"PAUL TOGAWA QUARTET” mod-LP-104
対話、対話っていうけど、同じテーブルにつかなければそれもはじまらないな。
ジャズというのは、もち、黒人のフィーリング、ニュアンス、アイロニー、悲哀、感覚、匂いというような黒人文化から発祥されたものに間違いないが、これを、黒人以外の人種がやっても何ら問題ないことになっている。だから、ドイツの人もやるし、デンマークの人もやるし、チェコの人もやるし、我々、日本人もやるというように、ジャズというのは誠の懐の深い音楽なのである。
このジャズという音楽は、初めから、人種を隔てることなく門戸が開かれていたということだ。
ニューオーリンズのそれは白人のバンドにも流れていったし、ビックバンド全盛時代でもそれは同じだ。パーカーは自身のフレーズをいとも簡単におしみもせず人種関係なく分け与え、生涯最後のバンドに白人のミュージシャンまで雇った。マイルスは、同様に、白人のミュージシャンを雇い、オレの音楽に肌の色は関係ないとまで言い切った。
その恩恵は、今日のジャズの世界にいまだ生きている。身近な例で言えば、ご当地のナニナニジャズ祭。
黒人サイドはオレたちの音楽なんだから、お前らそれやるなとは言わなかった。やるなら、やれば~、しんのすけ的なノリで、でも、オレたちみたいにできるかな~とは言ったかも知れないが。
さらに、ジャズの凄いところは、ドイツ人にしろ、いやこの際、火星人にしろ、それを、模倣にしろ、マネっ子にしろ、パクリにしろ、コピーにしろ、リスペクトし、切磋琢磨し、精進することで、やがてそれは自国のフィーリング、ニュアンス、アイロニー、悲哀、感覚、匂いが染みついた、これまた立派なジャズとなるところなのだ。
つまるところ、ジャズとは、極めて、人種的なところから始まり、極めて、人種という壁を超越した音楽なのである。
幻のマイナー・ジャズレーベル、モードのカタログに、日系二世のドラマー、ポール・トガワのレコードがある。
しばらく前から、このレコードに興味を持って探していたが、ようやく、私のことをレコード棚で待っていてくれた。幻、幻と言われながらも、こうして、レコードは確かに存在する。
で、今回、ほんの少し興味深いところに気が付いた。
モード・レーベルは、カタログナンバー、MOD-LP-100のハービー・ハーパーからはじまる。次に、101 スタン・リーヴィー、102 リッチー・カミューカ、103 メル・ルイスときて、そして104 こそが本盤、ポール・トガワ・カルテットなのである。
つまり、約30枚ほどあるモードのカタログでも、このレコードは5枚目という若いナンバーが与えられているのだ。ということは、あの人気盤のコンテ・カンドリやフランク・ロソリーノより、リリース的には早いのである。
ただ、早いというだけではなく、よく見ると、ジャケットの左上に”NEW STAR SERIES"表記されているのを見つけられる。
なるほど、モード・レーベルのディレクターであるジョン・クインはポール・トガワを期待の新人として売り出そうとしていたのだ。
ちなみに、102 リッチー・カミューカ、103 メル・ルイスにも同じ表記がある。1957年、この時点で、リッチー・カミューカはニュー・スターだったのである。
話しを戻して、この無名の日系二世のドラマーをウエストコースト・ジャズのニュー・スターに持ち上げようとは、よほどのチャレンジ力が必要とされるだろうが、ジョン・クイン氏はそれを本気で考えていたことをこの表記がはっきりと伺わせる。
モード・レーベル発案当初、アイデアの段階で、ポール・トガワのレコーディング・セッションはジョン・クイン氏の頭のなかに間違いなくあったのだ。
レコードの中の話しをしょう。
収録曲は6曲、スタンダード3曲に、メンバーが書いた3曲。
ポール・トガワのドラムに一切派手さはない。しんしんとリズムを刻んでいく。まるで、背景かバックのように。音楽に同化して、そこにドラムがいることさえも忘れてしまう。
ディレクターは、せっかくのリーダー・アルバムなんだから、もっと派手に叩いてよ、などとは言わない。あくまでも、このドラムの個性を尊重する。スタン・リーヴィーのようなマックス・ローチ・タイプのドラマーの個性も認め、尚且つ、メル・ルイスのような派手さのないサポートを行うドラマーの録音を行う。さらには、このポール・トガワ。ジョン・クインは、ジャズにおけるドラムの役割、ドラマーがことのほか好きだったかも知れない。
アルト・サックスのゲイブ・ベルテザーという人はほとんど知らない。フィリピン系ハワイ人でよいのだろうか。実に艶やかなアルトだ。そして、音がなんとも明るい。だが、ウエストコースト・ジャズの明朗さとも異なる何かを感じる。
ピアノはデック・ジョンストン。このピアニストも私は知らない。しかしながら、この盤でオリジナルを2曲提供していることからなかなかの才人だったのだろう。
そして、この3人のテーブルに、ジョン・クインはベン・タッカーを持ってくる。西海岸で黒いベースと言えば、ルロイ・ヴィネガーだが、たまたまスケジュールが空いてなかったのか。だが、ここに黒さを加えるとならば持ってこいのベーシストが加わる。
ジャズというのはまた、不思議なモンで、楽器を手にして、いくつかのフレーズを重ねるだけで、おのずと、その人の空気感が出てしまう。滲みでてしまう、そういった音楽でもある。
数行読んだだけで、ああ、これは、あの人のブログだとわかってしまうように。
そして、その音楽で、肌の色、人種を越えて対話できるすぐれものの音楽でもある。ここでのコミュニケーションは言葉すら要らないのである。
だから、ここでも、しんしんとリズムを刻むその音に私自身のDNAを揺さぶる何かを感じずにいれないし、そう、山郷に降り積もる雪のような。
さらには、アルトからカルフォルニアの持つ明るさとは違う布哇の陽光を感じてしまうことになるになるのだ。
ジャズとは、人種とか、エラソーに書いてしまったが、モード・レーベルの良さとは、それをわざわざ言葉にせずに、さりげなく、押しつけがましくなく、音楽、レコードというフォーマットのなかにそれをそっと忍ばせているところだ。
互いの腹のなかは、どうあれ、まずは、そのテーブルが必要なのだ。対話なら、いくらでもやってほしい。十年でも、二十年でも、お互いテーブルに動かずにいる以上、その間、少なくともミサイルの飛来はない。