小雀俊二のレコード・コレクター珍士録 第四回 【前半】 |
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2022年 10月 15日
A&Mのノスタルジーって懐古趣味じゃなくて、初めからノスタルジックなのよ 豊臣葉子さん &Mレーベルのコレクターの方に登場してもらうことになった。初めての女性コレクターです。自己紹介お願いします。 何、それ、よそよそしい感じ、私、葉子さん、女性で自分のことさんづけして呼ぶ人いるでしょ、それが、私。senriyanの飲み友達。それより、アンタ、大鷹さんに怒られない。 怒られたら全力で謝ろうと思ってます。でも、私、レコード・コレクターズ買って、最初に読むのはあのページなんですよ。 気を取り直して、(笑)ということで、ご年齢お願いします。 女性にトシ聞くの・・・、アンタ、知ってんじゃないの。 (この人は実際のモデルがおりまして、実際の年齢より若く見え、お綺麗な方ですと一応書いておく) いや、みなさん知らないと思いますから。 というか、A&Mの話をこれからするんでしょ、年ばれちゃうじゃない。まあいいわ、おまかせ歳。それに、A&Mのレコード数枚持ってるだけでレコード・コレクターっておかしくない。よっぽど出る人いないの。いいから、さっさとやってアナタの奢りで熊谷の飲み屋へレッツラ・ゴー。 レッツラ・ゴーって、古いな~。 それでは、最初に買った、もしくは聴いたA&Mのレコードって、どんなでした。 その前にね、私、A&Mって、すっかり忘れてたのよ、だって、今、ラジオなんかでもかからないし話題にもならないでしょ。私だけじゃなくて、みんな忘れてるんじゃないのA&M。最近A&Mの話リバイバルとかで聞く? いや、確かに。今年、A&Mのプロデューサーだったトミー・リュピューマの自伝がでましたけど、あれもA&Mに的を絞った作品ではないですし・・・。 で、忘れてたんだけどね。緊急事態宣言の頃、外出できなくて隣街でA&Mのサンド・パイパーズのレコード見つけて買ったのね。何気なくよ。日本盤、ものすごく安かったのね。これベスト盤ね、そしたら、ビートルズのカバー、THE LONG AND WINDING ROADのところで、何、何、この感じは、みたいな、キューンと胸の奥底、鷲掴みにされたのよ。そこから引っ張りだれたのがノスタルジーの肝よ。 その時、私思ったんだけどさ、A&Mポップスってさ、小学校の帰り道、あの頃さ、土曜日の授業って午前中に終わったじゃない、あの下校途中の帰り道を想いだすのよ。 (当時の日本盤提供 豊臣葉子) もはや、その頃からA&Mポップスを聴いていた。 聴いてるわけないじゃん、小学生だもの。でも、きっと、その頃、ラジオからこうしたA&Mポップスは流れていた・・。きっと、私たちは、それを聴く由もないまま、耳に入っていた。そういうことじゃない。 なるほど、それが、サンド・パイパーズのレコードのレコードをたまたま聴くことによって、覚醒したと。 そう、呼び覚まされた感じ・・・。あの下校途中の帰り道、どっかの家のラジオからそれはきっと流れていたのよ。お昼の支度、漂うインスタント・ラーメンの匂いと共に。そのラーメンの銘柄をあてる子もいたわね。クンクン匂いを嗅いで、これはサッポロ一番だとか、出前一丁だとか。(笑) 確か、そのレコードは日本盤でしたよね。 そうよ。キング・レコードの日本盤。 きっと、あの頃のラジオ局って、音源は日本盤だったんじゃなかな。わざわざ、手に入りにくい米盤とかかけるかな。というのは、現在、ぼくらが聴いいているというのは米盤のオリジナルとかじゃないですか、当時の日本盤を手に入れるほうが逆に難しい。で、私、思うのですが、今、このお持ち頂いたこの日本盤、まさに、幼少の頃、ぼくらがラジオから聴くともなしに、聴いていた、A&Mポップスの音なんじゃないですか。 聴き比べたわけじゃないんですけど、きっと、米オリジナルの音とはどこか違うんじゃないかと。それを、都内に外出できない葉子さんが、隣町のレコードでたまたま何気なく買ったサンド・パイパーズ、その音との邂逅。キューンと胸の奥底、鷲掴みにされたノスタルジーの肝に、見事繋がってたんじゃないですかね。 何、日本盤だからこそ、そうした思いを得られたってこと。 そうです。まあ、サンド・パイパーズの米盤を聴いても、ノスタルジックな感傷にひたれたかもしれない、が、ですね。ここまでのそれには及ばない。日本盤を聴いたからこそだと思います。 だけど、お話はそれだけじゃないのよ。この曲知ってるわよね。 COME SATURDAY MORNIG、土曜の朝には、ああ、もちろんです。名曲ですよね。 そう、もうこれが、タマラナイのよ。ビューティ~フル。もう、完全に忘れてたわよ、こんないい曲。でさ、この曲、古い映画でさ、ライザ・ミネリが出る「くちづけ」って映画知ってる。その映画の主題曲なのよ。 はいはい、私、中学生の時、テレビでお昼のロードショーという時間枠で観た記憶が残ってるんですけど、ちょっとしか覚えてない。でも、確かに、鮮烈な印象残してて、その後、テレビで放送されたという記憶もないし、リバイバル上映されたという記憶もない、間違いなく、もう一度、観たい映画ですね。 あなたが覚えているところって、どんなところ・・・、 確か、男の子が初めてのベットシーンで、ズボンを脱ぐ時にバランスを崩してコケそうになるところ、あと、灯台の空をカモメが舞っているところ。 アンタ、変なシーンばっか覚えてるわね。だけど、私、この映画大好きで、当時のパンフレットもってきちゃった・・・。 おお凄い、貴重ですね。監督はアラン・J・パクラ、この人はのちに「ソフィーの選択」を撮る監督ですよね。社会派っていうイメージもあるけど、こんな瑞々しい映画も撮っていた。ライザ・ミネリの表記がこの頃は、リザ・ミネリですね。クラス・メイトの男子役にティム・マッケンタイアーが演じています。この人はミュージシャンでもあって、のちに、FunZoneというバンドもやっていると。 そして、主役の男の子なんですけど、このウェンデル・バートン知ってます。 私もあまり知らなかった、でも、自然でいい演技なのよ彼。そんでさ、最近の恋愛ドラマって、なんで自立した女ばっかり出てくるのかしら、そんで、必ず、恋敵が現れる。男の子が妙に異性に優しくない、それなのに世の中DVみたいな話多いじゃない。どういうこと。 なんで、もっと、こういう自然の恋愛映画作れなにのかしら・・・。こういう映画って、大人になってから観ると、ああ、私もこんなことあったなあ、なんて思えるのよねえ・・・。 それでさ、ウェンデル・バートン、この人のこと、パンフレットにこう書いてあるのよ、「君はいい男だ、チャーリー・ブラウン」のサンフランシスコで上映された舞台に出演したとたん、アラン・J・パクラにスカウトされた・・・。 なるほど、舞台俳優としてでデビューしたんですね。「君はいい男だ、チャーリー・ブラウン」って、彼は誰役で出演したんですかね。 もち、きっと、チャーリー・ブラウンよ。そんでさ、私、そういえば、「君はいい男だ、チャーリー・ブラウン」このレコード持ってること思い出して、今日、持ってきたのよ。 おお、なるほど、まさに、同じ舞台劇、その音楽ですね。ここに、そのウェンデル・バートンの名前があるとすれば・・・、 それが、探したけどないのよね。ガッカリ・・・。 だけど、インター・ネットによると、「君はいい男だ、チャーリー・ブラウン」の舞台音楽のレコードは他にもアトランテックからも出ているみたいでね。その盤には、もちろん、ウェンデル・バートンの名前があるのよ! なるほど、凄いですね。それなんとしてでも見つけたい。で、この写真見ると人物があのピーナッツのキャラクターを演じているわけですか。 チト、無理あるな~。 そんなことないわよ。ちゃんと、なりきって演じてるのよ。 で、後半に続く・・・。 #
by senriyan
| 2022-10-15 12:56
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2022年 10月 09日
だが、なんといっても、このレーベルの魅力は音楽と録音の関係をアート・レベルまで引き上げたその厳格ともいえるサウンド・ポリシーにあるわけで、だとすれば、このレーベル、本家本元、独オリジナル盤で聴きたい揃えたいというのがマニア共通の考え方ではないか。 だが、過去に一枚、あまりにも安かったからか、はたまた、酔っぱらった状態でハントした結果なのか、ECMそのなかに買ってはいけないはずの米盤がまぎれている。あれ、なんだこれ、米盤じゃないか。ファクトリーシールついたまま、なんで気づかなかったんだということがあった。で、悔しいので独盤買いなおすことに、それで、さっさと米盤売っちまえと。 で、売る前に、米盤を何気なく聴くと、あれ、なにか独盤とは違う漂う音の気配に気づく・・・。 うむ、わずかな違いではあるがその違いは確かに存在する。とくに長年聴いてきたECM名盤ともなれば、その些細な違いは違和感すらもたらす。いつもの奥様、姿、形は同じでも、なにかニュアンスが異なる、いつものウチの奥様ではない、長年連れ添った者でなければ分からないその感覚。まるで、奥様がもうひとりコピーされたような。アホな例えだな。 だが、ECMを知らない素人には分からんだろう。”これ、同じレコードじゃないですか、””いや、君ね、ここがこう違うのだ、””いや、同じですよと。” BILL CONNORS THEME TO THE GAURDIAN ECM1057ST 独盤と米盤の音、ここに個人的な違い、印象を書く。オーディオ的にではなく、あくまでも、レコード・マニアの印象としてであるが。 この米盤レコードのギター弦の響きは独盤より太く聴こえる。音の輪郭がハッキリしている。力強い。メリハリがある。すなわち、アメリカ的。 独盤はもっと繊細に聴こえる。独盤の方が音に水分を含んでいる。残響に余韻が感じられるのは独盤の方だろう。だから、独盤に漂う幽玄さのようなものが米盤では、やや薄れるか。 だが、だからといって、この米盤が劣るというようなことでもないような気がする。 そして、こんなことを考えてみる。ECMには、米アーティストがおり、米録音があり、アメリカ・ナイズされた作品もある。それら作品はアメリカ的に処理された米盤が適しているのではないか、いや、それら作品こそ米盤で聴くべきではなかろうかという思いがぼんやりと浮かんだのだ。 そこで、ECMの作品の中で、最もアメリカ・ナイズ、アメリカ的作品はどれかという話しになる。 すると、ベタな話しやっぱりこれだろう。 PAT METHENY GROUP AMERICAN GARAGE ECM1155 これの独盤、(オリジナルかどうかの判断はできなかった)と米盤を聴き比べてみる。 すると、どうだ、思ったとおりである。私はここでパシッと膝を叩いて立ち上がったのである。すると、それに答えるように、窓の外で秋のカラスがカーツとひと声鳴いたのだった。 うむ、確かに違う。今までのECMの耳で聴くと出だしからハッとするくらい違う。ダイナミックで、密度の高い音、独盤のような水分を含んだ音ではなくカラッと乾いたた音。そして、独盤を聴くと、やや、おとなしく感じる。何か、アメリカを舞台にした物語をドイツ人監督が映画化したような。 ここで、その二枚のマトリックスを比較する。 独盤 2301 155 S1 B面に1Cの刻印あり 米盤 ECM-1-1155 ECM-1-1155 -A-WA-2(手書きマトリックス) 両面にMAUSTERDISK RL刻印あり MAUSTERDISK刻印、私、これにまったく見識がなかったのだが、ネットで調べるとニューヨークにあるマスタリング・スタジオらしい。 主にロックのレコードでこの刻印があるものは音が良いとされていて高値で取引されている作品もあるようだ。ドナルド・フェィゲンの高音質盤”ナイト・フライ”もこのMAUSTERDISK刻印があるものがオリジナルとされているらしい。(ここで、私はもしやと思い、手持ちの”ナイト・フライ”日本盤のデッドワックスを確認してみたのだ。すると、なんと、MAUSTERDISK RL刻印あるではないか! 情報ありがとうロック・レコード・コレクター仲間!) さらに、それに続くRL刻印ありがミソで、Robert Ludwing(ボブ・ラドウイック)という名エンジニアの仕事を現す刻印だという。ジャズでいうなら、ヴァンゲルダー刻印と同じね。パット・メセニーのECM米盤、お持ちの方、是非、この刻印をチェックしてみて下さい。 それで、なるほど、このパット・メセニーの”AMERIKAN GARAGE”にロック的なダイナミックスさとスリルがあるのもなるほど頷いた私である。 だが、私は、ここでひとつ疑問を持つ。この作品は、なんといってもECM作品なわけである。つまり、かの厳格な仕事ぶりで有名なマンフレート・アイヒャーが自身のブランドの名で、いくらカッティングの名匠といわれる人間の仕事だとしても、それを受け入れるか否かということなのだ。 静寂のつぎに美しい音楽、オーディオStereo誌2022年2月号の「鬼才マンフレート・アイヒャーの実像」と題された、矢澤孝樹の記事を引用するならば、ECMとはアイヒャーの”世界”であり、入国を求められたアーティストは他のレーベルとはまったく異なる磁場を生きることを積極的に受け容れるよう、求められるのだ。と、あるように、そのような圧倒的な世界において、外部にマスタリングを依頼する意向が果たしてあったものかという点において気になる私である。 パット・メセニーの”AMERIKAN GARAGE”、改めてジャケ裏のクレジットをみると、PROUCED BY PAT METHENYとなっており、EXECUTIVE PROUCER:MANFRED EICHERになっている。すなわち、プロデューサーの主はパット・メセニーで、マンフレート・アイヒャーはそれをただ見守るという形か。 アメリカ、地方のガレージ、音楽仲間を呼んで機材を持ち込みここでレコーディングする。こうした趣旨、テーマのもと録音された作品だろう。それには、うんとこさ、アメリカ地方都市の匂いを放つものでなければならない。それは、やはり、米国人、生粋の土地っ子の感覚を重視しなければならない、そうマンフレート・アイヒャーは判断したのだろうか。「パット、今回の作品は君にすべて任せることにしょう、」と。 このマスタリングの依頼、これがECMを米で配給するワーナー・ブラザースの趣旨のものか、パット・メセニーの意向によるものかそれは定かではない。 だが、この経緯は、ECMのカタログにあってきわめて異例、稀有なことだと私は感じる。 とはいえ、ここに、スカッとした乾いた風を感じられるようなパット・メセニー、この快作が生まれたこともまた確かな事実なのだ。秋日和の空に聴くと実に気持ちいい。(あまり関係のない話しかも知れないがこのアルバムのA面1曲目(CROSS THE)HEARTLANDにおいて夕立の雨音、もしくは水を撒くような音が入っているように思うが、あの音とは?) 買い直し、売り飛ばそうと思っていたECMレコード米盤、ここにきて改めて見直した次第である。どうですか、皆さん、ECMレコード米盤の音の違いを楽しんでみるのも一興ですよ。なんたって冷遇されていて安く買えますよ。 #
by senriyan
| 2022-10-09 10:32
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2022年 10月 07日
風見慎吾が、自分と同じ年齢であることにこの間、気がついた。
いや、いつまでも若いな~この人は。今月10日はこの人の誕生日である。 1982年、風見慎吾は、萩本欽一の当時の人気番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」でデビューする。オーディション採用のきっかけは、初対面の萩本欽一に対し大きな声で挨拶できたこと、「元気いいね、ハイ、合格~」と一発で採用されたという。 それから、番組の上層部の提案で、歌をうたうことになるが、歌に自信のなかった慎吾は、熟慮断行の結果、ヴォーカル・レッスンを受けることになる。 日々のめり込む慎吾に、萩本欽一はこうアドバイスしたという。 「慎吾、ダメだよ~、ほどほどにしなくちゃ、だって、みんなは、そのままの慎吾の歌を聴きたいと思ってるんだから」 それで、風見慎吾はそれ以来、ヴォーカル・レッスンをやめることにしたという。 そして、デビュー曲「僕笑っちゃいます」が発売されるや、売り上げ33万枚、オリコン最高6位というヒットを記録する。 で、ここまでが、ウキペディアのパクリなんだが。 ここで思うのだが、あの頃、世はツッパリブーム、ツッパルことが男のたったひとつの勲章だってこの胸に信じて生きていた時代、ツッパリがトレンドだった時代。で、そんな時代に、「僕笑っちゃいます」それで、あの時の風見慎吾のリーゼントでもない、ソリコミもない、なんというかパンク、ニューウェーブ以降のショートな髪形に当時の私は、断然、新鮮に見えたんだよね。パンツの丈は短くて赤いソックスを見せるという。とにかく、まわりでそんな感覚持っている若いやつは一人もいなかった。当時、ロンドンとかニューヨーク雑誌宝島とか読んでそんな最新流行に触れてるやつは別にして、そんなごくふつうの少年たちにも新たなトレンドの新しい風が吹いたと思ってる。 そして、1984年12月21日、4枚目、”涙のtake a chance”のリリース。 斬新、当時、誰もが知らなかったブレイク・ダンスを瞬時に取り入れる。 どれ位早かったか、マルコム・マクラーレンの”DUCK ROCK”と、ハービー・ハンコックの”ROCK IT”がともに1983年、RUN-DMCの”WALK THIS WAY”が1986年、本家本元の映画ブレイク・ダンスの米での公開が1984年、いかに早かったかが頷ける。 風見慎吾は映画”フラッシュダンス”を観てブレイク・ダンスに目覚めたという。その地獄のように忙しいスケジュールのなか、単身、ニューヨークに乗り込み本場仕込のレッスンを受ける。その空気感をめいっぱい吸い込み帰国。 「欽ちゃんの週刊欽曜日」すでに番組放送用として予定された曲は決まっていたにも関わらず、是非、ブレイク・ダンスをやらせてほしいと萩本欽一に懇願する。萩本欽一、承諾。急遽、スケジュール変更にスタッフもおおあらわだったことだろう。 萩本欽一、もちろん、ブレイク・ダンスを知る由もない、だが、風見慎吾のパフォーマンスを見た萩本欽一は、こう言ったという。 「慎吾、あんまり、凄すぎてもダメ、見てるみんなが自分もやりたいと思わせるようなものにしないと・・・」 で、風見慎吾は、動きを少しスローにするなど、みんながマネしやすいよう工夫をこらしたという。 ここも、ウキペディアのパクリ、いや、この風見しんごのウキのページ凄いよ、そのまま、ここにペーストしたいくらいなんだよね。 で、それを僕たちは目の当たりにしたわけだ。 これが、凄い、おそらく、これを見た私を含め地方の青年たちはここで行われていることが、じっさいナンナノカ理解しえなかったのではないか。私の祖母も、口をあんぐり開いてただ見つめていた。なぜ、床に寝そべって自らを回転させるのか、あのパントマイムのようなキコキコした動きはなんなんだ、そして、鮮やかなバク転。そう、あの頃、バック・スピンも、ハンズ・ウォークも、ムーン・ ウォークも、大技を決めるも、何も知らない僕らであったのだ。そして、それは一度観ただけだとわからない、ビデオにとって何度も見てしまう、中毒性のあるパフォーマンス。 今、ニューヨーク仕込みのダンスも一般化し、ブレイク・ダンスも日本人の活躍の場が増え、ダンスをしながら歌うヘッドセットマイクも当たり前の時代、あの頃の風見慎吾のパフォーマンスはYMOと並び我々の度肝を抜くものだった。それが、なんと、ゴールデンタイムのお茶の間で放送されていたのだ。 アナログ・レコード・ブーム、それなら、ぜひ、この作品の12インチ・シングル化を切望する。だが、アレンジがあまりカッコ良すぎてもダメだろう。これも、もちろん、若者が知らない80sの時代が匂ってくるジャケットに。日本歌謡、その塩梅が分かっている方にリミックスをお願いする。それは、もちろん、小西康陽さんしかいないだろう。 後年、風見慎吾は、こう語っている。 「あの時、大将(萩本欽一)の決断がなければ、日本でのヒップホップ・ムーブメントは5年遅れていただろう・・・」と。 その時、この海のものとも山のものとも判断できぬ、慎吾の持ち込み企画、これを萩本欽一に採用させたものとはなんだったんだろうか・・・、 「慎吾、これ、時代的にちょっと早いよ~、家族みんなで観る番組なんだよ~、」と、いう反応も大いに予想されたはずだ。 僕は思う、萩本欽一、この風見慎吾のパフォーマンスを見て、ニューヨークの下町、ダウンタウンのストリートの猥雑な感じから、自身、浅草の下町で育った、それと同じ匂いを嗅いだのではないか。このブレイク・ダンス、雑多な人種、街の空気感、そして、エネルギーを感じたのではないか。これこそは、浅草演芸ホールの芸人の技に、ブレイクダンスの技をそれにイコールさせたのではないだろうか。 そう、ドンとやってみようと、風見慎吾さんに欽ちゃんは言ったんじゃないかな。 #
by senriyan
| 2022-10-07 10:29
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2022年 10月 02日
現在、山下達郎さんJ・ポップが若い世代に人気を注目を集めています。もちろん、それはもちろん楽曲のクオリティの高さを見直されているのですが、その要因のなかにあの頃の時代、今の若い世代が知る由もないその時代へ憧憬を求めているのではないでしょうか。同じ東京にいながらにしての、決して、ググールマップでだどりつかない場所ととしての東京、山下達郎GO HAEAD!1978年の世界にです。 そして、その中の耳の良い若者は当時の日本のスタジオミュージシャンの質の高いレベルの技術。それに、プログラミングされた音の配列とは違う新鮮な感覚と心地良さを感じているのかも知れないのです。 以前から思っているんですけど、ジャズのレコード店でフュージョンのレコードを置いておいても売れません。なぜなら、今のジャズのレコードを求めるお客様の嗜好とアーバンなフュージョンの感覚は対局にあるからです。私は、フュージョンという音楽ジャンルと相性が良いのは、同じ、アーバンな空気漂うAORなどと置くのが相乗効果を発揮しより売れるのではないかと思っています。 今回、私が提案したいのは、”あの頃ぼくらのアーバンなシーンにはカーステからこんな曲が流れていた、”と題しまして、今こそ、フュージョン、ようやく、ここにきて、かって、ダンボール、300円均一、今、1000円のフュージョン・レコードのリバイバルがやってきたのではないかと思います。 そうです、針をおろせばすぐそこに1978年の空気感ともにアーバン・メローな感覚が漂うのです。と、同時にスタジオミュージシャンの高いレベルの技術、作品に色彩を与え最大の貢献度で答える仕事を聴くことができるのです。ぜひ、ここに時代を見直す、新たな価値観としての可能性フュージョン・ミュージックのガイドブックを出版を提案いたします。 スマートフォンはなかったが、世はノホホンがあった時代。大人の余裕があった時代。今こそ現代を生きる若者に、オフィスからの通信圏外あの時代の縛られない自由、高揚感を。 フュージョンに詳しい音楽ライターに原稿をお願いするのはまずのこと。フュージョンのレコードをかけるバーのマスター、あの頃の時代を知っている体感している、音楽マニアの方からの原稿も募集します。ラリー・カールトンであり、リー・リトナーです、せいぜい、パット・メセニーです。アバクロとか、一回ECMを忘れてください。 フュージョンの名盤と呼ばれるものは70年代後期からリリースされますが、きっと、私などがそれを聴いたのはそれらがFMラジオから頻繁に流れるようになった、もしくは、それらをレンタルレコードで借りてテープに落としカーステレオで聴いた1980年以降だったのではないかと思います。したがいまして、フュージョンのガイドブックでありながら、その当時の都市の匂い、感じさせる、酔わせるを目指すところであります。 ジョージ・ベンソンのブリージンは1976年ですが、この頃、フュージョンは、クロス・オーバー、そして、ソフト・アンド・メロウと呼ばれておりました。クロスオーバーという言葉は聞かれなくなりましたが、ソフト・アンド・メロウのメロウは永続的に残ることとなったのです。求めるところは、あの頃のアーバン・メロウです。ただただ、それに、ひたりたいのです。それ、チルじゃね、いいえ、アーバン・メロウです。 雑誌形態としては、1992年の偉大なるサバービア・スイートをお手本とし、ページ数50ページ前後、モノクロ表紙のみカラー、当時の世相感を現す遊び人、カッコいいモノクロ写真、デザインは徹底的に80s初頭の雰囲気を醸し出すものにいたします。 なぜ、あの頃、ライトなアメリカン・ビールが流行ったのだろうか、ハイネケン、クワーズ、ポール・スチュアートのスーツ、リチャード・ギア、愛と青春の旅だち、ブレイク・ダンス、一足早い風見慎吾、SONYウオークマン、渋谷公園通り、トレンディ・ドラマ、五反田君、ボジョレーヌーボー解禁、ゴースト・バスターズ、あの頃、都内有名ホテルのプールにギャル(あえてこの言葉)を誘っていく、そのプールサイドに横たわるデッキ・チェアその借り賃が1000円、うむ、誘ったギャルを地べたに横たわせるわけにはいかない、一流の男の品格を試される実にアーベインな設定価格、そうあの頃、僕らのアーバンなシーンにはカーステからこんな曲が流れていた・・・。 湾岸ドライブ、六本木のイタリア・レストラン、メンソール煙草、デザートならティラミス、東京ベイヒルトンのクリスマス、ポルシェ911、ジャガーXJ、会社帰り東京駅で彼女と待ち合わせ、いざトワイライト・エクスプレスで北の大地へ、ココモ、私をスキーに連れてって、ホイチョイ・プロダクション、あぶない刑事、泣かないで、舘ひろし、トム・クルーズがシェイカーを振るレッド・アイ、夜通し車を走らせて早朝の日の出桟橋へ、マルボロ、ジッポライター、そうあの頃、僕らのアーバンなシーンにはカーステからこんな曲が流れていた・・・。 ブルック・シールズ、朝シャン、なんとなくクリスタル、カフェバー、ダイアナ気分、ペンギンズバー、スケボー通学、魅惑の深海魚パーティ、ジョニーBグッド、篠山紀信、浅井慎平、サーフ・フロム・ジャマイカ、プールバーになぜか海パンを持って現れたやつ、ぼくはプールしかやらないんだ片岡義男、おすぎとピーコ、料理は愛情、ビデオ録画失敗、消してしまったチョチョリーナ、助手席の彼女に送るマイ・ベスト・テープ、金曜夜の辰巳第二PA、「このアルバムに理沙、君と同じ名前のついたナンバーがあるんだよ、聴いてみるかい・・・、」そう、ディビット・サンボーン、Lisa、そうあの頃、僕らのアーバンなシーンにはカーステからこんな曲が流れていた・・・。 しかし、ながら、提案者の私は、1985年当時、20才、そのたまらなくアーベインな瞬間は、まだまだ大人年齢が足りず。年長の方に御指南頂きたい次第です。 皆さんのフュージョン名盤ベスト3だったら、どのような作品が入るのでしょうか。コメント頂ければ幸いです。そもそも、フュージョンなんか聴かない、いや、そんなことはないですよね。 ちなみに、私のフュージョンベスト3です。 •ディビット・サンボーン/一枚に決められなかった •リー・オスカー/約束の地 •ジョン・クレイマー/アラベスク 次点、ブラザース・ジョンソン(1st)、ラリー・カールトンが歌うやつ、、、。 情報といたしまして、この時代のレコードにはなかにインナー・スリーブが入っているのが多く、カッコいいフォト、参加ミュージシャンのクレジット等、情報に溢れています。これは、日本盤の帯に相当するブツです。今後、これがあるとないかで値段が変わってくる可能性はないか、でも、購入の際の是非ヒントに。 #
by senriyan
| 2022-10-02 10:31
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2022年 09月 29日
だが、昨日、その日の模様が村上ラジオで放送されたのだ。もはや、聴けまいと思っていたそれが。一時間前からラジオ前にスタンバイ、中学生の頃のように、ラジオにかじりつくようにして聴いた。まずは、会場のアナウンスから始まる。臨場感タップリだ。私のように当日行けなかった者も、俄然、興奮してくる。 山下洋輔さんの曲紹介で、一曲目は中村誠一さん作曲による”木喰”、ふぁ~っとした感じがあって、ひじょうに牧歌的。これ、スピリチュアル・ジャズじゃねえ、と思った若い方いたはず。 今、若者に人気あるジャズのコミックで、BLUE GINTE ブルー・ジャイアントというのがあるんだけけどね、このマンガのとっかかりになる日本編、若き主人公のテナー・サックス奏者が所属するグループ、JASS(ジャス)が、テナー、ピアノ、ドラムという、山下洋輔トリオと同じ編成なわけね。 で、開口いちばんで、山下さんが、「ぼくら、三人、JASS(ジャス)で~す」言ったら、若いやつからドッカン、ウケたと思うんだよね。 村上春樹さん、都築響一さん、の当時の話し聞いて思ったのが、みんなさらっと聞いていたけどね、あの大隈講堂にあったスタンウエイのピアノね、アレをさ、4号館に人力で運んだって話し、いや、いや、すげえよ。私、ヒマ人なんでグランド・ピアノの重量調べたら、250kg~400kgとある。ちなみに、軽自動車の重量は350kgと決まってるから、ほぼ、軽自動車一台を人力で運んだ計算になる。そんでさ、さらに大隈講堂と4号館の位置関係を早稲田大学のマップ使って調べたみたのね、そしたら、なんと、けっこうあるじゃないの。司会の坂本美雨さんじゃないけど、エッサ、エッサ、ってお神輿みたに運んだんだろうね。すげえよ、マジで。なにやってんのあの頃の早稲田の学生、日体大じゃないんだから。(笑)日体大の人、ゴメン。それ今の大学生にやらそうとしたら、二分で散ると思うよ。 だけど、それも、山下さんの「ピアノを弾きながら死ねばもろとも」の一言からきてるんですよね。そんで、学生運動下、党派限らず学生がみなピリピリしている中で、いきなり、怒涛のフリー・ジャズをこれでもかと演奏したと。で、この時、暴力沙汰が起きなかったというのは、やはり、その時、その場にいた誰もが、山下洋輔初めメンバーの覚悟を聴いたんだろうね~。もう、この時点で、ジャズ、フリー・ジャズの概念を超越しているのよ。 私、山下洋輔さんたちの音楽聴いてて、いつも思うのは、この人たちの音楽って、もの凄い乱暴なわけじゃないですか。だけど、やってる本人たちって、きわめて、穏やかで優しいそうな人たちばっかりなんだよね。この落差はなんなの。 まず、山下洋輔さんが、温和で理知的な人だよね、そういう人がね、肘で鍵盤ガンガン叩いたり、あろうことかピアノに火をつけて燃やしたりするんだよね。 つぎに、ドラムの森山威男さんなんだけどね、まず、名前がヤバいよね、威男って、威嚇の威だぜ、またはいきおいのある男、それで、あの東映任侠映画路線のルックスにして、あの殺気あるドラミング、シャレなんないよね、だけど、過去のインタビュー記事で、こう語ってるんですよ。「人生のなかで喧嘩したのは、一度だけ、でも、一発殴られて、その場にのびちゃった」いいよね、(笑) 第二期のメンバー、坂田明さんも、小山彰太さんもいい人だよね。坂田明さん、ジェィズ・バーのマスター役は忘れられない。”風の歌を聴け”が好きな君、知ってる。 そんでさ、山下トリオの切り込み隊長というのが、テナーの中村誠一さん。この人のテナーを聴いて、あの頃の山下洋輔トリオ、ヨーロッパ・ツアー、フリー・ジャズやってるロスコー・ミッチェルだったか、本場黒人ミュージシャンが唖然として驚いたという逸話が残ってるくらいだから、刀振り回して敵陣の乗り込んでくる、無手勝流、その凄みを感じてもらえると思う。 でもさあ、この人って、フリー・ジャズを自分なりに解釈して楽しんでいたふうがある。有名なエピソードに、ジョン・コルトレーンの来日コンサートで、山下さんらとこれを見た中村さんが、ファラオ・サンダースのプレイを聴いて、「こういうデタラメ調ならオレにもできるって」と言って、隣の山下さんに、バカって、諭されたという話しがあるんだけどね。とはいえ、そうした感じは大いにあると思う。 この頃のフリー・ジャズ・ミュージシャンでね、日本、米、欧、問わず、あの眉間にしわよせて、心痛なおもむきでプレイする、その世界で、それを面白がってやっていた人はこの人、中村誠一さんたったひとりしかいなかったと思う。 山下洋輔トリオのレコードは実家にあり、手元にある中村誠一さんのジャケット写真をここに。 で、ここで言いたいんだけどね、フリー・ジャズって、イメージ的に日本でも、欧米のでも、辛気臭い感じで、暗いじゃないですか、それは当たり前で、アフロ・アメリカンの苦悩の歴史とか、ヨーロッパの複雑な歴史的背景とか、重くのしかかって反映されているわけで、そうなるのは当たり前なんだけど。日本人って自己犠牲の精神があって、わりと暗い側面を持つ国民じゃないですか、じめっとしたフリー・ジャズなんかやるには国民的構造的には適しているような気がするんだけどね。 だけど、この山下洋輔トリオのやっている、それは、アングラな匂いとか、ガロ的な感じとか、苦悩する人々の微塵も感じられないんだよね。体質的にからっとしている。 なんせ、陽があたらない場所、フリー・ジャズで、山下洋輔トリオをの名を国中に知らしめることとなった、この早稲田大学乱入ライブという事件が起こるわけで。 これって、ゲストの菊池成孔さんの話しではあるが、やっぱり、山下さんがね、長嶋茂雄的オーラ持っているという決定的なアカシであると思うのだ。 本来、その苦悩を音楽でもってして、パワーに変えていく、アフロ・アメリカンが、なぜか、根暗な部分を持ってして。本来、根暗な部分を持つはずの、日本人、山下洋輔が音楽を地ならしすることの開放的なパワー、面白がる要素があるというのは、実に、興味ぶかい事実なんだよね。つまり、こと、フリー・ジャズに関して言えば、山下トリオとアフロ・アメリカンのそれの位置関係は、きわめて、逆転しているということを言いたい。セシル・テイラーと山下洋輔の決定的違いはそこにある。 村上春樹さんが、ふと、山下洋輔トリオ再乱入ライブを思い立った今年・・・。 半世紀前、1968年にこの早稲田大学への乱入ライブがあった前年、1967年に公開、ソルボンヌ大学の学生運動を描いた「中国女」監督のジャン・リュック・ゴダールが9月3日に亡くなり、山下洋輔トリオ、メンバーの背中を押したとされる1966年のジョン・コルトレーンの来日コンサート、そこでテナー・サックスを吹いたファラオ・サンダースが9月24日に亡くなるという・・・。ここに、偶然とは思えない何かを感じずにはいられない。 菊池成孔さんと大谷能生さんが、東大の学生にアルバート・アイラーを聴かせる。村上春樹さんが、早稲田の学生に山下洋輔トリオを聴かせる。有名大学の関係者各位殿、ワタシ、ジョゼッピ・ローガン用意して待ってます。イツデモ、デンワ、シテクダサイ。スタイリ~、スタイリ~。誰も知らないか。 今、街頭インタビューで、大学生に、”あなたにとっての理想とは何ですかって、”尋ねられたら、大学生はどう答えるだろうか・・・。 きっと、即座に答えられない人ばかりではないか。私だって、そういきなり聞かれたらきっと何も答えられない。 そして、言葉につまったあと、多くの人がこう答えるのではないか、安定と・・・。 安定というのは、日々、平穏無事であるという意味合いだろう。だが、どうだろうか、平穏無事、そこには、多くの外的な要因が入ってくる、ということも答えた当人は知っているはずだ。知りながらも、あえて、理想とは何か、と問われ、安定という言葉を口にしなければならないのだ。これ、すなわち、本当の理想といえるのか。すなわち、現在、未来ある多くの人々が、理想を見失いつつある。 だが、今回、1968年の山下洋輔トリオ、オリジナル早稲田大学への乱入ライブを思い返すにつれ、ひとつ、言えることがある。これは心にとめておいた方がよろしいかと思う。 あの大隈講堂にあったスタンウエイ、重量250kg~400kgあるピアノを4号館に人力で運んだ。数百メートル先の4号館まで。それは、手慣れた業者が日当を支払われて運んだわけでもないし、スパルタカスのように奴隷が鞭で打たれ運んだわけでもないのだ。君ら、早稲田の先輩、ごくごく、普通の大学生の若者たちがそれをやったわけだ。そして、それが、2022年の今もなおこうして語り草となる伝説のライブを生むことになる。それを運んだ当時の面々、それが後にこのようなことになると誰が予想しただろうか・・・。 そして、何より、そのバカでかい重量のピアノを運ばせたもの、きっと、それは、理想主義がそれを運ばせたのだ。 #
by senriyan
| 2022-09-29 09:48
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