最初は何かの冗談かと思った。
エリック・ドルフィーがラテン・バンドに在籍していた? いやそこで、ラテンを奏するレコードがある。冗談だろと。
質の悪いブラック・ジョーク。そう、"ペリーコモ・シングス・ジミ・ヘンドリックス"のような。
ラテン・パーカッションの乱打をバックにエリック・ドルフイーのあのアブストラクトなアルトが咆哮する。または、ゆったりとしたそのリズムに腰をくねらせながらフルートを吹くエリック・ドルフィー。私にとってそれらはイメージすることがひどく難しい。何か、滑稽な、または、グロテスクなその光景。エルム街の悪夢。
エリック・ドルフィーのその真面目な音楽への探求性と、ラテンのその陽気な開放的なノリ、未来永劫決して交わることのない線。
だが、そのレコードはこの世に確かに存在するのだ。まさにエルム街の正夢。
それは、ジャズ名門レーベル プレスティッジの新興レーベル、NEW・JAZZから発売された。
タイトル、"THE LATIN JAZZ QUINNTET+ERIC DOLPHY" NJLP 8251である。
冒頭に掲げたタイトル、"エリック・ドルフィー・プレイズ・ラテン"というレコードは存在しない。私のちょっとしたいたずら心である。
だがだ、もし、このレコードが当時日本で発売された場合、そこには、あの日本盤特有の帯がつき、恐らくそこには日本盤タイトルとして、"エリック・ドルフィー・プレイズ・ラテン"という文字が刷られているはずだ。ジャズの巨星エリック・ドルフィーがラテンに挑戦した秀作!というキャッチ・コピーとともに。
私はこのレコードを十年位前に入手した。ジャケはぴしっとして状態良好であつて、盤はピカ盤であった。NEW JAZZパープル・レーベルのオリジナルである。多分、そこそこの金額はしたのではないかと記憶している。
だが、なぜ、私は大枚はたいてまでもこのレコードを買ったのか、今、いくら考えても、それを思い出せない。
久しぶりにレコードに針を落としてみる。
パーカッション、ビブラフォン、ピアノ、ベース、ドラムという編成のラテン・ジャズ・クインテット。まず、A面の3曲はラテンとはいいがたいナンバーが並ぶ。ブルースの変形。その凡庸さに、手をこまねるようにドルフィーも付き合っている。おまえら、一体何がやりたいんだと。私としては、そのエルム街の悪夢に付き合わされなくてもよいという感じでホットする。3曲目の”FIRST BASS LINE”というナンバーでドルフィーがバス・クラリネットに持ちかえると、さすがに、空気が変わってくる。ドルフィー臭が漂いはじめる。
だがね、なんとしても聴かなくちゃいけないというレコードでもないことを再認識する。これを買ったときも、ああ、こんなものかと棚にしまったんだけっけ。
とりあえず、B面も聴く。おお、ここからは、ラテンだ。"エリック・ドルフィー・プレイズ・ラテン"というタイトルに偽りなし。
ドルフィーは1曲目をアルト、2,3曲目をフルートで対応する。だが、ドルフィーは個性を殺しているようにも感じる。だから、冒頭私が言ったような違和感、グロテスク感はない。
だが、気づくこと、そもそも、これはラテンではないような気がする。ラテン・ジャズ・クインテットと名乗りながらも、その実態は、なんというかラテンもどき、ラテン風味のジャズ・クインテットというとこか。だからこそ、A面の3曲は非ラテンなのである。だけど、ラテン・ファンからすればこりゃ金返せである。
で、このラテンもどきバンド、いや、ラテンのまがい物バンドに、なんで、エリック・ドルフィーが参加したのかっていう新たな疑問がわいてくることになる。やって、ラテンと。(地球温暖化には、身も凍るようなサブイ、オヤジギャグを)
ここで、ドルフィー年表をひもといてみる。
この盤の録音は、1960年8月19日である。真夏のラテンかなるほど。だが、この4日前、8月15日になんと、ドルフィー、
名盤、”OUT THERE”を吹き込んでいる。つまりは、あのメトロノームの上を飛行船が浮かんでいるジャケット。ロン・カーターにチェロを弾かせた大名盤。ドルフイーはあの盤で未開の新境地を切り開いたわけである。その4日後なのである。
多分、彼の頭のなかは、”アウト・ゼアー”しかなかったに違いない。スケジュールはもとからそうなっていた。まがい物ラテンは急に入った話しじゃないだろう。新たなる新境地、やり尽くした。で、ラテン。あまり考えずにスタジオ入りした。結果として、ということが実態なのであろう。
で、深いため息をついて私はレコードをふたたび棚にしまう。今度、聴くときはこの十年後か。
ドルフイーの参加していることに意義がある。評価、星ひとつ。
というような、エセ評論家のようなブログではないつもりである。
ここからが、本題でもある。
このレコード、私、ある魅力に気付いたのである。
このなんちゃってラテン、まがい物ラテン。なんとも、キッチュなエキゾ感があることを。此処ではない何処か。そうそれは、あの時代のレス・バクスター、マーチン・デニーなどの所謂、モンド・ミュージックの匂いがあることに。あれは確か50年代末期のことだったはずだ。この盤の録音年月日とピタリ一致する。
アメリカが最も平和だった時代。知ってか、知らずしてか、このレコードにはそんな匂いがしみ込んでいる。もし、それらの楽団、あえて、バンドじゃなくて楽団、それにドルフイーのような優秀かつ秀いでたソロイストが居たら、こんな感じのラテン・アルバムになるのではないかと。
思えば、気づけばだ。かって、エリック・ドルフィーが在籍していたチコ・ハミルトンのグループだが、あのグループの音感も、エキゾ感たっぷりだったことを思い出す。なんちゃってラテンの王道。あれは、親分、チコの趣味なのか、巨大なチャイニーズ・ゴング叩いているジャケットなどのそれは、まさにそれだろう。または、ハンガリー出身のガボール・サボというギター・リストの存在。渡辺貞夫さん曰く、プツン、プツン切れたようなギター、恐らくあの感じは、カルロス・サンタナのグループにも受け継がれている。おっ、だから、ラテン・ロックか、なるほど。時に東洋の神秘、時にヨーロッパの哀愁、そんなグループから、エリック・ドルフィーは羽ばたいていったのである。
だが、よくよく考えれば、そうしたエキゾ感、ジャズの歴史で言えば、もはや、ずっと以前からあったということを。そう、デューク・エリントンの音楽がまたそうした匂いをも持っているということを。ジャングル・ミュージックと言われた1920年代、ラテン音楽を取り入れた時期、極東組曲、まさに、そうだ。そして、また、チャリー・パーカーのビ・バップが当初、理解できない一部のファンからチャイニーズ・ミュージックと言われていた揶揄されていた事実。
とはいえ、デューク・エリントンの音楽、チャリー・パーカーの音楽をまがい物という人はいない。だが、ジャズという音楽には、そうしたもまがい物感もまた潜んでいる。いや、ジャズの包容力がそれらを包括している。
私はそうしたまがい物感に実は心惹かれる人間でもある。
かってのイタリア映画のエキゾ・モンド・ムーヴィー、世界女族物語、香港のカンフー映画、片腕ドラゴン・・・。
なにも、偽ブランドをも愛せと言っているわけではない。ホンモノを見抜くこともまた必要だ。
鑑定士は言う。ホンモノのそれは明朗な表情をしている。一方のそれは後ろめたい影がある。んなろー、そうだろさ。後ろめたい影こそがなんせ、ジャズ。
ただ、人生には、まがい物をつかまされたり、お宝にあたったりということがあるのだということ。それこそが人生だということを。
真夏、熱帯の深夜。
会員制クラブのドアを開ける。
重厚な重い扉。店の名は一言、「M」
ドアマンのピーター・ローレに似た男が出迎える。無言の会釈。
なかは、驚くほど広い。
プールではカラフルな水着の美女たちがこれまた色とりどりのバルーンと戯れている。
ルーレットの回る音。ポーカー・ゲーム。強い葉巻の匂い。
スクリーンにはルイス・ブュニエルの”アンダルシアの犬”が映し出される。
奥の部屋の暗がりでは抱き合うカップル数組。
美女とヒョウ、赤ちゃん教育、男装、吾輩はカモである、ご冗談でしょ。
火を使ったジャグラー。
天までとどきそうな8本のポールとポール・ダンサー。
”ラテスカービイベ”
どこぞの国の御曹司のほら吹き武勇伝に付き合う美女30人。
バーには、一流のバーテンダー8名。
下衆な銘柄から、高級酒まで取りそろえる。
カウンターの横、となりは正装したチンパンジー、主人のつけでカクテルをいただく。
皆さん! 2005号室で、ニューヨークの地下鉄ごっこが始まります。お集り下さい!
そう、グリニッチ・ビレッジの青春。
ここは、国も年代も時間も超越した場所。ただし、季節は真夏。
レディース・アン・ジェントルメン!
ここの楽団は、もちろん、エリック・ドルフィーとラテン・ジャズ・クインテット!!!