スッポン鍋とアーチ―・シェップ |
カレンダー
カテゴリ
以前の記事
2024年 01月 2023年 12月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
クール・ジャズ
植草甚一
ウエスト・コースト・ジャズ
小雀俊二のレコード・コレクター珍士録
A&Mレーベル
クリード・テイラーを追悼する
ザ・ビーチボーイズのオランダ
ジャケ買い
ネオアコ
プレイボーイ入門
メイド・イン・ジャパン
リズ・オルトラーニ
ロココ・ジャズ
黒ビール
私はまだかって嫌いな人に逢ったことがない
庄司薫
深夜のジャズ・バーにふさわしいレコード
文章読本
北欧ジャズ
12インチ・シングル
淀川長治
アーバン・メロウ
アフロ・キューバン・ジャズ
イタリア・サントラ
エブリシング・バット・ザ・ガールズ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2018年 08月 14日
今年の夏、突然、スッポンに目覚めた。 いや、若いころ、仲間うちで一度だけ試してみたことがあるが、生血を飲むかとか飲まないとかで、悪酔いした結果、肝心の味のほうはまるで覚えていない。 だが、なぜ、この夏に。 仕事終わり、首の汗などぬぐいつつ電車を待ちながら、ふと、どこからともなく、スッポン鍋が頭をよぎったのである。 それから何をしていても、どうしてか、スッポンのことが頭から離れなくなってしまった自分がいた。 奥さんに話す。 今度、スッポンを食べにいかないか? 奥様は雑誌から目を離さずに言う、えっ、、スッポン? 別に、興味ない・・・。 そりゃ、そうだろう。 私は自称、他称、グルメではない。食道楽とは一切後に残らない道楽だ。それが、いいという人もいるが、私は、何か後に残る道楽のほうが好きだ。江戸時代なら、遊郭なんぞには通わずにヒビの入った茶碗なんかを集めては贅にいってるタイプだろう。 が、なぜか、文豪の食に関するエッセイなんかが好きだ。この感覚、自分でもまったく分からない。 山口瞳や池波正太郎などの食エッセイはほぼ読んでしまった。吉田健一は食より飲みだな。戦前の喜劇俳優、古川ロッパのものは実に興味深いものがあった。嗚呼、戦前の神戸の賑わいなど。ただ、そのお店はもはや過去の歴史となっているものばかりで、当たり前だがガイド本にはならない。 で、今は、獅子文六先生の"私の食べ歩き"を読んでいるが、この作者の食に対する感覚が、どうやら自分にピッタリくる。早く図書館に返さねば。 だが、どうも、スッポンに対する記述がどの先生もないのである。う~む、池波先生などはあってもよさそうなものだが。 スッポンを食るとて、知識が必要だ。 浅草のあるお店に電話して教えて頂く。 今、スッポン鍋ってやってますか? はい、大丈夫ですよ。 あの、一人前とかで頼めますか? うちは、マル鍋って言って、鍋ひとつからの注文なんですよ。 はあ、 お幾らですか、 13000円からですね。 (おっと、ケッコウいくね) 値段はともかく、そのマル鍋を一人で食べれるかはなはだ不安な私。 で、スッポン、しばらく、忘れていたんだけど。 大宮のそごうデパートに京都料理のお店があって、なんと、そこで、スッポン鍋2100円ってのを発見した。 で、お盆帰省実家に向かう途中、早速、食べに行ったわけである。 鍋といっても一人前用にこだてにしてある。 煮えるまで、待つ。 ひたすら待つ。 すると、湯気とともに、何やら、いい匂いがたちはじめる。おおっ、その魚介でもない、肉系でもない、新たなる出会い。未知との遭遇。 冷酒をオーダー。その匂いをクンクンと嗅ぎながら、それをつまみに飲み始める。はい、お待ち同様でした。もう、食べれますよ。品のいい中居さん。どこか旅行中の旅の宿、匂いのせいか、気分をトリップさせる。 スープをすする。なんとも深みのある味だ。 スッポンを頂く、うむ、これは、たくさんは入ってない、なにせ、この値段。いや、ビギナーにはこのくらいが。身を何度もかみしめる。スープをすする。いや、口のなかでマッチして実に美味い。 そして、お酒だ。お酒だ。 汗ダラダラ、 やがて、心地よき満足感。 そして、数日後、レコード屋に行くと、アーチ―・シェップの”マジック・オブ・ジュジュ”が私を待つのである。 シェップは何枚か持っている。だけど、これは今まで未聴だった。 スッポン鍋のようなインパクトのあるジャケットを今まで敬遠していた。だが、なぜか、その日、他に買うものがなく、私はそれを手にとる。 このリズムは、まるで、日本の祭りばやしのようだ。お囃子である、そう感じる。どこか、懐かしさと素朴さを感じる。アフリカ的だとある人は言う、だとしても、ここでの両者はあまりにも似ている。似かよっている。 そのなかで、シェップが短いフレーズをこれまた日本の縦笛の節のように、そのリズムに、ノリに、躍動にからめていく。のっかっていく。それが、ただ、延々と続く。 しかけもなにもない。いたって、シンプルである。 ジャズ以前の何かがある。牧歌的である。だから、そうした近代的なフシを匂わすようなものは何ひとつ出てこない。呪い術的という人がいたら、おかしい。そういったグロな感はない。呪いというより、祈りである。あるがままの自然に対する恵の眼差しであるとか。回帰でもある。チックの”リーターン・トウ・フォーエバー”より回帰性は強いかも知れない。 そのなかで、シェップは約15分吹きまくる。 うん、間違いなく、こじつけではなく、滋養強壮にききそうな音楽である。 やがて、それは、B面に詰め込まれた4曲のジャズへの近代とつながる。そこには、もはや、A面のムードは存在しない。 A面のそれはかつまたユートピアのようでもある。文明国に侵略されていない国。当時、シェップは何処の国を見つめていたのだろうか。 そのような侵略国から守る為、このレコードのジャケットはこんなグロテスクなデザインをしているのだな。言わば、魔除けなのだ。 さらに、また、ジャズが資本家の御子息、ご令嬢、巷のミーちゃん、ハーちゃんに、毒されずこれたのは牙城インパルスのコルトレーンやこんなレコードがこの世に存在するからだ。 ワカンナ~イ、何なの、この音楽~。 専売特許のお金で買収できない独り占めできない、ザマーミロな世界。 うん、このレコード、まったくわけわかんないから、キミたち初心者は近づかないように、てか・・・。 かっての思い込みだが、このレコードお盆にもふさわしいような気がする。 私が疲れているからと、安価なスッポンにめぐり合わせたくれたとなれば、やはり、ご先祖様の力だな、こりゃ。
by senriyan
| 2018-08-14 21:04
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||