senriyanのジャズ名盤千里眼 其の四 |
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2018年 10月 14日
THE MODERN JAZZ QUARTET Plays the music from ” PORGY AND BESS” 蘭PHILIPS モダン・ジャズ・カルテットはミルト・ジャクソン・カルテットが母体となっている。当時、音楽監督はミルト・ジャクソンだった。52年頃から、ミルトはその座をピアノのジョン・ルイスに引き渡す。クラシックとジャズの融合、その新たな音楽観を世に為に問う為に、ミルト・ジャクソン・カルテット(M・J・Q)は新たな、モダン・ジャズ・カルテット(M・J・Q)となる。 ベルギーのギターリスト、ジャンゴ・ラインハルトに捧げた”ジャンゴ”を始めはじめ、“コンコルド“、”フォンテッサ”、”コメディ”というようにヨーロッパの形式美に導かれたそれまでにない特性をもったジャズを世に生み出していく。と、ここまではジャズのおさらいだが。 私はこのM・J・Q。黒人音楽の歴史のなかで、ここまで白人音楽、いや、白人文化、精神性に接近した音楽的試みは他にあったのだろうかと思う。ほぼない。が、ひとつだけある。 マイルスの"クールの誕生"がそれだ。(おお、そう言えば、この作品にもジョン・ルイスは重要な役で参加している)だが、それは、マイルス・デイヴィスら少数の黒人ミュージシャン、他の多くの白人ミュージシャンによって作られた作品だ。何よりも、ギル・エヴァンスの影響、サジェスチョンが大きかった。そのことは、”マイルスア・ヘッド”をはじめ他のコレボレーション作品にも同じことが言える。 だが、このM・J・Qは全員が黒人である。レコードを制作する裏方、例えば、写真家などを除く以外白人の介入はないのだ。白人が黒人らしい音楽を行う例はいくらでもある。アル・ジョルソンから始まる歴史。ブルー・アイド・ソウルなどはその典型的なものだろう。しかしながら、その逆パターンを行う例は極めて少ない。だから、M・J・Qの大きな特徴として、彼らの音楽は逆アル・ジョルソン物語と言えるのだ。 何、senriyan、だがな、M・J・Qの白っぽいサウンドにはブルースの魔物が住みついているんだぜ。 そう、それは、ミルト・ジャクソンのことである。確かに、それは間違いない。だが、私はこのグループ、それをひけらかしていないように思える。ずっと、奥の方に、うわばみの腹の底へと。それはしまわれている。本来、黒人が持つ、そのアイデンティティを封印している。放棄している。だが、その魔物のヴィブラホンには一音に重さがある。それは本来のブルースが持つところの音の重さだ。音が軽いブルースなど存在しないと思っている。また、その音には存在感がある。演奏がはじまって、ヴィブラホンの音が転がりだす瞬間、ああ、ミルト・ジャクソンだな、M・J・Qだなと思うわけである。 そして、コニー・ケイの存在。この人はこのグループのドラムの椅子に座ることを運命づけられた人だろう。派手さはなく、淡々と盛り上げていくバッキング。静かな自己主張。M・J・Qがあるからコニー・ケイが存在するのか、はたまた、コニー・ケイというドラマーの為に、M・J・Q・というグループが存在するのか。また、この人の鳴り物が実に効果的で音世界の冴えを魅せる。大運河での葬列のシーン。私は、それに、何か日本的な感覚を憶えるのだが。日本人の若いドラマーで、コニー・ケイを目指してます、という話しも聞いたことはないのだが。 パシー・ヒースもこのグループに欠かせないベーシストだ。しなやかな音とともに、このグループに静観な落着きを与えているのが、この人のもつ人柄だろう。 そして、ジョン・ルイスだ。私は初めからこの人は、ブルースを演奏する気など、さらさらなかった。と思う。初めから、そうで、最後までそうだった。日本のコアなジャズ・ファンがこのグループを軽視する理由はそれだと思っている。いわば、ブルースが根底にないために、サウンドに重みがない。例えば、”ポギーとベス”だ。この黒人主観のミュージカルを題材として彼らの作品はなんとも白っぽい。しかしながら、”アイ・ラヴ・ポギー”は実に素晴らしい、溜息がもれる。ただ、音楽として、ウットリする。ジャズだの、ブルースがどうなのとか、ジョン・ルイスのようにどうでもよくなる。 この人はクラッシックを勉強して、その素養を音楽に生かして成功した人であることは間違いないが、恐らく、そのアイデンティティみたいなところは、パリ好きからきている。ディジー・ガレスピーのバンドでフランスに渡ってから、いや、それ以前から、パリへの郷愁の念みたなものはこの人あったのだろう。クラシックを勉強する頃から、もはや、彼の頭のなかでのそれは、もはや、第二の故郷のようになっていた。パリの郷愁、いや、もはや望郷。 だから、初めてパリに渡った時、それは、以前から自分のなかにあったイメージと、さほど、変わらないことに気づいた。コンコルド広場はまさに、恐ろしいほど、自身のイメージそのものだった。 で、彼は、パリに長逗留する。そこで、パリのアメリカ人として、自由な空気感を謳歌する。かっての自分のジャズよりも自由だ。ブルースなど、どうでもよくなる。気品だ格調だ。歴史だ。エスプリだ。哲学だ。モーパッサンだ。ボンジュール・パリ!。分かる気がする。いや、相当に理解できる。イギリスでもない、ドイツでもない、フランスの片田舎、いや、この人にとっては、パリなのだ。 私も遡ること、何十年前、新婚旅行でパリを訪れた。 ちょうど、今頃の季節だ。それは、オードリー・ヘップバーンの”パリの恋人”などで、イメージしていたそれとは大きく違っていた。まず、行きかう人が、それほど、お洒落な感じではなかった。どこか、みな、地味な服装をしていた。当たり前で、ファッションショーのようなか恰好で皆が歩いているわけではない。石畳の舗道には、ところどころに犬のふんが落ちていた。あの男と女のいる舗道にだ。それをこの世のものとは思えない美しいパリジェンヌがこれまた美しいおみ足で、ひょこひょことかわしながら歩いていく。ああ、これぞ、パリと実感したものだった。カフェの床は枯葉でいっぱいだった。ゴミも散らかっていた。そもそも、ゴミ箱はあったのだろうか。エスプレッソをグイと飲んで、言われたように、テーブルに代金とチップのお金をレシートの上に置いて無言で立ち去る。レジを通らないそのビクビク感。屋台で栗を焼く匂い。そのアラブ人の大将がぼくに向かって、何やら、声をかけている。”欧州よ、”ホテルに帰ってよくよく考えてみると、おいしいよ、のはずだった。 まあ、嫌な思いもあることはあった。でも、そこには間違いなく、パリの魅力があった。いい意味でのいい加減さ、個人主義、何より、自由。 思い出に残る場所は、どこですか?との記者の問いには、ヘップバーンのように、一言、ローマ。と答えたいところだが、やはり、私はパリと答えたい。 そうだ、あさはかなフランスかぶれだ。ボーダー・シャツはどうにも似合わないので、アイテムにはないが、雑貨屋でフランスの小物や文房具を見るのが好きだ。少女のように胸をときめかしてしまう。だから、私はジョン・ルイスの気持ちがよく理解できる。 M・J・Qのレコードは、だからして、ヨーロッパ盤がいい。ヴェルサイユ盤などのジャケットの美しさ、繊細な音質。M・J・Qのヨーロッパ盤を集めようと決意した今日この頃、なぜ、以前より、それに気づかなかったんだろう。 んで、レコード屋に向かうが撃沈。だが、あった。オランダ盤の”ポギーとベス”が。フリップスのやや硬い音、もちろん、別ジャケ。米盤より、ずっといい。しかも、千円。
by senriyan
| 2018-10-14 11:47
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