だが、これが一発当たって大ヒット。しかも、アカデミー作品賞有力候補、脚本賞受賞。当時の世相、アメリカ国防省はどういう気持ちでことの事態を受け止めたのか。だが、いやいや、これは、目下の戦争ではありません、かっての朝鮮戦争下のお話しです。作り手のそうした、話しの論点、ずらし方、トボケ方が実に巧妙。これは、現在においても使えるのではないか。 ライ麦畑少年だった私は、中学生の頃、年上の知り合いから、庄司薫の作品を紹介されたが、当時はサリンジャーの亜流、いやまったく違うものに思えてピンとこなかった。まだ、若すぎたのだろう。だがだ、ここにきて、急に、なぜか、なぜなんだか、庄司薫作品を読み返してみたいというひっ迫した思いに駆れるようになった。そこで、まず、近所の書店をまわる。中公文庫から出ているらしいが、そのコーナーには本は見つからない。若い女店員さんに尋ねてみる。すいません、庄司薫の文庫を探しているのですが、はい、お調べします、庄司・・・、ナニさんですか、はあ、本屋の店員なのに庄司薫も知らんのかと、思ってはいけないことを思ったりする。次の本屋さん、今度は、やや年配の女店員さんに聞くことに、すいません、庄司薫の本ってどのあたりですか、ショウジ・カオル・・・。どうやら、その女店員さんもご存じないようだった。さらに、我が町の図書館にも在庫なし、それで、昨日、新宿の紀伊国屋まで行ってきた。ここなら、さすがにあるだろう。なんてたって、ここ新宿紀伊国屋と庄司薫作品とはとある繋がりがあるくらいだから。2020年度の中公文庫の目録には4作品記載されているが、なんと、ここでも在庫なし。取り寄せは可能だが「赤頭巾ちゃん気をつけて」の一作品のみということ。いや、なんか、日本人、完全に庄司薫のことを忘れようとしている。斎藤さんちのモクレンの樹は今も健在か。 だから、記憶で書いているのだけど、薫くんシリーズ第二弾、第三弾?「白鳥の歌なんか聞こえない」は、確か、ガールフレンドの由美ちゃんが、薫くんを斎藤さんちのモクレンを見に行こうと誘うところからはじまっていたと思う。私は、これを読んだ時、それは、斎藤さんちのモクレンの花の咲きっぷりが見事美しいのはもちろんだが、何より、由美ちゃんが、薫くんを誘いだす、乙女的口実であるように理解したのであったが、そのそれは今回、確かめようもなかった。 そして、この物語は、このような凡庸な恋愛小説のような形をとっているけれども、実に、生と死、そうした重いテーマに言及していたような気がする。中学生の私に分らなかったのも当然である。 薫くんの親友に小林というキャラクターが出てくる。小説のなかで、二人は、しばし、あらゆることを論議する。そのなかで、”現実の馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死にしないための方法に”ついて考えるというくだりがあったということを、私はつい最近知った。 そして何より、モクレンの花、それを見る度に、思うにつれ、私は、この斎藤さんちのモクレンの花という言葉を連想してしまう。モクレンを見る度に、何年経っても、何処にいても。内容のすべては忘れてしまった。だが、優れた小説というのはこのように人の記憶に何かしらの杭を打つものなのだろう。 金曜の週末から、「M★A★S★H マッシュ」「キャッチ22」を観る。「キャッチ22」(1971年)はアート・ガーファンクルが出演していたことを久々に思い出す。さらに、「ウッドストック」(1969年)を観る。40万人の若者が結集する野外コンサート、これをはじめて知った頃、アメリカの若者の退廃ぶりに、市の教育委員会とともに目をそむけた幼少の私であったが、今、還暦がちかい私、もっと集まれ、もっと盛り上がれという、どこからともなくとうに忘れた熱き心が蘇ってくる。それで、締めに、「アメリカン・グラフティ」(1973年)を観る。ラストのザ・ビーチ・ボーイズの「All Summer Long」が流れるなか、結局、戦場に駆り出されるのは、将来有望な東部の大学に進学するエリートではなく、成績優秀でもなくスポーツでもパッとしないがどこか憎めないムード・メイカー的な人の好いお兄ちゃんということだと痛感する。 こんな休日の夜、ジャズ・バーでリクエストするのレコードは決まっている。スティーブ・マーカスのジャズ・ロック作品。 そのなかの”Count's Rock Band”これで決まりだ。この一曲目、”テレザのブルース”を大音量で聴く。(ジャズ喫茶に)これが、なかったら、テーブルごとひっくり返してもいい、名著「ジャズ・ロックのおかげです」で、故、中山康樹先生はウケ狙いでそんな乱暴なことを話していたけど、気持ちわからんではない。うん、そんな荒ぶれたお客様の魂を共に導き浄化させんが為、ジャズ喫茶、ジャズ・バーの店主様方にはこの一枚を常備されることをお勧めしたい。 スティーブ・マーカスこの人は、ぽっと出の新人ではない。バークレー音楽院出身、スタン・ケントン、ウディ・ハーマンなどのビック・バンドで研鑽を積んだ経歴を持つ。カーリー・ヘア、身長はそれほど高くない、そのことから、ネットで佐藤蛾次郎と書かれていたが、ウマい。 恐らくだ、ジャズ・ロックのその始まりは、血気盛んな若手のジャズ・ミュージシャンが、なんの気なしにビートルズの曲プレイしてみた、そんな感じではなかろうか。(6/13日追記 ジャズ・ロックの金字塔とされるマイルス・デイヴィスの”Jack Johson”は1970年発表、本作スティーブ・マーカスのデビュー作はなんとそれより二年ほど早かったのです!蛾次郎やりよるわ)まるで、クラウス・フォアマンとリンゴ・スターのような単調なゴツゴツしたベースとドラム、それに、ギンギンのラリー・コリエルのギターと、唯一知的なマイク・ノックのピアノ、で、コルトレーン、ファラオ・サンダースばりのフリーキーなサックスがところ狭しと暴れまくる様はまさに恍惚、エクスタシーの極北。カタルシス。 この人の出世作、一枚目の”Tomorrow Never Neows”は当時のジャズ評論家の方々にもウケがよく、硬派なジャズ喫茶でもしばし聴かれたという。今や、どうしてか人気がなく売れ残り列伝。日本人、いや、世界のジャズがスティーブ・マーカスのことを完全に忘れようとしている。私は980円で購入。右上にマーカスのサインらしきものあり。私的、お宝盤。 そんで、今回、紹介したいのがこれ。”The Lord's Prayer” これは、あまりお勧めはできないが。ハービー・ハンコック、ミロスラフ・ヴィトウスが参加しているが、軽いお付き合い程度。で、このレコード何が、凄いって、ドラッグとマリファナ、ラリパッパの世界そのものなのである。恐らく、この盤に制作意図のようなものがあったとしたら、そうした状態で、レコーディングしたら、どんなシロモノが出来上がるか、その興味本位だけで作られた作品のような気がする。ドラム・ソロと叫びだけの、ほとんど冗談のような曲がある一方、"T.With Stiring"映画タクシー・ドライバーのテーマ曲のような倦怠感を持ちながら信じられないくらい美しいナンバーがある。但し、2分06秒。これらの感覚、驚くほど、「M★A★S★H マッシュ」「キャッチ22」の感覚に近い。そう、鎮痛剤として、モルヒネ、ヘロイン、幻覚作用、いや、私、しんせい、わかば、ゴールデンバットしか知りません。そして、ピース、そう、Piece、ピース!! もはや、この段階で、必要なのはドローンを使ったメッセージ付き花束でないか。 で、あなたら、そのメッセージにどんなことを書きこみます、というのが今回、私が言いたかったこと。 おい、senriyan、オマエ平和ボケして何言ってる。それどこの話しだ。 うん、そろそろ、私、このあたりでドローンならぬ、ドロンさせていただきます。 #
by senriyan
| 2022-06-12 18:47
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